アル・カポネが大衆文化に与えた影響
「史上最も有名なギャング」とされるアル・カポネは、様々な創作に影響を与えています。
とりわけケビン・コスナーが主演を務め、ロバート・デ・ニーロがアル・カポネを演じた映画『アンタッチャブル』は有名であり、現在でも映画史に残る名作として多くの人に親しまれています。
日本においても、宝塚歌劇団雪組が2015年に『アル・カポネ - スカーフェイスに秘められた真実 -』を演じて高い評価を得たほか、2016年には禁酒法時代の抗争をリアル路線で描いたテレビアニメ『91days』が放送されるなど、彼が大衆文化に与えた影響は計り知れません。
”ギャング”という褒められた職業ではないアル・カポネですが、彼がいなければ生み出されなかった文化があるということも、彼に関する歴史の非常に面白い側面ではないでしょうか。
アル・カポネのエピソード
「シカゴの実質的な市長と呼ばれた」
アル・カポネという人物の特質をエピソードとしては、まず「シカゴの実質的な市長」と呼ばれたことは外すことができません。
ジョニー・トーリオの地盤を受け継いだ彼は、密造酒の製造と販売や、売春宿、賭博場の運営、そしてそのような商売で得た資金を用いて市議会議員や警察組織などを買収して、自身の活動における地盤を固めました。
これにより地位を盤石なものにした彼は、年収6200万ドル(現代の貨幣価値で8億ドル以上)の年収を稼ぐ人物となり、これによって彼は「シカゴの実質的な市長」と呼ばれるまでに至ったのです。
「ランシングの人気者」
先のトピックでも少しふれたとおり、アル・カポネは冷酷なギャングである一方、仁義や筋を通す侠客としての一面も持ち合わせていました。その一面を示す代表的な事件が、マクスウィギン事件です。
事件の際、組の構成員の失敗によって指名手配をされたアル・カポネは、ミシガン州のランシングで逃亡生活を開始。しかし当時のランシングはブラック・ハンドの残党やパープル・ギャングによって搾取され、住民たちは安心して眠れない状況になっていました。
そこでアル・カポネは「ランシングの人達に手を出すなら、アル・カポネが相手になる」と布告。これによってランシングは脅威から解放されることになり、アル・カポネは一躍ランシングの街の人気者となりました。
また、その逃亡生活の中でアル・カポネは、貧しい家庭への生活費の援助や、苦学者への学費の援助。また、町の子供たちを連れてアイスクリームを買いに行ったなどの微笑ましいエピソードまで残しています。
「冷酷無慈悲なギャングのボス」であることは事実でもあるアル・カポネですが、ランシングの街の救い主として尊敬される一面があったことも、また確かなようです。
アル・カポネの名言
他人が汗水たらして稼いだ金を価値のない株に変える悪徳銀行家は、家族を養うために盗みを働く気の毒な奴より、よっぽど刑務所行きの資格がある。
後年のインタビューで語った、アル・カポネの価値観を示す一言です。自分のことを棚に上げた言葉とも感じられますが、後の年表を見ると少し見方が変わる言葉だと筆者は感じました。
俺は人々が望むものを与えてきた。なのに俺に返ってくるのは悪口だけだ
密造酒の販売について、後年に語ったアル・カポネの言葉です。アウトローらしい言葉でもありますが、同時に一般大衆が彼に向けた残酷な評価を示す言葉とも言えるでしょう。
アル・カポネにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「”ギャング”としては捕まっていないアル・カポネ」
暗黒街の顔役として、生涯のほぼ全てを裏社会で過ごしたアル・カポネ。その晩年は収監されている時間が非常に長く、刑務所内では他の囚人から冷遇されていましたが、実はアル・カポネは”ギャング”として罪に問われて収監されたわけではありません。
というのも、彼の逮捕のために動いた捜査官のチームは、最終的には彼の殺人への関与やアルコール類の密造に関する決定的な証拠を上げることができなかったのです。そのため最終的に彼らは、アルのことを「脱税」の容疑で起訴。彼はこれにより有罪判決を受けて収監されることになっています。
つまり、アル・カポネはギャングとしてというよりは、表の顔である実業家として逮捕されたとも言えます。そのような点からも彼の「暗黒街の顔役」とまで謳われた手腕を垣間見ることができるのではないでしょうか。
都市伝説・武勇伝2「実はかなりのインテリだった?」
一般にギャングと言えば、「粗野で粗暴で暴力的」「あまり頭が良くない」といったイメージで見られがちですが、アル・カポネはそのようなイメージとは異なり、かなりインテリな人物でもありました。
そのような側面は、彼の表向きの顔である実業家の側面からも確かに窺えますが、なにより妻との結婚に際して、建設事務所の簿記係に就職していることも、彼の地頭の良さを示すエピソードだと言えるでしょう。
また、アルが簿記係として働いていた頃に近所で働いていた人物は「彼は勤勉で頭の良い好青年だった」という証言を残しています。他にも製本工場やボーリング場などで働いていたことも記録され、そのどこでもアルは「頭のいい好青年」と評価されていたようです。
後に「暗黒街の顔役」として名をはせるアル・カポネですが、それは彼の暴力的な側面だけでなく、彼自身が非常に頭のいい人物だったからこそ、辿り着けた立場だったのかもしれません。