小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

アル・カポネとはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や禁酒法との関係も紹介】

1929年 – 30歳「聖バレンタインデーの虐殺」

当時の新聞記事。この事件が取り上げられたことで、アル・カポネの牽制は急速に陰っていくこととなる。

聖バレンタインデーの虐殺

シカゴの暗黒街の顔役として有名になったアルは、この頃ノースサイド・ギャングとの熾烈な抗争を繰り広げていました。

そのためアルは、ノースサイド・ギャングを率いるバッグズ・モランに密造酒の取引を持ち掛け、ノースサイド・ギャングの幹部を取引場所に集めたところで暗殺する計画を実行。到着が遅れたモランは九死に一生を得ましたが、これによりノースサイド・ギャングはカポネ組に歯向かえるだけの勢力を失うことになりました。

この暗殺事件は、警察の姿をしたヒットマンに暗殺を実行させ、取引場所に表れたノースサイド・ギャングのメンバーを、マシンガンとショットガンでハチの巣にするという凄惨かつ狡猾な事件として、マスコミに「アル・カポネの犯行」と大々的に取り上げられました。

聖バレンタインデーの虐殺、その余波

マスコミに”聖バレンタインデーの虐殺”が大きく取り上げられたことで、アル・カポネの権勢には陰りが生じ始めることとなります。

市民感情の高まりによって、いままでアルと実質的に癒着していた警察組織が、本腰を上げてアル・カポネの検挙へと乗り出すこととなったのです。

聖バレンタインデーの虐殺に関してこそ検挙を免れたものの、警察や行政の様々な部門がカポネの検挙に乗り出したことで、彼の時代は着々と終わりを迎えようとしていました。

1931年 – 32歳「転落」

禁酒法違反に伴って、アル・カポネの調査に当たったチーム”アンタッチャブル”のリーダー、エリオット・ネス

アル・カポネVS”アンタッチャブル”

市民感情が敵に回ったことから、アル・カポネは貧窮者への炊き出しなどで市民の支持を得ようと画策しますが、これらも失敗。

一方で行政側は、財務長官であるアンドリュー・メロンの号令の元、脱税容疑と禁酒法(ボルステッド法)の違反について、いよいよ本腰を入れてアル・カポネ一味に対する調査を開始しました。この時に禁酒法方面で調査を行ったチームの通称が、映画でも描かれる『アンタッチャブル』となっています。

そして最終的に、アル・カポネは脱税の容疑が認められて告発を受けることに。そしてこの年の10月に、いよいよ裁判が始まることとなりました。

キング・オブ・ギャングの転落

脱税裁判の結果、アル・カポネは11年の懲役と8万ドルの罰金という有罪判決を受けることになりました。カポネはこの宣告を受けた際、顔を引きつらせていたとの記録が残されています。

これは脱税にしては過大な刑だとも言えますが、実はアルは裁判の前に陪審員を買収しようとしていて、それを密告によって阻まれる形となっていました。そのため、その分が刑の内容に加算されたと見られることにも留意が必要です。

1931年~1939年 – 32歳~40歳「無残な刑務所生活」

全てを失った刑務所生活は、アル・カポネにとっては非常に過酷なものだった。

アトランタ刑務所への移送

当初はクック刑務所に入れられていたアルは、1932年5月に再審請求の棄却を受けることになりました。それからほどなくして、彼は家族に別れを告げ、列車でアトランタ刑務所に移送されることになります。

この移送の際には、”アンタッチャブル”のリーダーであったエリオット・ネスの立ち合いもあったようで、アルは彼と最初で最後の話をしたと記録されています。

アルカトラズ刑務所

1932年8月、今度はアルカトラズ刑務所へ移送が決定されたアルは、逃亡防止のために客車ごと船に乗せられ、孤島であるアルカトラズに移送されました。

ここで彼は従順に刑に服していましたが、他の囚人からは「wop with the mop(「モップを持ったイタリア野郎」と馬鹿にされるなど、シカゴでの権力など見る影もない待遇を受けることになってしまいました。

更にこの時期になると、若年期に感染した梅毒の症状が悪化。それに伴う心身の衰弱も手伝って、アルはもはや、在りし日の面影など何処にもない冴えない人物になり下がっていくこととなっていきます。

ストライキへの不参加

アル・カポネの心身衰弱はみるみるうちに悪化。彼の転落は止まらない。

1936年、アルカトラズで囚人によるストライキがありましたが、アルはこれに不参加を表明。これにより「妻と子を殺してやる」などの脅しを受けたアルは、あろうことか毛布にくるまって泣くという、かつての彼では考えられない行動に出ました。

これは梅毒に伴う精神の衰弱による痴呆症状だと思われますが、当時の看守や囚人たちからは「刑務所暮らしで頭がおかしくなった」としか見られていなかったようです。

その後も彼の症状はみるみるうちに悪化していきますが、彼が診療を受けて梅毒であると判明するのは、この二年後である1938年のことでした。

連邦矯正施設にて

1939年、いよいよ痴呆や心身衰弱が悪化したアルは、ロサンゼルス近くの嬌声施設に移され、そこで残りの刑期を過ごすことになります。

ここでアルと面会したFBI捜査官のD・W・マジーは、彼について「現実と妄想の区別がついていないように感じた」とコメントを残しており、実際にこの年の11月に釈放されたアルは、もはやかつての面影など何処にもない姿に変貌してしまっていたようです。

1947年 – 48歳「”暗黒街の顔役”の死」

刑務所での生活後、彼はほとんど暗黒街に戻ることなくこの世を去った。

治療に伴う実質的な隠居

出所したアルは、ボルチモアの病院で梅毒の治療を受けることになりましたが、既に進行しきった梅毒に治療は意味を成しませんでした。

これにより実質隠居に追い込まれたアルでしたが、彼の下には多くの暗黒街の人間が訊ねてきており、調子の良い時には兄弟たちと商談を行ったりと、アルの人生の中ではこの時期が、ある種最も穏やかな時期だったと言えるのかもしれません。

肺炎による死

穏やかな時期にも梅毒の進行は進み、民間人初のペニシリン投与も効果を成さず、こうしてアルは1947年1月25日に、脳卒中に伴う肺炎でこの世を去ることとなりました。

その死についてニューヨーク・タイムズは、「悪夢の終わり」と表現しましたが、彼の後を継ぐギャングがしばらくはシカゴの街を騒がせることになり、アル・カポネという人物の影響は、しばらく残り続けたようです。

アル・カポネの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

禁酒法―「酒のない社会」の実験

アル・カポネ自身に関する書籍というよりは、アル・カポネが活躍するに至った経緯や、その土壌となった禁酒法についてを説明する一冊です。

”禁酒法”という失敗に終わった法律については、この本一冊を読み込めば基本的には理解できるほどの優秀な書籍となっています。アル・カポネについてだけでなく、当時の社会情勢について知りたい方にお勧めの一冊が、この書籍です。

カポネ 人と時代 愛と野望のニューヨーク篇

アル・カポネがギャングとして名を上げるまでの前半生を描いた、資料に基づくノンフィクションの一冊です。

エピソードとしては弱い部分が多く、エンタメというよりは伝記の様相が強いため、アル・カポネという人物をより深く知りたいと言う方にお勧めの一冊だと言えるでしょう。

カポネ 人と時代 殺戮と絶望のシカゴ篇

ギャングとして名を上げたアル・カポネの絶頂期から転落までを描いた、資料に基づくノンフィクションの一冊です。

前段にあたる『愛と野望のニューヨーク篇』に比べるとエピソードが濃密で起伏に富んでいるため、面白さを重視するならこちらだけを読んでみてもいいような、エンタメとしても楽しめる一冊となっています。

おすすめの映画

アンタッチャブル

アル・カポネという人物を、全世界的に有名にしたのがこの作品です。酒類取締官であるエリオット・ネスと、密造酒業界の重鎮であるアル・カポネの戦いを描いた骨太の一作となっています。

単純に作品として面白く、アル・カポネという人物や禁酒法下の人々の心理状態などに触れるにはうってつけの作品だと言えます。ただし、アル・カポネやエリオット・ネスの描写については、かなり誇張されている部分が多いため注意が必要です。

おすすめドラマ、アニメ

ザ・アンタッチャブル どてっ腹に穴をあけろ

映画として有名な『アンタッチャブル』の元祖であり、アメリカ犯罪実録ドラマの草分けとなった名作として有名な作品です。

銃撃戦やアル・カポネ以外の有名な犯罪者とエリオット・ネスの対決など、エンタメ作品としての描かれ方が強いため、映画版を知っている方でも楽しめる作品となっています。

91 Days

禁酒法時代を舞台にした、日本のオリジナルアニメ作品です。近藤隆、江口拓也、斉藤壮馬といった人気と実力を兼ね備えた声優が多数起用されており、アニメファンからすると非常に入り込みやすい作品だと言えます。

アル・カポネ自体が登場するわけではありませんが、禁酒法時代の乾いた空気感が見事に表現され、スタイリッシュと退廃が見事に表現された名作だと言える作品です。

アル・カポネについてのまとめ

禁酒法時代のアメリカでギャングとして名を上げ、この世を去ってからも様々な創作の中で親しまれるようになったアル・カポネという人物。

行った行為そのものはけっして褒められることではありませんが、一方で彼の独自の美学やカリスマ性など、確かに人を惹きつける魅力を持った人物であるように、筆者は調査の中でも感じることがありました。

彼の言葉にもあった通り、彼が「人々が望むものを与えてきた」のもまた事実。”禁酒法”という時代に逆行する人物ではありましたが、その商才や義信を通す志については、きちんと評価される人物であるのかもしれません。

それでは、この記事にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。この記事が皆様にとってなにかの学びとなっていましたら光栄です。

1 2 3

コメントを残す