日中戦争とは?原因や結果、日本がしたことを年表で詳しく紹介

日中戦争における歴史上重要な人物

内閣総理大臣・近衛文麿

日中戦争時に内閣総理大臣を務めた近衛文麿

近衛文麿とは、日中戦争の渦中において3度にわたり首相を務めた人物です。近衛内閣は、当初は戦火の拡大を望まない方針をとっていました。しかし、軍部に押される形で日中戦争を長期化させることになり、結果的には戦時体制を整えた政府となったのです。

近衛文麿内閣による戦時体制下において定められた法律として、代表的なものが国家総動員法です。国家総動員法とは、国家が保有する人的、物的資源を政府が統制して運用することができるようになる法律であり、総力戦を目的として全ての国力が軍需へ注ぎ込まれました。

また、近衛文麿は中国への侵略行為によって日本と欧米の連合国諸国との関係が悪化する中で、アメリカとの関係回復を目指して日米交渉を行いました。しかし、アメリカに対して強硬路線を主張する陸軍大臣東條英機と対立。最終的に、日米交渉は失敗に終わり、近衛文麿内閣は総辞職に追い込まれたのです。

陸軍大臣東條英機は近衛文麿内閣が総辞職した後、首相に就任した

中国国民党の指導者・蒋介石

中国国民党の指導者蒋介石

蒋介石とは、中華民国政府の国家主席であり、反共産主義者でありながら日中戦争において対立関係にあった中国共産党と協力し、抗日戦線を指導した人物です。また、中国国民党が組織した国民革命軍の幹部養成学校である黄埔軍官学校の校長も務めました。

日中戦争時、国共合作により誕生した抗日民族統一戦線は、アメリカやイギリスの支援を受けながら日本軍の侵略に対抗します。その後、太平洋戦争が始まると中華民国は正式に連合国の一員となりました。その結果、蒋介石はカイロ会談への参加や、ポツダム宣言への署名をすることになるのです。

しかし、戦後に再び巻き起こった国共内戦で共産党に敗北すると、蒋介石率いる国民党は台湾へ逃れることになります。最終的に、蒋介石は台湾に樹立した中華民国国民政府において総統に就任しました。

中国共産党の指導者・周恩来

中国共産党の指導者周恩来

中国共産党の指導者である周恩来は、後に中華人民共和国の国家主席となる毛沢東を、卓越した外交術によって支えた人物です。そして、日中戦争においては国民党との協調に尽力しました。

1936年、中国国民党内で西安事件が発生しました。西安事件とは、国民党の張学良が蒋介石を監禁し、国共内戦の停止を迫った事件です。そして、その際に蒋介石を説得した人物の1人が周恩来だったのです。その結果、内戦は停止し、国共合作が成立。結果的に、周恩来の説得は中国を勝利へと導いたのです。

戦後、周恩来は1949年に成立した中華人民共和国において初代首相を務めました。そして、米中関係の改善や日中国交正常化などを行い、優れた外交手腕を生涯にわたって発揮したのです。

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1 COMMENT

匿名

司馬遼太郎氏、吉川英治、山岡荘八各氏のように極東の近現代史を題材にした、歴史文学を著作するつもりで学ぶとかなり違います。

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