ベトナム戦争とは?原因から勝敗まで分かりやすく解説【日本への影響も紹介】

「ベトナム戦争は世界にどんな影響を与えたの?」
「映画の題材にもなっているけど、どんな戦争だったの?」

日本でも大きく取り上げられることが多いベトナム戦争。歴史の教科書にも載っている大きな戦争ですが、あまり詳しくは説明されていません。

第二次世界大戦後に起きた中でも特に有名な戦争ですが、実はその後の世界の情勢的にも、人権問題的にも重要な意味を果たしているのです。

ではベトナム戦争とはなぜ起き、どのような経緯でどんな結末を迎えたのでしょうか。この記事ではベトナム戦争の流れと結末、特徴や世界に影響を与えた事件・写真について詳しく説明していきます。よりベトナム戦争について深く知ることができる映画も最後にご紹介します。どうぞ最後までお付き合いください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

ベトナム戦争とは

塹壕に身を伏せてベトコンを探すアメリカ兵

ベトナム戦争は、ベトナムにとっての独立と東西冷戦の代理戦争でした。

ベトナム戦争にはいくつかの顔があり、いずれもこの戦争を語る上では欠かせないものです。戦場となったベトナムにも、現地で戦ったアメリカとソビエト・中国にも、そして直接は介入していない日本にとっても重要な役割を果たしています。

ではどのような戦争だったのでしょうか。ベトナム戦争が持つ性質のうち特に知っておきたい側面から説明していきます。

ベトナム独立のための戦争

北ベトナムを率いたホー・チ・ミン

戦場となったベトナムにとっては、自国の独立を目的としていました。

インドシナ半島の独立から起きたインドシナ戦争後、それまでの宗主国フランスが撤退し、ベトナムは晴れて独立したかのように見えました。しかし、インドシナ戦争後半で介入してきたアメリカの思惑によりその夢に待ったがかかります。

南北に分裂させられたベトナムは、アメリカとの戦争を決意します。アメリカの事実上の傀儡国家である南ベトナムを倒し、晴れてベトナムとしての独立を達成するために、ホー・チ・ミン率いる北ベトナムは戦ったのです。

主権回復を待ち望んでいたベトナムにとって南北関係なく「ベトナム」として独立することに意味があっただけにアメリカの介入は許せなかったのです。こうしてベトナムは、フランスとの戦争から間もなくして事実上のアメリカとの戦争を決意したのです。

東西冷戦の代理戦争

先に起きていた朝鮮戦争の様子

ベトナム戦争には東西冷戦における代理戦争の性格もありました。第二次世界大戦後の世界は、資本主義と社会主義による覇権争いの様相を呈していました。世にいう「東西冷戦」の状態です。

先に起きていた朝鮮戦争と同じく、資本主義の中心であるアメリカ率いる南ベトナムと、社会主義のソビエトを援助を受ける北ベトナムによる代理戦争でした。直接それぞれの国が戦わずに別の地域で変わりに戦争させることです。

各国の立場はそれぞれ違いました。ここでは大きく4カ国3つの立場から診ていきます。

アメリカの立場

ドミノ理論をイラストにしたもので、アメリカはこれを恐れていた
出典:Wikipedia

資本主義経済の中心であるアメリカは、戦後に拡大する可能性を秘めていた社会主義に対して「ドミノ理論」と呼ばれる理論の元で警戒感を強めていました。

ドミノ理論とは、資本主義国家化が社会主義に代われば、次々と社会主義の国家が生まれていき、最後にはアメリカ自身が倒れてしまうと考えられている理論です。当時のアメリカは、世界の中心でありたいがために、このドミノ理論に基づく社会主義拡大の阻止に躍起になっていました。

アメリカにしてみれば十分な大義名分があったベトナム戦争。それだけ社会主義の進出と拡大はアメリカにとっては脅威だったのです。

ソビエト・中国の立場

当時のソビエトの最高指導者、ヨシフ・スターリン

一方の社会主義の雄・ソビエトは、当初中国の動きに任せていました。北ベトナム政府を樹立したホー・チ・ミンは、中国共産党の力を借りてベトナム共産党主体の政府を樹立。社会主義国家としてスタートを切りました。

毛沢東と会談するホー・チ・ミン

ソビエトが本格的に介入したのはベトナム戦争が始まる直前の話です。

それまで情勢を俯瞰していたソビエトは、ホー、毛沢東、そしてスターリンの三者会談の結果、軍事派遣を開始しました。ベトナム戦争にはソビエト・中国の社会主義の大国が関わるようになったのです。

背景には当然のことながら、アメリカの優勢があったのでした。自分たちが世界の中心になることを画策していたソビエトにとっても負けられない戦いだったのです。

日本の立場

ベトナム戦争中に首相の座にあった佐藤栄作

日本はベトナム戦争には直接関与はしませんでした。日本の立場はあくまでも「アメリカの援助」という形にとどまっています。

日米安保条約に基づいて、佐藤栄作は沖縄や横須賀の基地をアメリカ軍の駐留基地として開放。

アメリカ軍のベトナム戦争への参加を支援していました。国内でも、アメリカの支持する南ベトナムの独立を支援する民間運動が加熱してしたのです。

余談ですが、ベトナム戦争後、日本には多くのボートピープルと呼ばれる難民が押し寄せます。この減少は2015年まで続き、ベトナムが経済的復興を成し遂げるまで続くことになりました。

しかし彼らがやってきた当初、日本国内では社会主義反対派が多かったことは言うまでもありません。

戦争の勝敗は?

アメリカ大統領リチャード・ニクソンはあくまで「名誉の撤退」を模索していた

ベトナム戦争において、アメリカの明確な敗北宣言はありませんでした。しかし、勝利宣言もなく集結したため、事実上アメリカが敗戦した戦争でもあります。

東西冷戦の代理戦争としての性格と、ベトナム対アメリカの独立戦争としての性格を持ち合わせていたベトナム戦争。1973年1月29日、アメリカ大統領リチャード・ニクソンはベトナム戦争の終結を宣言し、アメリカ軍が撤退しました。

ベトナム反戦運動を報道する新聞記事

アメリカが敗退した戦争は、あとにも先にもベトナム戦争だけです。この敗戦はアメリカにとっては大打撃であり、ニクソン退陣後も彼はその責任を追求されました。

しかし、ベトナム国内の戦争はその後2年間続いたのです。結局、北ベトナムが勝利を収め、ベトナムが統一されたのはジュネーブ条約が発行された1976年4月まで待たなければなりませんでした。

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