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ルソーってどんな人物?【思想や文学作品、人物像まで詳しく解説】

ルソーとは、18世紀フランスを中心に活動した哲学者です。社会契約説という思想を解説した『社会契約論』の著者として知られ、その他に『エミール』『人間不平等起源論』などを出版しています。

いずれの著書も人間と社会の在り方について深く掘り下げ、王政や階級社会を批判するものでした。その結果、ルソーは弾圧を受けて亡命生活を余儀なくされました。

ジャン=ジャック・ルソー

しかしながら彼の思想は多くの哲学者や革命家に影響を与え、1789年のフランス革命ではルソーの思想を基盤とした「フランス人権宣言」が作られました。生前はあまり注目を浴びなかったものの、死後には革命を起こすほどの影響を与え思想を広めたルソー。

そんな彼の生涯は貧困や孤独、愛人生活など波乱や刺激に満ち溢れたものでした。ここではルソーの生涯や思想、人物像から著書に至るまでを「人生とは何か」「社会とはどうあるべきか」と常に探求心を持つ筆者が詳しく紹介していきます!

ルソーとはどんな人物か

名前ジャン=ジャック・ルソー
誕生日1712年6月28日
没日1778年7月2日
生地ジュネーヴ共和国(ジュネーヴ)
没地フランス王国(エルムノンヴィル)
配偶者テレーズ・ルヴァスール
埋葬場所フランス(パリのパンテオン)

ルソーの生涯をハイライト

1766年当時のルソー

ジャン=ジャック・ルソーは、時計職人の父と裕福な家柄で育った母との間に生まれました。母を幼い頃に亡くしたルソーは父親や叔母から教育を受けます。7歳の頃から歴史書や小説を読みふけり、すでに思想家としての片鱗を見せていました。

その後、父親の失踪を機にわずか10歳でルソーは孤児となります。寄宿舎や奉公先での孤独な辛い日々を経て、放浪者になったルソーは養育者となるヴァランス夫人や改心するきっかけをくれた助任司祭に出会いました。

ルソーの少年時代は貧しく孤独だった

ヴァランス夫人のもとで様々な学問を独学で学んだルソー、放浪生活の中で農村や都市部における不平等な社会の現実を痛感します。そして、30歳でパリの学界に登場し『学問芸術論』『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』などの名著を執筆しました。

徐々に知名度を上げる一方、ルソーの著書が当時の政治体制や宗教観を否定する内容だったため強い批判や迫害を受けます。その結果、ルソーはスイスやイギリスへ亡命。やがて、フランスへ帰国し自伝『告白』を執筆し、尿毒症により66歳でこの世を去りました。

ルソーの思想は当時のフランスでは画期的過ぎた

生前は批判を浴び続けたルソーの思想でしたが、1789年のフランス革命には大きな影響をもたらしました。ルソーの思想が民衆の心を掴み革命に大きく貢献したのです。死後から11年の時を経てルソーの功績はフランスに認められ、遺体はパリのパンテオン(偉人を祀る霊廟)に移されました。

貧しい生活から哲学者へ

ルソーの故郷であるジュネーヴ共和国

ルソーの幼少期は決して裕福とは言い難いものでした。母親の死後は上流階級の住む地区から庶民が住む地区へと移住し、父親と叔母から教育を受けます。この頃のルソーはとても勤勉で小説から歴史書まで幅広い本を読んでいました。

しかし、父親の失踪から生活は一変。わずか10歳で孤児となり、従兄弟とともに牧師に預けられます。郊外の寄宿舎で牧師の妹に理不尽な折檻や虐待を受けながら暮らしました。この寄宿舎での生活をきっかけにルソーは支配力への憤りを強めたといわれています。

13歳で彫金師のもとへ奉公に出るも、その頃のルソーは脱走や盗みを繰り返す不良少年となっていました。しかし、助任司祭の助言や薬品事故による体調不良から人生を見つめ直し更生、独学で哲学や音楽の勉強を始めます。その後、『学問芸術論』『人間不平等起源論』『社会契約論』などの哲学書を執筆。教育論小説『エミール』も執筆し、反響を呼ぶ哲学者となりました。

近代民主主義の父となる

現代の民主主義はルソーのおかげ

ルソーは著書『社会契約論』で民主主義思想を世に広めました。民主主義とは、国民が主権を持ち国民によって政治が行われる国家を指します。

ルソーは『社会契約論』にて直接民主制*や一般意志*など、当時の王政国家を真っ向から否定する民主主義の思想を展開したのです。それにより、迫害を受けて亡命することになりましたが、ルソーの近代民主主義の教えは今もなお語り継がれています。

*直接民主制:代表者を介さず共同体の意思決定に直接的に参加する政治制度

*一般意志:国民が持つ政治的な意志をまとめた政治思想

フランス革命に影響を与える

フランスの民衆を導く自由の女神

近代民主主義の父となったルソーの思想は、フランス革命に影響を与えました。フランス革命はルソーの死後から11年経った1789年に勃発した貴族と民衆の闘いです。

ルソーが生きていた頃のフランスは絶対王政であり、国王が政治的な権力の全てを握っていました。それに不満を持った民衆が王族や貴族を攻撃し、絶対王政を倒して民主主義を確立したのです。ルソーは生前に民主主義のあり方を唱えていたため、フランス革命の根本的な思想につながりました。

また「人は生まれながらにして自由であるのに、至る所で鉄鎖に繋がれている」というルソーの言葉は革命のスローガンに使用され、フランス人権宣言もルソーの思想に基づき構成、ルソーは死後にやっと名声を得ました。

ルソーの「社会契約論」とは何か

『社会契約論』はルソーの渾身の一作だった

ルソーの「社会契約論」とは、当時流行していた「社会契約説」を独自の視点から紐解いた代表的著書です。

内容は「国民が個人的な利益を求めず純粋に国家のための政治思想(一般意志)を持ち、行使することで平和かつ平等な社会が生まれる」というものであり、国民がいてこそ社会が成立すると説いています。

まだ国家も社会も成立していない状態を「自然状態」と呼び、そこで暮らす人間たちは争いもなく平和かつ自由であったと考えました。しかし、文明化とともに社会形成が始まると人間は争うようになるため「社会は国民との契約のもとに成立する」という学説「社会契約」が必要であると説いたのです。

「国民全員が国家のための政治思想(一般思想)を持つ」という点が少し理想的ではありますね。しかし、ルソーの考える「社会契約」が実現すれば世の中の戦争や格差社会は圧倒的に減少していくでしょう。

社会契約論とは?意味や誕生した時代背景、与えた影響まで解説

ルソーの功績

功績1「現代の民主主義にもつながる著書『社会契約論』を執筆」

『社会契約論』は民主主義の原点!

上記でも述べたように、ルソーといえば『社会契約論』の著者として有名です。ルソーは「社会契約説」を17世紀の哲学者であるトマス・ホッブズやジョン・ロックから受け継ぎました。

そして彼独自の視点で社会契約説を説いた『社会契約論』は当時のフランス社会に大きな影響を与え、絶対王政から民主主義への変化に対する重要性を示したのです。

ルソーの『社会契約論』はフランスやヨーロッパだけでなく日本語にも翻訳されており、日本の民主主義にも影響を与えました。また、『社会契約論』の内容は現代の民主主義にもつながるとして現代哲学者の研究対象にもなっています。

功績2「文学作品『エミール』から近代教育の基盤を築く」

どんな時代も子供は国の宝物

ルソーの有名な著書は『社会契約論』だけではありません。文学作品『エミール』もその一つです。『エミール』は近代教育学の古典として知られており、子どもの自由や人格を尊重してそれぞれの子どもの発達に沿った教育をすべきだと述べています。

また、一見難しい内容のように思えますが、小説のように読みやすく描かれてています。ルソーは主人公エミールの半生を通じて「個性の尊重と自由を中心とした教育観」を論じて近代教育の基礎を築きました。

当時としては素晴らしく画期的な教育論でしたが、『エミール』の中では当時の社会情勢や宗教思想を批判する内容が書かれていました。その結果、ルソーは亡命生活を送ることになったのです。

功績3「ドイツや日本の思想家に影響を与えた 」

『社会契約論』や『エミール』など数々の名著や思想を展開したルソーは、多くの哲学者や思想家に影響を与えました。その中でも一番影響を受けたとされるのがドイツの哲学者イマヌエル・カント(ドイツ)です。

カントはある日ルソーの文学作品『エミール』を一日中読み続けてしまい周りを大騒ぎさせたという逸話があるほど、ルソーを高く評価・尊敬していました。他にもイギリスの哲学者やヨーロッパから遠く離れたロシアの作家や日本の思想家にも影響与えたとされています。

ルソーの名言

人間とは本質的に善いものであり、堕落しているのは社会のほうである。

著書『社会契約論』で述べているように、人間は自然状態では平和に善い生き物として暮らしていたのに文明化によって堕落したことを示しています。現実の社会問題にも通じる言葉ですね。

人は生まれながらにして自由であるのに、至る所で鉄鎖に繋がれている。

これは『社会契約論』の冒頭部分に書いてある言葉ですが、他のルソーの著書でも似たような文章があります。鉄鎖とは社会上で生じる義務のことを指しており、どんなに自由な国家であっても義務からは逃れられないことを表しているのです。これはフランス革命のスローガンにもなっています。

自由を放棄することは、人間としての性質を放棄することである。

ルソーは人間や社会の自由と平等を何よりも望んでいた人物です。文明化以前の人間は自由を謳歌していたのだから、自由を手放すことは人間の本質を手放すことであるとルソーは考えたのでしょう。

ルソーの人物相関図

ルソーの人物相関図
ルソーの相関図

ルソーにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「あの有名な台詞はルソーがきっかけ!?」

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という台詞を知っていますか?実はこの台詞、ルソーの自伝『告白』の第6巻に書かれている文章から広まりました。

とうとうある王女がこまったあげくに言ったという言葉を思いだした。百姓どもには食べるパンがございません、といわれて、「ではブリオッシュ(パン菓子)を食べるがいい」と答えたというその言葉である。

上記の文章から「ある王女」は当時のフランス王妃マリー・アントワネットであるとされ、彼女はフランス国民から批判を浴びることになります。当時のフランスは食糧難であり、国民は貧困に苦しみ主食のパンすら買えずにいました。そんな人々に対してパンよりも高価なお菓子を食べろという台詞はとても無知で傲慢なものです。

マリー・アントワネットは美しい容姿でしたが浪費家で無知な性格だったため、この台詞を言ったと噂されたのでしょう。しかし、ルソーがこの文章を書いた時、彼女はまだ9歳でオーストリア在住でした。そのため現在では間違いだと認められています。

マリー・アントワネットの名言「パンが無ければ…」の真相とは?人物像や時代背景とともに紹介

都市伝説・武勇伝2「実は露出狂で恋愛体質?」

偉大な哲学者にも弱点はある

哲学者や思想家として偉大な人物とされるルソーですが、そんな彼にも人には言えない秘密がありました。露出癖とマゾヒズム(屈辱感などに性的快感を覚えること)の性癖を持っていたのです。

幼少期の寄宿生活で牧師の妹に折檻されたことからマゾヒズムの性癖が生まれ、女の子の前で下半身を露出させて捕まったこともありました。また真面目な哲学者と言いづらく、恋愛体質な性格でもあったのです。

14歳も年上のヴァランス夫人と愛人関係になり、テレーズという女性との間に5人も子どもを作った後も複数の女性に恋愛感情を抱いていました。ルソーは人生において常に人間に恋をしていたのです。

都市伝説・武勇伝3「晩年は被害妄想に苦しむ」

苦しみに満ちた晩年のルソー

ルソーの生涯は決して順風満帆ではなく、常にお金に困っていました。他人に頼ることで生きており、迫害や亡命によって晩年は精神状態がひどく悪化してしまいます。毒殺や暗殺者がいるなどの被害妄想に苦しみ、怯えながらの暮らしをしていたのです。

「自分の思想によって国から迫害されている」と状況はルソーにとって恐怖そのものであり、研究を続けながらも彼の精神は徐々に追いつめられていきました。

最後には尿毒症で倒れ、66歳でこの世を去ります。皮肉なことにルソーの功績は彼の死後に認められ、生前に苦しんだ貧困や精神病は死後に報われることになりました。

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