産業革命とは?影響や年表をわかりやすく解説【第1〜4次まで】

「産業革命とは何?わかりやすく教えて!」
「産業革命はいつから始まったの?」
「産業革命とイギリスってどんな関係?」
「第1次と第二次の違いって何?」

世界史で必ず習う「産業革命」という言葉。あなたは覚えていますか?産業革命は18世紀頃に始まり、現在も世界規模で続いている革命です。

現在まで続く革命で規模が大きいため、学校の授業で習っていても全てを把握することは難しいでしょう。

産業革命の順序

産業革命には順序があり、以下の4つが存在します。

  • 第一次産業革命:イギリスから始まった蒸気機関などの技術革新
  • 第二次産業革命:石油を資源とした化学工業や鉄鋼などの重工業などの技術革新
  • 第三次産業革命:単純作業の自動化などコンピューターによるデジタル技術革新
  • 第四次産業革命:機械の高度な知的活動を中心とした社会にする技術革新

産業革命の起源となる「第一次産業革命」は、革命に必要な条件が揃っていたイギリスから始まりました。諸説によると、イギリス以外の国でも産業革命の基盤となり得る機器の発明はありましたが、実際に世界的な革命へと繋がったのはイギリスからです。

第一次産業革命 = 蒸気機関

イギリスでの農業革命や技術革新、蒸気機関の発明によって、産業の世界は著しく変化しました。

そして、その影響はイギリスからヨーロッパ、アメリカへと拡大していったのです。これを、「第二次産業革命」といいます。第二次産業革命では機械化が中心となり、大量生産が当たり前となりました。

第二次産業革命 = 重工業や機械化

そして、遂には人の手を使わずにコンピューターが活躍するデジタル時代、「第三次産業革命」へと発展したのです。私たちが生きている2020年現在は、この第三次産業革命の途中と言えるでしょう。テレビやスマホ、パソコンなどが日常的に使われる時代です。

第3~4次産業革命 = インターネット・ロボット

しかし、技術の進歩は止まりません。人と機械が融合し、新たな人類の進化が始まる時がやってきます。第四次産業革命です。教科書上でしか知ることのない歴史の世界とこの先の未来の歴史の世界。この両方が存在しているのが「産業革命」なのです。

産業革命を学びながら、過去から未来へと歴史を辿っていきましょう。産業革命時代の歴史が大好きで、大学院の学会でも発表し、数十冊以上の関連書籍を読み漁っている筆者がわかりやすく解説します。

この記事を書いた人

Webライター

岩野 祐里

Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。

産業革命とは

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産業革命時のイギリス工場

産業革命とは、一言でいえば「産業の改革によって社会の仕組みが変化した革命」です。英語では、”Industrial revolution”と言います。18世紀のイギリスから始まり、現在までにヨーロッパ、アメリカ、アジアなど世界的な拡大を見せている革命です。

また、産業革命の始まりの時期は様々な研究者の間で議論され、多数の意見があります。技術が発明された時期を産業革命の始まりとする意見や、技術が実際に使用されて工業が発展した時期を産業革命の始まりとする意見など。

リバプールアンドマンチェスター鉄道の開業記念列車

しかしながら、産業の飛躍的な発明や改革があった時期と場所が「18世紀のイギリス」であることは広く認められています。産業革命の具体的な時期については多様な議論があるにせよ、「産業革命は18世紀のイギリスから始まった」という認識は間違いありません。

始まりの時期という簡単な事実一つでも、様々な意見が飛び交う産業革命。そんな産業革命を理解するために、この記事では第一次から第四次産業革命まで、それぞれの革命での出来事や影響、問題点などを詳しく解説していきます。

まずは、産業革命の流れを掴むために、産業革命の全体像を年表を通して見てみましょう!

産業革命の全体像、年表

産業革命の簡単年表

第一次産業革命

1705年「蒸気機関の発明」

セイヴァリの蒸気機関

イギリスの発明家であるトマス・ニューコメンによって、最初の蒸気機関が発明されました。第一次産業革命の基盤でもある蒸気機関は、1712年に鉱山の排水用ポンプの製作にも取り掛かります。

1709年「コークス製鉄法の開発」

1709年頃からイギリスのエイブラハム・ダービー1世がコークス製鉄法を開発しました。この開発が後の製鉄業の普及に大きな貢献を及ぼします。1735年には彼の息子エイブラハム・ダービー2世が父の製鉄法に改良を加え、1750年ごろからイギリス全土へ普及しました。

ジョン・スミートン

1760年代には土木工学者ジョン・スミートンが高炉用の送風機を改良したことによって、生産工程は更に効率化します。この送風機には後述のワットによって改良された蒸気機関が使用されました。そして、1784年の攪拌精錬法によって、品質の良い錬鉄が大量生産できるようになります。

1733年「飛び杼の発明」

飛び杼

1733年、イギリスの発明家ジョン・ケイによって織物を織る時に使用する「飛び杼(とびひ)」と呼ばれる道具が発明されました。これは、織り機の一部である杼(ひ)を改良したものです。たて糸の間によこ糸を通すことに使われる道具であり、元々は両手で動かしていました。

ジョン・ケイが発明した飛び杼は、片手だけで速く動かすことができます。織り機のスピードは飛躍的に上がり、綿布の生産を向上させました。そして、後の綿織物の生産に大きな影響を与えたのです。

1764年「ジェニー紡績機の発明」

ジェームズ・ハーグリーブスとジェニー紡績機

1764年にイギリスの発明家ジェームズ・ハーグリーブスによってジェニー紡績機が発明されました。ジェニー紡績機とは、一度に複数の糸を紡ぐことができる機械です。

ジェニー紡績機のおかげで綿布生産のために必要とされた糸を効率的に作ることができたのです。ジェニー紡績機は小型だったため、農村の工業地域に普及しました。

1765年「蒸気機関の改良」

ニューコメンによって発明された蒸気機関を、イギリスの技術者であるジェームズ・ワットが改良しました。復水器で蒸気を冷やすことで効率性を高め、蒸気機関は産業の動力として多くの分野で活躍することになります。

1771年「水力紡績機の発明」

水力紡績機

1771年にイギリスの発明家リチャード・アークライトによって、水力を利用した水力紡績機が発明されました。ジェニー紡績とは違った大型の機械であり、数百人の労働者を必要とします。

この水力紡績機の発明によって綿糸の大量生産が可能となり、本格的な工場制機械工業の幕開けとなりました。1779年には細くて丈夫な糸を生産するミュール紡績機が誕生し、1785年には世界初の蒸気機関を動力とした力織機が発明されます。

1802年「蒸気機関車の登場」

リチャード・トレビシックが開発したペナダレン号

イギリスの技術者であるリチャード・トレビシックが世界初の高圧蒸気機関と蒸気機関車を発明しました。人間が乗れる大きさの蒸気機関車を発明した最初の人物です。

その後、同じくイギリスの技術者ジョージ・スチーブンソンによって実用的な蒸気機関車が製作され、30トンもの石炭を運ぶことに成功します。彼は「鉄道の父」と呼ばれ、公共鉄道を実用化した人物として有名です。

ジョージ・スチーブンソン

後の1830年にはイギリスにて「リバプールアンドマンチェスター鉄道」が開業しました。リバプールとマンチェスターの都市間を結ぶ鉄道は、世界で最初の実用化された鉄道です。

1833年「工場法の成立」

1833年のイギリスで、工場労働者の環境改善を目的とした工場法が成立しました。それ以前は低賃金の長時間労働や児童労働が公然と行われており、労働者たちの過酷な生活を送っていたのです。

1833年の工場法では9歳未満の児童労働が禁止され、9歳から18歳未満の労働時間が週69時間(1日約10時間)に短縮されました。短縮されて1日10時間労働ですから、それ以前の労働時間は現在と比べて非常に長時間だったことが分かります。

イギリスの工場法は1844年、1847年、1867年、1874年と改正されていき、最終的に50人以上の工場では若年労働者と女性労働者の労働時間が週56時間にまで短縮されました。

月曜から金曜までが1日10時間、土曜は6時間という仕組みです。深夜業務も制限され、工場労働者の労働環境は幾分か改善されました。

1851年「ロンドン万国博覧会の開催」

ロンドン万国博覧会が開催された水晶宮

1851年、イギリスのロンドンにて世界初の国際博覧会であるロンドン万国博覧会が開催されました。開催場所はロンドンにある公園ハイドパークに建設された水晶宮です。その名の通り、ガラスと鉄骨でできた美しい宮殿のような建物でした。

当時のガラス製造技術や製鉄技術が優れていたことが分かる建物でもあります。このように、ロンドン万国博覧会は、産業革命によってイギリスが「世界の工場」となったことを知らしめるものでした。

当時のイギリス女王であるヴィクトリア女王が開会宣言を行い、当日は多くの人々が訪れ、賑わいを見せました。展示品にはイギリス植民地の調度品や最先端の機械などがあり、イギリスの人々の興味関心を惹いたのです。

ロンドン万国博覧会の内観

ロンドン万国博覧会は世界にイギリスが大英帝国と呼ばれる理由を見せつけただけでなく、186000ポンドという大きな利益も得ます。この利益は、ロンドン自然史博物館やヴィクトリア&アルバート美術館、サイエンス・ミュージアムを建設する費用になりました。

第二次産業革命

1860年「英仏通商条約の締結」

1860年に英仏通商条約と呼ばれるイギリスとフランス間の関税に関する条約が締結されました。この条約は、イギリスとフランス間での関税を大幅に削減することを約束するものです。

これによって、フランス市場にイギリス製品が多く登場することとなりました。フランスもイギリスに追いつくために産業の改革を進め、結果的にフランスにも産業革命が訪れます。

1867年「パリ万国博覧会」

パリ万国博覧会

1867年、産業化の波にのったフランスでも万国博覧会が開催されました。パリ万国博覧会です。パリ万国博覧会は1855年にも開催されましたが、その時は開催費用に対して利益があまりに少ないものとなりました。

1867年のパリ万国博覧会では、42カ国が参加して1500万人が来場します。参加国数も来場者数も1855年の万国博覧会を上回る結果となりました。このパリ万国博覧会には日本からの出展品もあり、日本が初参加した万国博覧会でもあります。

日本の軽業師のパフォーマンスや江戸の茶屋などが再現されました。茶屋では3人の芸者がキセルを吸ったり、遊んだりしていただけでしたが、ヨーロッパにはない日本独特の風景は注目を浴びたのです。開催中には日本から江戸幕府の主要人物も渡仏し、海外の最先端の展示品を目の当たりにしました。

1869年「アメリカ大陸横断鉄道の完成」

開通記念式典の様子

1869年、アメリカで世界初の大陸横断鉄道が完成しました。これは、アメリカのネブラスカ州オマハからカリフォルニア州サクラメントの間を横断する鉄道です。

アメリカの東から西への間の移動が簡単になり、移動時間も数週間から数ヶ月必要だったのに対して1週間に短縮されました。また、この鉄道はアメリカ先住民の討伐と西武開拓にも大きな影響を与えます。

走る列車の窓からバッファローを射殺することで先住民の怒らせると同時に、先住民たちの食糧を奪って討伐しようとしました。

1870年「ガソリン自動車の発明」

1870年、ユダヤ系オーストリア人発明家のジークフリート・マルクスによって世界初のガソリン自動車が発明されます。蒸気機関を利用した蒸気自動車はありましたが、現在のようなガソリンとエンジンで走る自動車はマルクスが発明したものが初めてでした。

1876年にはガソリンを燃料として動くエンジンが開発されます。これは、現在の自動車エンジンの原型になりました。1908年にアメリカの自動車メーカーであるフォード社がガソリン自動車の大量生産に成功します。

1872年「富岡製糸場の開業」

富岡製糸場

日本にも産業革命による技術革新が起こり、群馬県富岡市に日本初の器械製糸工場が誕生しました。富岡市に建てられたことから、富岡製糸場と名付けられます。

当時の日本は明治時代であり、海外の発展に追いつこうと必死でした。そんな最中に建設された富岡製糸場には、ヨーロッパから得た最新の技術と機械が導入されます。

労働力として、日本全国から多くの女性の工業労働者が集められました。工女と呼ばれた彼女たちは必要な作業技術を習得して、1日約8時間みっちりと働いたのです。年末年始と夏季休暇、日曜休みの労働環境であり、当時としては画期的でした。

1892年「ディーゼル機関の発明」

1892年、ドイツの技術者であるルドルフ・ディーゼルがディーゼル機関を発明しました。ディーゼル機関とは、熱エネルギーを往復運動に変換させ、回転運動のエネルギーとして取り出す原動機のことです。

ディーゼル機関は小型で高速のガソリンエンジンに対して、大型で低速なことが特徴になります。そのため、小型機械にはガソリンエンジンを使い、大型機械にはディーゼル機関を使用しました。ディーゼル機関は大型車や鉄道、船などによく使われています。

1914年「第一次世界大戦の勃発」

第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件

1914年、オーストリアならびハンガリー帝国のフェルディナンド大公が暗殺されたサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発します。産業革命の影響によって帝国主義が進んでいたため、イギリスやフランスをはじめとする影響力を持った列強国が次々と参戦しました。

約50カ国が巻き込まれた世界大戦は4年間も続き、1918年に列強国側の勝利で終戦となりました。約1000万人の戦死者を出し、多くの家族が徴兵された父や息子を亡くしたのです。

1929年「世界恐慌」

1929年にアメリカの株価が暴落して世界の国内総生産が減り、世界的に大規模な失業や倒産が相次ぐ世界恐慌が起こります。街には失業者が溢れ、銀行には紙幣を正貨(金貨や銀貨と同じ値打ちの貨幣)へと変換しようとする人々が殺到しました。

第二次産業革命によって、工業が大きな資本が必要な重工業に移行していたことも影響を与えたのです。重工業に依存していた国は大打撃を受け、世界各地の産業建設が停止しました。世界恐慌は1930年代後半まで続き、人々を苦しめたのです。

1939年「第二次世界大戦の勃発」

第二次世界大戦中の空襲の様子

1939年ドイツがポーランド侵攻を始めたことをきっかけとして、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発します。飛行機による空爆や原子爆弾といった核兵器が使用され、技術革新の成果が裏目に出た結果となりました。

戦争は6年余り続き、1945年に終戦を迎えます。軍人と民間人、合わせて約6200万人もの尊い命が奪われました。この世界大戦をきっかけに、技術改革は脅威的な兵器にもなるということを人類は学んだのです。

第三次産業革命

1946年「コンピューターの発明」

本の真空管で作られたデジタル計算機(ENIAC)

1946年、アメリカのペンシルベニア大学で世界で初めてのコンピューターが発明されました。内部が高真空にされた管に電極を封入して作られた真空管が利用されています。

当時は今ほどの情報処理能力はなく、電子計算機としての意味合いが強いです。その後、プログラムを内蔵させたコンピューターが発明され、コンピューター技術は著しい発展を遂げていきました。

1961年「産業用ロボットの特許取得」

1961年にアメリカの技術者であり起業家のジョージ・デボルが産業用ロボットの特許権を取得します。産業用ロボットは1938年に発明されていましたが、実用化はされていませんでした。

自動車工場で使われている産業用ロボット

1956年に初めて生産され、特許取得後は海外と提携したことによって世界的に産業用ロボットが広まっていくことになります。日本はいち早く産業用ロボットを取り入れ、1970年代にはすでに生産を開始し始めました。

その後、より高度な技術が組み込まれた産業用ロボットは多くの産業工場で活用されることとなったのです。

1969年「インターネットの実現」

1969年、アメリカにおいて複数のコンピューターを接続してインターネットが実現されました。その後、インターネット技術は急速に進化し、2010年代ではTwitterやフェイスブック(Facebook)、YouTubeなどのネット上におけるコミュニティーが形成されます。

1975年「マイクロソフト社の設立」

マイクロソフト社

1975年、アメリカの実業家であるビル・ゲイツがマイクロソフト社を設立しました。この会社は、情報処理を行うコンピュータープログラム(ソフトウェア)を開発して販売しています。

現在、私たちが日常的によく使っているWindowsやソフトウェアの「Word」や「Excel」などもマイクロソフト社が開発しました。

2007年「iPhoneの発売開始」

2007年、デジタル製品やソフトウェアを開発しているアップル社が新時代の携帯電話とも言えるiPhoneを販売しました。低コストでの製造化やGPS(衛生信号によって位置情報が分かるシステム)を内蔵していたことが特徴的です。

2014年「Amazon Alexaの発売開始」

Amazon Alexa

2014年、テクノロジー企業であるAmazonから人工知能アシスタントが搭載された機械「Amazon Alexa」が発売されました。音楽やオーディオブックの再生などの娯楽目的の他に、天気や交通情報、スケジュール作成など多目的に利用することができます。

第四次産業革命

2015年「介護ロボットの介護保険適用化」

クマの顔をした可愛い介護ロボット

2015年、日本で介護ロボットの介護保険が適用化されました。この介護保険では介護ロボットの利用料を9割負担してくれます。介護ロボットとは高齢者社会向けにお年寄りの介護や介護職の業務を助けるロボットです。

少子高齢社会となり、介護者や介護職の不足から介護ロボットに介護保険を適用して人材不足を補うことを目的としています。

2018年「自動運転配車サービスの開始」

2018年、アメリカの自動運転車開発企業であるWaymoが自動運転配車サービスを開始しました。アリゾナ州フェニックスで一般向けに開始され、アプリを通じて利用できます。

運転席にはまだドライバーがいる状態ですが、自動運転は可能になっています。最終的には運転席も無人の状態で走行できるようにするそうです。

2045年「新たな人類の登場?」

中身が機械化された人間へと進化?

2045年頃には新たな人類が登場するかもしれないといわれています。それは、人間と機械が合わさったポストヒューマンです。ナノテクノロジーや遺伝子工学を利用して作られる可能性があるといわれていますが、まだ可能性の段階です。

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