日中戦争における歴史上重要な出来事・歴史年表
1928~1932年 – 「張作霖爆殺事件、満州事変、第一次上海事変が勃発」
張作霖爆殺事件
1928年、日本の支援を受けていた奉天軍閥の指導者であり、満州の統治者であった張作霖(ちょうさくりん)が、遼東半島と南満州鉄道の守備のために置かれていた日本の陸軍部隊である関東軍による列車爆破によって暗殺されました。
関東軍の目的は、中国東北地方に位置する満州の直接支配でした。しかし、張作霖を失った奉天軍閥では、息子の張学良が実権を掌握。そして、それまで対立していた国民政府の蒋介石と連携を図ることを表明しました。
その結果、日本は満州地方の実権を握るためにこの事件を決行したにもかかわらず、分断されていた中国の統一が行われ、満州情勢は日本にとって不利な方向へ傾き始めたのです。
満州事変
1931年、日本軍による満州侵略戦争が勃発。この戦争も、関東軍による独断で決行されたものであり、関東軍は政府の方針を無視して武力紛争を拡大させたのです。
この満州事変のきっかけは、柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)にありました。柳条湖事件とは、奉天郊外にある柳条湖で南満州鉄道が爆破された事件です。この爆破は、関東軍が自ら実行したものでしたが、関東軍はこの事件の実行犯は中国軍の張学良であると発表し、満州で軍事行動を起こすための口実にしたのです。
第一次上海事変
満州事変の翌年、欧米列強が共同管理していた上海において、日本軍と中国軍の武力衝突が発生しました。この第一次上海事変は、満州国に集中していた欧米各国の目線をそらす目的で引き起こされたのです。
その結果、日本軍の撤退と中国軍の駐兵制限区域を定めた上海停戦協定が成立し、第一次上海事変は終わりましたが、中国国内における反日感情はさらに高まっていきました。そして、当時の中国政府は、満州事変を発端とした日本の侵略行為を国際連盟に訴えていたため、連盟加盟国の間では日本に対する不信感が急激に高まり、日本の国際的な立場がさらに悪化していったのです。
1933年 – 「日本が国際連盟を脱退」
1933年、日本は国際連盟から脱退します。この決定により、これ以降の日本は国際的に孤立する道を歩むことになるのです。
1932年、日本による満州国の建国を受けて、中国は国際連盟に対して満州国建国の無効化と日本軍の撤退を求めて訴えました。その後、国際連盟は満州事変の実態を調べる目的で、リットン調査団を派遣。その後、リットン調査団は日本、満州、中国の各地を視察しました。
その結果、リットン調査団は中国東北地方における日本の権益を承認しながら、満州事変に始まる一連の軍事行動は自衛とは言い難く、侵略行為であったとする報告書を発表。そして、日本はこの報告に不服であるとして、国際連盟から脱退することを通告したのです。
1936年 – 「蒋介石が拉致監禁された西安事件」
1936年に国民革命軍の張学良らが、指導者である蒋介石を拉致監禁した西安事件が起きました。
西安事件を起こした張学良は、監禁した蒋介石に国共内戦の停止と抗日戦線の形成を迫ります。当初、蒋介石は中国共産党との協力を徹底的に拒みました。しかし、そこへ中国共産党の周恩来が蒋介石を説得するために駆け付けました。その結果、蒋介石は内戦の停止に合意したのです。
1937年 – 「日中戦争勃発」
日中戦争は、1937年の盧溝橋事件をきっかけに始まったとされていますが、日中関係は満州事変の段階で、既に事実上の戦争状態でした。そして、1937年以降に日中間の戦火はさらに拡大し、日中は全面戦争へ突入しました。
7月 – 盧溝橋事件
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋において、日本軍と中国軍の軍事衝突が発生しました。この盧溝橋事件が、日本と中国による全面戦争の発端となったのです。
この事件が軍事衝突に至った原因は、日中どちらかによる発砲とされており、誰が発砲したのかは未だにわかっていません。しかし、日本軍はこの発砲を口実に自衛権を発動し、宣戦布告なしに事実上の戦争を開始したのです。
その後、停戦協定の交渉に入りましたが、日本側が提示した条件は中国側にとって屈辱的な内容でした。その結果、日本に対して武力行使を行うことを決意した蒋介石はこれを拒否し、徹底抗戦の意思を表示したのです。
8月 – 第二次上海事変
1937年8月13日、第二次上海事変が発生しました。上海では、1932年に起こった第一次上海事変の影響を受け、日本軍と中国軍の関係は一触即発の状態が続いていたのです。
しかし、上海停戦協定によって非武装地帯となっていたはずの上海において、大山事件が発生しました。大山事件とは、上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵一等水兵が中国保安隊によって射殺された事件です。
その結果、日中両軍の軍事衝突が発生し、第二次上海事変が勃発。その後、中国軍による空爆や日本軍の増兵が行われて日中間の争いはさらに深刻化します。そして、日中戦争は泥沼化し、本格的な全面戦争へと発展したのです。
司馬遼太郎氏、吉川英治、山岡荘八各氏のように極東の近現代史を題材にした、歴史文学を著作するつもりで学ぶとかなり違います。