ルソーってどんな人物?【思想や文学作品、人物像まで詳しく解説】

1753年 – 41歳「『人間不平等起源論』を執筆」

人間の不平等はどこから来た?

1753年、ルソーは41歳で『学問芸術論』に続いて後世まで語り継がれる論文を執筆します。『人間不平等起源論』です。こちらもアカデミーが募った懸賞論文用に書かれました。

テーマは「人間間における不平等の起源は何か、それは自然法に容認されるか」です。ルソーはこのテーマに対して、他の誰にも考えつかなかった返答をします。

本来人間とは無垢な存在であり、平等な自然状態に生きていたとルソーは考えました。しかし、文明化によって富をめぐって人々は争い、結果的に専制国家によって不平等が確立されたと論じたのです。

『人間不平等起源論』は当時の絶対王政を批判するものであり、現実社会の理不尽さを突きつける画期的な論文でした。

1755年 – 43歳「リスボン地震が発生」

地震や津波で破壊されるリスボンの街

ルソーは『学問芸術論』や『人間不平等起源論』によって名声を得ることができ、友人のディドロらが編集した『百科全書』にも論文を寄稿します。

友人との交流も上手くいき始めていた時、大きな天災が起こりました。ポルトガルの首都リスボンで起きたリスボン地震です。10万人以上の死傷者が出る大惨事となりました。

この震災についてルソーは「都市の過密さが原因である」と論じましたが、『百科全書』の仲間ヴォルテールは神の非情さであると論じ意見が対立します。その後もルソーの故郷ジュネーヴの劇場の有無などで意見が決定的に異なったこともあり、ルソーは友人達と決別しました。

1762年 – 50歳「『社会契約論』を執筆」

社会契約論の表紙

1762年、50歳になったルソーは独自の思想を完成させます。それが冒頭でも紹介した『社会契約論』です。

17世紀の哲学者トマス・ホッブズやジョン・ロックが論じた「社会契約説」を更に独自の視点で解説。当時の絶対王政を批判し、人民主権の必要性を説きました。

『エミール』の出版

ルソーは『社会契約論』と同時に文学作品『エミール』も出版します。『エミール』では子どもの教育に対して「個人の尊重と自由」の重要性を説き、「自然・人間・事物による教育」を軸としました。

自然教育は子どもの成長、人間教育は大人から学ぶこと、そして事物教育は経験による学びを示しています。

現代の教育があるのはルソーのおかげ

ルソーは子どもの年代や個性に応じた教育が必要であるとしたのです。近代教育の先駆けとも呼ばれる教育論からルソーは「子どもの発見者」とも呼ばれています。

ルソーへの迫害が始まる

『人間不平等起源論』や『社会契約論』、『エミール』など名著を出版してきたルソー。しかし、それをよく思わない人も存在しました。当時のフランス社会を牛耳っていた政治家や貴族、カトリック教会の人々です。

自身の本の中でルソーはフランスの社会情勢やカトリック教会を否定する思想を展開していました。特にカトリック教会の人々にとってルソーの思想は危険思想とみなされます。

これにより、ルソーはひどい迫害を受け亡命を余儀なくされました。逮捕状が出る前日に亡命し、スイスや故郷のジュネーブなどに逃げます。そして、最終的にはフランス貴族のコンティ公に保護されつつ、イギリスへ逃げることになったのです。

1766年 – 54歳「イギリスへ逃げる」

イギリスの都市ロンドンの街並み

ルソーは友人で哲学者のデイヴィッド・ヒュームによりイギリスの首都ロンドンへたどり着きます。ロンドンの滞在中にルソーは大歓迎を受け、イギリス国王でさえもルソーを訪ねました。

ヒュームはルソーのために多くの手を尽くしてくれましたが、ルソーはだんだんとヒュームを疑うようになります。この頃のルソーは被害妄想が酷く統合失調症のような状態でした。最終的にルソーはヒュームと絶交します。

1768年 – 56歳「フランスへ帰国」

ルソーのフランス帰国を助けたコンティ公

イギリスにいられなくなったルソーは再びフランス貴族のコンティ公を頼りました。コンティ公はとある城にルソーを匿い、一年間そこで暮らすように取り計らいます。

この時のルソーの精神状態はイギリスで暮らしていた頃よりも悪化しており、「暗殺者が自分を狙っている」「食事に毒が入っている」などの妄想がひどくなっていました。

自伝『告白』の完成

まともな執筆活動ができない最中、パリへと戻ったルソーは何とか執筆活動を再開し自伝『告白』を完成させます。この頃は長年の恋人であったテレーズと結婚もしており、表面的には健康的な生活を取り戻していました。

1778年7月 – 66歳「ジャン=ジャック・ルソー死去」

ルソーの墓碑があるジャン=ジャック・ルソー公園

ルソーの晩年は精神的にも身体的にも辛い日々だったといえます。それでも、好意を寄せてくれる侯爵のもとで病に苦しむ妻テレーズを看病しつつ、趣味の植物採取を楽しんでいました。

しかし、ある日侯爵の娘にピアノを教える支度中にルソーは倒れてしまいます。原因は尿毒症とされ、すぐに容態は悪化してルソーは66歳でこの世を去りました。

1789年「フランス革命勃発」

フランス民衆がバスティーユ監獄を攻撃

ルソーが亡くなった11年後。フランス民衆がフランス王族相手に反乱を起こすフランス革命が勃発します。フランス王族や宮廷貴族が極度の財政難を解決するために国民への課税を行おうとしたことがきっかけでした。

革命以前のフランス社会は国王の権力が絶対的でしたが、ルソーの『社会契約論』により徐々に民衆の中にも絶対王政への批判が高まっていたのです。民衆はバスティーユ監獄を攻撃し王族は処刑され、王政も廃止しました。そして、フランス人権宣言をもとにフランスは市民社会へと変化します。

ルソーの著書『社会契約論』の思想をもとに民衆が動き出し、ルソーが理想とした人民主権の国家が誕生したのです。生前のルソーの想いが報われた瞬間でした。

ルソーの遺骨がパリのパンテオンに埋葬される

パリのパンテオン

フランス革命後、ルソーは革命に大きな影響を与えた偉大な人物として評価されます。その結果、1794年にルソーの遺骨は偉大な人物たちを祀るパリのパンテオンに埋葬されたのです。

ルソーの関連作品

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人と思想 14 ルソー

ルソーの思想について『社会契約論』や『エミール』などの著書をもとに分かりやすく説明しています。教科書を出している出版社のためか学生向けの参考書にもなりますね。哲学本を読むのは初めての方におすすめの本です。

今こそルソーを読み直す

ルソーの考えた社会のあり方や理想的な教育方法などを網羅的にまとめてあります。難しい用語の解説付きです。政治哲学の基礎知識を知っており、もう少し詳しくルソーの哲学を学びたい方におすすめします。

エミール

ルソーの著書であり、彼の考えた教育論を小説という形にした本です。主人公エミールの生涯を通して人間の人生や自然の重要性を読者に伝えています。難しい哲学書ではなく小説なので気軽に読めるルソーの著書と言えるでしょう。

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第83位:ジャン=ジャック・ルソー 世界史に影響を与えた人物ランキング

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ルソーについてのまとめ

生前は貧困や迫害に苦しみ、不安定な生活を送っていたルソー。その生涯は決して順風満帆とは言えないものだったでしょう。

しかし、苦しみのなかで彼が書き上げた『社会契約論』や『エミール』などの哲学思想や教育論は現代の私たちの生活の礎になっています。

生前にルソーの功績が正しく評価されなかったのは悲しいことですが、死後に改めて認められたことで数百年経った現代の哲学者や思想家の研究資料となっていることは喜ばしいことでしょう。ルソーが教えてくれた思想を理解し、私たちに相応しい社会を築いていけるといいですね。

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