マリリンモンローの功績
功績1「ジェンダーの壁を超えて仕事をした」
マリリンモンローは1950年代前半には、ハリウッドの典型的な金髪美人女優として有名になりました。しかし、彼女は自分には決まりきった役しか回ってこないことに不満を持ち、もっと演技者としての成長を望んでいました。
マリリンはいつでもセクシーなキャラクターでいるように、世間から要求されていました。しかし彼女はそれに対して屈することはなく、気にする素振りすら見せませんでした。男女平等を望むのは野心が足りないからだとも言っており、そのさらに上を目指していたことがわかります。
実際に彼女は、自分に型にはまった役しか与えない映画会社に反発して、自らプロダクションを立ち上げました。この実力行使により、映画会社は彼女の権利を認め、多くの給料が支払われることになりました。実力に対する正当な報酬を勝ち取ったマリリンは、この後に続く多くの働く女性の生活を変えたといえるでしょう。
功績2「ゴールデングローブ賞や主演女優賞を手にした」
2度目の結婚生活に終止符を打った後、マリリンはニューヨークの俳優養成所・アクターズ・スタジオで演技の指導を受けました。すでに大スターと言われていたマリリンにとっては勇気のいる行動だったのではないでしょうか。
しかし、ここでの勉強は確実にマリリンを変えました。彼女は演技に自信を持ち、女優として成長したかに思えました。彼女の演技は好評を得て、1959年には映画「お熱いのがお好き」でゴールデングローブ賞主演女優賞を手にするまでになりました。
マリリンモンローの名言
男性と平等でありたいと求めるような女性は、野心が足りていない。
ハリウッドでのマリリンモンローは、典型的な金髪美人、セックスシンボルとしての存在でしたが、本当の演技ができる女優になることを目指し、努力を続けました。マリリンに見えていたのは、未来の自分のあるべき姿だけでした。
ですからお色気だけの存在として扱われても、それを軽くいなして先に進むことだけを考えました。彼女は、男性と平等でありたいのではなく、そのさらに上を行きたいと望んだのです。
私は、グラマーでセクシーであるという重荷を負わされることは苦にしないわ。
グラマーでセクシーであることが重荷なのかどうかは人によって違いますが、少なくともマリリンにとっては足かせのようなものだったに違いありません。
それでも演技に対して前向きな姿勢で居続けたマリリン、年齢を重ねた彼女の演技が見られないのが残念でたまりません。
女優は機械ではありません。でも機械のように扱われます。お金を生む機械です。
ハリウッドでのセクハラ問題がMe Too運動という形で表面化したのは、まだ記憶に新しいでしょう。しかし、マリリンはすでにこの問題をハッキリと言葉にしていました。
この言葉からは、彼女が女性の問題をきちんと問題視できる、冷静な目を持つ人物だったことがわかります。
マリリンモンローにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「シャネルの5番発言!」
マリリンが就寝時にシャネルの5番(香水の名前)だけをつけているという話は有名です。香水だけで他に何も身に着けないのが、とてもセクシーな印象を与えて、マリリンの代名詞のような逸話となりました。
マリリンが新婚旅行を兼ねて日本を訪れた際にも同じ質問が出ましたが、そこでの答えは、つけるのはラジオだけ、というものでした。
マリリンのセクシーな答えを待ち受けている、マスコミや群衆に対しての見事な答えでした。ことを荒立てず、見事に切り返す手腕は頭が良くないとできないはずです。
都市伝説・武勇伝2「日本の指圧がマリリンモンローを癒やした?」
ジョー・ディマジオとの新婚旅行で日本を訪れたマリリンでしたが、長旅で疲れ果て、胃痙攣の発作まで起こしていました。医者の痛み止め注射を拒否したマリリンを助けたのが、日本の指圧でした。
指圧療法創始者の浪越徳治郎がマリリンに指圧を施したところ、生気を取り戻し、宿泊していたホテルを取り巻いていた群衆に手を振る余裕ができました。
マリリンがこのまま指圧に癒やされていたら、後の人生はもっと違うものになっていたのではないか、と思われてなりません。
また、浪越徳治郎はマリリンモンローに素手で指圧をした唯一の日本人になりました。後にはテレビ番組内でマリリンに指圧をしたときの気持ちを語っていますが、強烈な思い出になったようです。
第2のマリリンモンローと呼ばれた人たち
セクシーな金髪美人が現れる度に、マリリンモンローの再来、第2のマリリンモンローと言われています。マリリンとどんな共通点があるのか、少し比べてみたいと思います。
ダイアナ・ドース
女優のダイアナ・ドース。彼女はイギリスのマリリンモンローと言われていました。
1931年生まれの彼女の全盛期は1950年代後半で、マリリンと重なります。彼女もその外見から、演技力を発揮する機会にはなかなか恵まれませんでしたが、1970年代以降は嫌悪感を抱かせるような人物も演じ、力を発揮しました。
マドンナ
1958年生まれのマドンナは大変有名なミュージシャンです。1984年の「ライク・ア・ヴァージン」は日本でも大ヒットしました。
金髪に加えて口元のほくろの位置も同じなので、デビュー当時から第2のマリリンモンローと言われていましたし、そう感じた人も多かったでしょう。
現在では奇妙な行動が報道されることが多くなってしまったマドンナ。第2のマリリンモンローと言われていた時代が懐かしく感じられます。
アンナ・ニコル・スミス
1967年生まれの彼女はモデル、女優であり、マリリンモンローの生き方に憧れていると公言していました。幼いときに両親が離婚して、複雑な家庭環境で育ったところもマリリンと似通っています。
64歳年上の資産家と結婚した彼女は莫大な遺産を引き継ぎましたが、39歳で処方薬を過剰摂取して亡くなってしまいます。その前年には長男がわずか20歳で急死していますから、憶測が憶測を呼ぶ事態となりました。
エヴァ・ハーツィゴヴァ
1973年生まれのエヴァはチェコスロバキア出身のスーパーモデル、女優です。1990年代にめざましく活躍したことから、1990年代のマリリンモンローと呼ばれるようになりました。
過去に2回の結婚をしたエヴァは、現在イタリア人の男性と事実婚の関係にあります。3児の母でもありますが、女優業も変わらずに続けています。
若くして亡くなったマリリンの姿をどうしても重ねてしまいますが、健やかに活躍して欲しいものです。