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第一次世界大戦をわかりやすく解説!原因や結末、影響も年表付きで紹介

「第一次世界大戦ってどんな戦争なのかな?」
「有名な戦争だけどどんな戦争だったのか詳細が知りたい!」

第一次世界大戦は1914年から1918年までの間に起こった、ヨーロッパ戦争が世界戦争へと発展した戦争です。列強といわれる帝国主義を掲げる国家の覇権を争う、帝国主義を背景とした戦いでした。この戦争の背景には、各国の帝国主義の思惑が交差し、「サラエボ事件」をきっかけに爆発し、瞬く間に広まっていきます。

近代兵器も登場し、多くの犠牲者を出した戦争だった

日本は第二次世界大戦程の影響が無かったために歴史の授業でも駆け足で習ってしまう第一次世界大戦ですが、この戦いはヨーロッパでは今でも深い爪痕を多方面に残し、二度と繰り返してはならないと提唱される戦争です。なぜ世界を巻き込んだ世界大戦が起こってしまったのか?世界では何が起こってしまったのか、原因や経緯・戦後の影響までを出来るだけ分かりやすく解説していきます。

第一次世界大戦とは?

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第一次世界大戦で前進するドイツ軍

第一次世界大戦とは簡単に纏めると、1914年の7月28日から1918年11月11日まで起こった連合国と中央同盟国の計25か国が、ヨーロッパを主戦場として戦われた世界戦争です。この戦争の詳細を綴るには、多くの原因や要素が交差しており、世界中で起こった戦闘や政治情勢を全て綴るのは非常に困難です。しかしこの記事を読んで、一通りの流れが分かるように解説していきます。

大戦の特徴や流れを簡単に言うと?

1898年の帝国主義列強勢力図

なぜこの戦いが起こったのかを説明するにはヨーロッパの長い歴史を語らないといけないのですが、簡単に言うと19世紀は「自国ファースト」を掲げる帝国主義の国家たちが互いの国をけん制している状態でした。長い歴史の中に侵略し、侵略されを繰り返してきたヨーロッパ諸国の中には、複雑な感情が渦巻いていました。

その膨らんだ感情が爆発して、ヨーロッパの戦闘に発展し、戦後は戦勝国が戦敗側のドイツに戦争責任を大きく押し付けた戦争が「第一次世界大戦」です。第二次世界大戦を引き起こした中心人物が「ヒトラー」であったのに対し、第一次世界大戦では戦争を扇動した中心人物は存在ません。そして第一次世界大戦には、歴史上最初の総力戦だったことも特徴といえます。

第一次世界大戦は各国総力を傾けた戦闘となった

それまでの戦争とは違い、前線の兵士だけでなく一般市民にも大きな影響を与え、生活を脅かしました。通常の兵士だけでなく、一般市民も徴兵されることによって、国の総力を傾ける初の戦争となったのです。この戦争での被害者は、過去の戦争を大きく上回り、ドイツとロシアが170万人、フランスで136万人、オーストリアで120万人と各国で多数の死者を出しました。

この戦いは、ドイツ側として戦ったオーストリア・オスマントルコ・ブルガリア四か国を同盟国と呼ばれ、フランス・イギリス・ロシア側として戦った国を連合国と呼ばれました。第一次世界大戦は戦後も大きな傷跡を各国、特にドイツに残し、ヨーロッパの不安定な政情が続いたため現在では、「第二次世界大戦に向けた地殻変動」といわれ、揺り返しが「第二次世界大戦」だと揶揄されるようになったのです。

開戦されたのはいつ?

サラエボ事件を描いた絵、第一次世界大戦のきっかけとなった

開戦時期は一般的に、1914年の7月28日にオーストリアが宣戦布告した日が開戦日とされています。オーストリアの皇位継承者「フランツ・フェルディナント夫妻」が6月28日に、セルビア国内に勢力を置く暗殺グループによって暗殺される「サラエボ事件」によって引き起こされました。

その他にもドイツとロシアが宣戦布告した「8月1日」、ドイツがフランスと宣戦布告した「8月3日」、イギリスがドイツに宣戦布告した「8月4日」も大きな節目として考えられています。流れとしては、当初はオーストリアとセルビアの局地戦闘で終わる可能性もありましたが、セルビアを支援するロシアが参戦し、ドイツも同盟国オーストリアの戦闘のために参戦します。この時点で、大戦争に発展すると判断したロシアが、総動員令を下したのです。

第一次世界大戦時での銃剣突撃のフランス兵

そしてロシア・フランス同盟があったために、フランスもドイツと宣戦布告をせざるえなくなりました。イギリスは当初中立を目指していましたが、ドイツがベルギーに侵攻した為にドイツと宣戦布告をしています。この4つの日付が第一次世界大戦の大きな節目となったといえるでしょう。

ヨーロッパ大戦から世界大戦へ

19世紀の風刺画でそれぞれの国が領地を取り合っているところを風刺している

戦争が始まった段階では、ヨーロッパの戦争に留まっていました。しかしなぜ世界大戦に発展したのかというと、「列強の威信維持と、相互の読み違えが重なった」といわれています。理由だけ聞くと、どういうこと?となってしまいますが、詳しく説明すると以下となります。

まず「威信維持」ですが、帝国主義を提唱していたヨーロッパ列強国は、植民地は支配国のいうことを聞く、もし従わなければ武力でたたく、これが大前提でした。ところが時代はナショナリズムが勃発時期であり、バルカン諸国も欧州列強のように強くなりたかったのです。民族意識が高まってきて、自分たちの国家を作りたいという意識が強まってきていました。

オーストリアは報復としてセルビアに宣戦布告した

列強の皇位継承者が暗殺されて、列強諸国のメンツ問題が発生します。メンツを潰されて何もしないわけにもいかず、この事件を機に当事国を叩いて威信を示したいという思惑があったのです。こうして、ヨーロッパ列強の威信をかけて、オーストリアはセルビアに宣戦布告をしました。

そして「読み違えが重なった」という事情ですが、セルビアを支援するロシアは動員すれば、オーストリアが引き下がるだろうと考えていたといいます。しかし動員はオーストリアと同盟関係のドイツに圧力を掛けたと捉えられ、ロシアも事情を説明しないからドイツも対抗して総動員令を出しています。そういう行き違いが重なり、戦闘が大規模化していきました。

後に引けなくなり宣戦布告が相次ぎ、色々な国が騒ぎに乗じて好き勝手にしたのが第一次世界大戦

その混乱に便乗して、遠く離れた日本などでも戦争に突入します。1902年に結ばれた「日英同盟」を理由にイギリスが2か国以上と戦うと参戦せねばならなかったために、参戦することとなりました。日本としては、この戦乱を中国への支配拡大のチャンスと捉えていて、ドイツ帝国に宣戦布告し中国のドイツ占領地を攻撃し、占領しています。そして1918年にはアメリカ合衆国も参戦し、こうしてアジアやアメリカを巻き込む世界大戦へと発展していったのです。

第一次世界大戦と日本の関係は?参戦していた?開戦の経緯から戦後の影響まで詳しく紹介

戦勝国はどの国か?

第一次世界大戦は連合国側が勝利した

第一次世界大戦は、1918年の11月11日に休戦条約に調印されたことで終結しています。戦勝国は主だった国で、連合国側といわれたイギリス・ロシア・イタリア・セルビア・日本などです。敗戦国は、中央同盟国といわれたドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアでした。

最終的にドイツは休戦条約に調印することとなった

約4年間続いた第一次世界大戦は、1918年にはイギリス・フランス・アメリカといった連合国が優勢となり、9月にはブルガリアが陥落、10月にはオスマン帝国とオーストリア帝国が降伏しました。11月にドイツはアメリカのウィルソン大統領が提唱していた「14ヶ条」を受諾する旨をアメリカに通告し、11月3日にドイツ革命が起き、同月9日には皇帝ヴィルヘルム2世が亡命、11日に休戦条約に調印することにより第一次世界大戦は終結にいたったのです。

第一次世界大戦のきっかけは?

そもそも第一次世界大戦はなぜ起きたのかが気になるところだ

ここまでを読んでいると、なぜ第一次世界大戦が起こったのか?きっかけは何?という疑問が出てきたのではないでしょうか。原因として、非常に拗れて長引いたこの戦争には、簡単には言い表しにくい複雑な要因が絡み合い、各国は一触即発の状態となっていました。

きっかけは「サラエボ事件」

オーストリア王位継承者フランツ・フェルディナントと王妃

第一次世界大戦のきっかけは「サラエボ事件」でした。事件の概要は、オーストリアの王位継承者「フランツ・フェルディナント」とその后がセルビア国のサラエボで暗殺されたのです。なぜ暗殺に至ったのかの経緯は、当時オーストリア・ハンガリー帝国はチェコを含めた第三の独立した国を作るという構想を持っていました。

しかし独立国が出来ると、南スラブ諸民族に対するハンガリー人の抑圧を緩める結果をもたらし、被抑圧民族としての南スラブ民族の団結の妨げになるという考えから、彼はセルビア人から特に憎まれたからでした。オーストリアはこの機会に自国のメンツと共に、セルビアを打倒して汎スラブ主義の根拠地を根絶やしにしようと考えたのです。

「7月事件」へと発展

オーストリアがセルビアと宣戦布告したことにより連鎖反応が起きていった

オーストリアは、事件の後にドイツに使節を派遣し意向を聞いています。この時のドイツの思惑は今となっては分かりませんが、ドイツの官僚の日記を読む限りイギリスはともかく、フランスやロシアと戦争をすることは覚悟していたといわれています。

ドイツからの回答に力を得たオーストリア政府は7月に、セルビア政府が暗殺に関与していた証拠はまったく見当たらないのに、セルビア政府に到底受け入れられない内容を盛り込んだ最後通牒を突きつけて宣戦布告をしました。この時オーストリア側は、セルビアの局部戦争になることを予想していました。しかし上記に書いたように、互いの国が連鎖反応をし合い、数日のうちにヨーロッパの主要国を巻き込む大戦争へと発展していきます。この事件は、後に「7月事件」といわれました。

第一次世界大戦が起きた原因とは?特徴から背景まで詳しく紹介

大戦が起こる前の世界情勢は?

一触即発だった第一次世界大戦の世界情勢は、非常に危ういものでした。きっかけが起こるとここぞとばかりに各国が戦闘に陥った状況を見ていきます。

ドイツの情勢

プロイセン・フランス戦争はフランスのドイツへの恨みを植え付けていた

ドイツとフランスは負の遺産として、1870年~1871年の「プロイセン・フランス戦争」の戦後処理が根底にありました。この戦争でフランスは、「アルザス・ロレーヌ」の両州を奪われたことを忘れておらず、復讐を誓っていました。戦争に勝ったプロイセンがドイツ帝国として統一を果たしますが、フランス人の恨みは根強く残ることとなります。これは第一次大戦の一つのフラグです。

フランスを牽制するために、ドイツ宰相ビスマルクはロシア帝国とオーストリア帝国がドイツ帝国と同盟を結ぶ三帝同盟でフランスと対抗しました。しかしこの同盟が頼りにならないことが、1875年に露見します。

イギリスのヴィクトリア女王もドイツを警戒していた

フランスが軍事を強化していることを察知したドイツは、ドイツがフランスの復讐に先手を打つと圧力をかけました。これに対してイギリスのヴィクトリア女王はドイツに警戒する動きを見せて、ロシアもドイツに対して牽制しています。つまり、イギリスとロシアはフランスを味方をしてドイツを挟み撃ちにすることを示唆していました。

ドイツの宰相ビスマルクにより何とか均衡を保っていた

三帝同盟が頼りにならないことを痛感したビスマルクは、苦心して「ビスマルク体制」を作り上げました。ロシアとイギリスと良好な関係を築いて、フランスを孤立させるように仕向け対ドイツへの復讐戦が行えないように仕向け、ドイツの安全を守っていたのです。しかしビスマルクがドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に更迭されると、ドイツは強固な帝国主義を目指した為に、結果ロシア・イギリス・フランスの接近をさせてしまい、信頼できる同盟国はオーストリアだけとなってしまったのでした。

ロシアの情勢

ロシアは同じスラヴ民族の明主となり統合する野望を持っていた

ロシアはバルカン半島へ勢力を伸ばすことを目論んでいました。日露戦争の敗北で、ロシアは満州などの東アジアの進出を諦め、バルカン半島への勢力拡大を目指していたからです。ロシアはバルカン半島がスラブ系の民族がいることを理由に、スラブ民族の明主としてバルカン半島にスラブ民族を統合するという主張をしていまいした。

オーストリアの措置に不満を抱いていたセルビアは、ロシアに支援を求めていましたが、日露戦争と第一次革命の痛手から立ち直っていなかったために、支援ができずにいました。その為にロシアはセルビアを宥めてオーストリアの措置をセルビアに承認させています。この時も、戦争になる危険性がありましたが、回避されたためにこの出来事は後に、「ボヘミア危機」といわれました。

一度目の危機はボヘミアの美しい景色を壊さずにすんだといえる

しかしその1914年に「サラエボ事件」という同じ事態が起きた時に、ロシアのメンツもあり戦争は不可避となり、第一次世界大戦へと繋がっていくこととなりました。

イギリスとドイツの対立

イギリスとドイツは政策において対立した

イギリスとドイツも「帝国主義政策」の摩擦により、関係が悪化していました。イギリスがインドのカルカッタ・エジプトのカイロ・南アフリカのケープを繋ぐ「3C政策」とドイツのベルリン・イスターンブール・バグダードを繋ごうとする「3B政策」で対立を起こしていました。またドイツがイギリスを牽制し、「建艦競争」を行ったためにイギリスを刺激してしまったのです。ドイツの海軍の増強を危険視し、結果的にイギリスをフランスとロシアに近づける、また一つ戦争へのフラグを作ってしまいました。

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