ルソーってどんな人物?【思想や文学作品、人物像まで詳しく解説】

ルソーとは、18世紀フランスを中心に活動した哲学者です。社会契約説という思想を解説した『社会契約論』の著者として知られ、その他に『エミール』『人間不平等起源論』などを出版しています。

いずれの著書も人間と社会の在り方について深く掘り下げ、王政や階級社会を批判するものでした。その結果、ルソーは弾圧を受けて亡命生活を余儀なくされました。

ジャン=ジャック・ルソー

しかしながら彼の思想は多くの哲学者や革命家に影響を与え、1789年のフランス革命ではルソーの思想を基盤とした「フランス人権宣言」が作られました。生前はあまり注目を浴びなかったものの、死後には革命を起こすほどの影響を与え思想を広めたルソー。

そんな彼の生涯は貧困や孤独、愛人生活など波乱や刺激に満ち溢れたものでした。ここではルソーの生涯や思想、人物像から著書に至るまでを「人生とは何か」「社会とはどうあるべきか」と常に探求心を持つ筆者が詳しく紹介していきます!

この記事を書いた人

Webライター

岩野 祐里

Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。

ルソーとはどんな人物か

名前ジャン=ジャック・ルソー
誕生日1712年6月28日
没日1778年7月2日
生地ジュネーヴ共和国(ジュネーヴ)
没地フランス王国(エルムノンヴィル)
配偶者テレーズ・ルヴァスール
埋葬場所フランス(パリのパンテオン)

ルソーの生涯をハイライト

1766年当時のルソー

ジャン=ジャック・ルソーは、時計職人の父と裕福な家柄で育った母との間に生まれました。母を幼い頃に亡くしたルソーは父親や叔母から教育を受けます。7歳の頃から歴史書や小説を読みふけり、すでに思想家としての片鱗を見せていました。

その後、父親の失踪を機にわずか10歳でルソーは孤児となります。寄宿舎や奉公先での孤独な辛い日々を経て、放浪者になったルソーは養育者となるヴァランス夫人や改心するきっかけをくれた助任司祭に出会いました。

ルソーの少年時代は貧しく孤独だった

ヴァランス夫人のもとで様々な学問を独学で学んだルソー、放浪生活の中で農村や都市部における不平等な社会の現実を痛感します。そして、30歳でパリの学界に登場し『学問芸術論』『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』などの名著を執筆しました。

徐々に知名度を上げる一方、ルソーの著書が当時の政治体制や宗教観を否定する内容だったため強い批判や迫害を受けます。その結果、ルソーはスイスやイギリスへ亡命。やがて、フランスへ帰国し自伝『告白』を執筆し、尿毒症により66歳でこの世を去りました。

ルソーの思想は当時のフランスでは画期的過ぎた

生前は批判を浴び続けたルソーの思想でしたが、1789年のフランス革命には大きな影響をもたらしました。ルソーの思想が民衆の心を掴み革命に大きく貢献したのです。死後から11年の時を経てルソーの功績はフランスに認められ、遺体はパリのパンテオン(偉人を祀る霊廟)に移されました。

貧しい生活から哲学者へ

ルソーの故郷であるジュネーヴ共和国

ルソーの幼少期は決して裕福とは言い難いものでした。母親の死後は上流階級の住む地区から庶民が住む地区へと移住し、父親と叔母から教育を受けます。この頃のルソーはとても勤勉で小説から歴史書まで幅広い本を読んでいました。

しかし、父親の失踪から生活は一変。わずか10歳で孤児となり、従兄弟とともに牧師に預けられます。郊外の寄宿舎で牧師の妹に理不尽な折檻や虐待を受けながら暮らしました。この寄宿舎での生活をきっかけにルソーは支配力への憤りを強めたといわれています。

13歳で彫金師のもとへ奉公に出るも、その頃のルソーは脱走や盗みを繰り返す不良少年となっていました。しかし、助任司祭の助言や薬品事故による体調不良から人生を見つめ直し更生、独学で哲学や音楽の勉強を始めます。その後、『学問芸術論』『人間不平等起源論』『社会契約論』などの哲学書を執筆。教育論小説『エミール』も執筆し、反響を呼ぶ哲学者となりました。

近代民主主義の父となる

現代の民主主義はルソーのおかげ

ルソーは著書『社会契約論』で民主主義思想を世に広めました。民主主義とは、国民が主権を持ち国民によって政治が行われる国家を指します。

ルソーは『社会契約論』にて直接民主制*や一般意志*など、当時の王政国家を真っ向から否定する民主主義の思想を展開したのです。それにより、迫害を受けて亡命することになりましたが、ルソーの近代民主主義の教えは今もなお語り継がれています。

*直接民主制:代表者を介さず共同体の意思決定に直接的に参加する政治制度

*一般意志:国民が持つ政治的な意志をまとめた政治思想

フランス革命に影響を与える

フランスの民衆を導く自由の女神

近代民主主義の父となったルソーの思想は、フランス革命に影響を与えました。フランス革命はルソーの死後から11年経った1789年に勃発した貴族と民衆の闘いです。

ルソーが生きていた頃のフランスは絶対王政であり、国王が政治的な権力の全てを握っていました。それに不満を持った民衆が王族や貴族を攻撃し、絶対王政を倒して民主主義を確立したのです。ルソーは生前に民主主義のあり方を唱えていたため、フランス革命の根本的な思想につながりました。

また「人は生まれながらにして自由であるのに、至る所で鉄鎖に繋がれている」というルソーの言葉は革命のスローガンに使用され、フランス人権宣言もルソーの思想に基づき構成、ルソーは死後にやっと名声を得ました。

ルソーの「社会契約論」とは何か

『社会契約論』はルソーの渾身の一作だった

ルソーの「社会契約論」とは、当時流行していた「社会契約説」を独自の視点から紐解いた代表的著書です。

内容は「国民が個人的な利益を求めず純粋に国家のための政治思想(一般意志)を持ち、行使することで平和かつ平等な社会が生まれる」というものであり、国民がいてこそ社会が成立すると説いています。

まだ国家も社会も成立していない状態を「自然状態」と呼び、そこで暮らす人間たちは争いもなく平和かつ自由であったと考えました。しかし、文明化とともに社会形成が始まると人間は争うようになるため「社会は国民との契約のもとに成立する」という学説「社会契約」が必要であると説いたのです。

「国民全員が国家のための政治思想(一般思想)を持つ」という点が少し理想的ではありますね。しかし、ルソーの考える「社会契約」が実現すれば世の中の戦争や格差社会は圧倒的に減少していくでしょう。

社会契約論とは?意味や誕生した時代背景、与えた影響まで解説

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