「日中戦争ってなに?」
「日中戦争はなぜ起きたの?」
「日中戦争の特徴や歴史について詳しく知りたい!」
この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。日中戦争とは、日本と中国の間で起きた戦争です。また、同時期に太平洋戦争が勃発し、日本は中国と戦いながらアメリカやイギリスなどの欧米諸国とも対立していました。
ただ日中戦争は長期にわたって続いたことや、開戦から終結、講和条約までの流れが複雑であることから、分かりづらい点も多々あります。
そこでこの記事では、日中戦争はなぜ起こったのか、また、日中戦争の特徴や歴史について詳しく紹介していきます。日中戦争の時期に活躍した歴史上重要な人物についても解説するので、ぜひ参考にしてください。
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日中戦争とは
日中戦争について簡単に解説
日中戦争は、日本と中華民国の間で起こった戦争です。1930年代初頭より、日本は中国大陸への侵略を開始しました。そして、1937年に起こった盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)をきっかけに全面戦争に発展したのです。
日本の侵略に対し、中国では内戦状態にあった共産党と国民党が手を組み、徹底抗戦を続けました。そして、戦争の長期化に伴い、日本は国家総力戦を挑んだのです。しかし、太平洋戦争が始まると、日本は次第に後退を余儀なくされていきました。
最終的に、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、日中戦争は中国の勝利に終わりました。その後、中国では再び内戦が勃発し、共産党が勝利して中華人民共和国が成立。一方で、国民党政府は台湾へと逃亡しました。
日中戦争の呼び名
当初、日本側はこの戦争を日中戦争ではなく「支那事変(しなじへん)」と呼称していました。支那とは、中国を指す地理的な名称であり、中国初の統一王朝である秦が語源とされています。
それではなぜ「戦争」ではなく「事変」と呼ばれていたのでしょうか。その理由は、1937年に発生した盧溝橋事件の時点で戦闘状態になっていたにもかかわらず、1941年に太平洋戦争が勃発する際まで両国は共に宣戦布告を行っていなかったことにあります。事変とは、様々な非常事態や暴動、小規模な紛争、宣戦布告のない戦争状態などが起こった際に使用される言葉です。
また、戦時下における太平洋戦争は、日中戦争を含めて大東亜戦争と呼ばれていました。しかし、戦後になるとこの呼称はGHQによって禁止されてしまいます。GHQとは、連合国軍最高司令官総司令部を指しており、戦後日本において占領政策を行いました。その結果、日本のメディアでは大東亜戦争という名称の使用はタブー視されるようになったのです。
日中戦争の目的・原因
大東亜共栄圏の確立が後付けの目的
大東亜共栄圏の確立とは、第二次近衛文麿内閣によって提唱された日本の外交政策です。この構想によって、アジア諸国は西欧帝国主義の支配から解放されると主張し、大東亜戦争の開戦目的としました。大東亜共栄圏とは、日本を盟主とするアジア地域のブロック経済圏です。
しかし、突発的な事件によってなし崩し的に始まった日中戦争には、当初の段階で明確な開戦目的はありませんでした。そのため、日本の自存自衛とアジア解放を掲げる大東亜共栄圏の確立とは、戦争が始まってしばらく時間が経過した後に打ち出された戦争目的なのです。
一方で、日本軍の侵略を受けた中国の国民革命軍は、存亡をかけた徹底抗戦を目的として戦いました。そして、アメリカの支援を受けながらゲリラ戦を展開したのです。
戦争勃発のきっかけは盧溝橋事件
盧溝橋事件とは、中国の北京郊外の盧溝橋において発生した、日中両軍による軍事衝突です。この事件は、日中戦争勃発のきっかけとなりました。
日中両軍が軍事衝突に至った原因は、夜間演習中の日本軍を狙った何者かによる発砲であったとされています。そして、翌朝に日本軍が中国軍の駐屯地を攻撃したことにより、交戦状態に突入してしまったのです。
最終的に、停戦協定の交渉が行われましたが、日本側が提示した条件は中国軍の陳謝や盧溝橋からの撤退などの過大な要求でした。その結果、中国政府は停戦協定の提示を拒否し、日中両軍は再び衝突。そして、長期にわたって続くことになる日中戦争が始まるのです。
日中戦争の結果・影響
日本のポツダム宣言受諾
日中戦争および太平洋戦争は、日本のポツダム宣言受諾によって終結しました。ポツダム宣言とは、ベルリン郊外のポツダムで開催された会談の中で発表された、日本に対する降伏勧告宣言です。
当初、日本はポツダム宣言を黙殺していましたが、アメリカによる原子爆弾の投下やソビエト連邦の宣戦布告などにより、最終的には降伏を決意。その結果、日本は第二次世界大戦における敗戦国となりました。
そして、このポツダム宣言には、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦の各首脳陣に加えて、中華民国の主席である蒋介石も署名していたため、長く続いていた日中戦争も日本の敗北として終わったのです。
中国で第二次国共内戦勃発
第二次世界大戦終結後、中国で第二次国共内戦が始まります。国共内戦とは、中国国民党と中国共産党による内戦です。両勢力は、日中戦争においては協力関係にありましたが、それ以前は内戦状態にあったため、戦後の内戦を第二次国共内戦と呼称します。
内戦勃発当時は、アメリカの支援を受けていた国民党が優勢でした。しかし、農村地域での土地改革を推し進めていた共産党は、次第に支持を拡大していきました。その結果、共産党が勝利し、北京を首都とする中華人民共和国を建国したのです。
そして、国民党の蒋介石率いる中華民国政府は台湾へ逃れました。当初、国際連合の代表権は中華民国政府が保有していました。しかし、1971年になると、アメリカはそれまで対立していた中華人民共和国政府との国交を樹立します。その結果、国際連合の代表権は中華人民共和国に移ってしまったのです。
司馬遼太郎氏、吉川英治、山岡荘八各氏のように極東の近現代史を題材にした、歴史文学を著作するつもりで学ぶとかなり違います。