ウォルトは、今や世界中で知られるアニメブランド「ウォルト・ディズニー社」、そして「ミッキーマウス」の生みの親です。
ウォルトが会社を立ち上げ、世界的な成功を手にするまでの過程は決して平坦なものではありませんでした。あらゆる仕事を転々とし、そしてデビューしたアニメーターとしてもうまくいかない日が続き、会社は何度も倒産の憂き目にあってきました。
それでも諦めずに夢を伝え続けたウォルトが残した言葉たち。今でもさまざまなシーンで私たちに夢の大切さと人として忘れてはいけないことを伝えてくれています。
今回は、そんなウォルト・ディズニーが残した数々の名言の中から15の言葉を厳選しました。そのメッセージが持つ意味や背景も交えてご紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ウォルト・ディズニーの名言と意図、背景
エンターテイナーの心得
与えることは最高の喜びだ。他人に喜びを運ぶ人は、自分自身の喜びと満足を得る。
ウォルトの考え方の基本であり、すべてが凝縮された一言。彼はただのアニメーターや映画監督で終わらず、あくまでエンターテイナーとしてのウォルト・ディズニーであり続けたのです。
幼少期、父親に愛されなかった過去を持つウォルトは、自分の本当の娘と養子として迎えた娘2人を溺愛していました。彼の「愛してほしかった」という感情が、娘に対しても、そしてウォルトの作品を見ている人にも向けられていたのです。これこそ人々を楽しませるエンターテイナーの心得ではないでしょうか。
答えは自分で探すもの
成功する秘訣を教えてほしい、どうすれば夢を実現することができますかとよく人から尋ねられる。自分でやってみることだと私は答えている。
ウォルトの人生は波乱に満ちていました。特にアニメーターとして「オズワルド」という人気キャラクターを他社に奪われたとき、彼は新たなマスコットキャラクターの存在が必要だと考え、がむしゃらにキャラクターを生み出し続けたのです。
こうして生まれたのが現在のディズニーランドの顔「ミッキーマウス」。成功する秘訣を相手に求めるのではなく自分でやってみることが大事だとウォルトは訴えているのです。
夢、未だ完成せず
ディズニーランドが完成することはない。世の中に想像力がある限り進化し続けるだろう。
1955年7月17日、のちに世界的なテーマパークとなる「ディズニーランド」の第1号がカリフォルニア州アナハイムに誕生しました。舞台に立つ花形はもちろん、清掃のキャストまで、まるでエンターテイメントの世界を作り出したウォルトですが、これで自らの理想のテーマパークができたとは考えていなかったのです。
この第1号ディズニーランドができるまでにかかった時間は、構想期間を含めて10年以上。そこまでして形となったディズニーランドは彼にとっては未完成であり、それが完成することはないと言い切っているのです。
どんな意見にも耳を傾けること
もし清掃作業員が良いアイデアを持っていれば、私は彼のアイデアを採用する。私は権威をひけらかしはしない。普通の人たちの意見を大切にする。
ディズニーランドが未完成であるということは、「想像力がある限り」ディズニーランドは進化するということ。ウォルトはその想像力を得るためならば、仕事上の身分はもちろんのこと、普段からの立場も含めて関係ないと言っているのです。
ウォルトは数多くの挫折と失敗を繰り返してきました。それゆえに、多くの人の意見に耳を傾けることの大切さを伝えたかったのではないでしょうか。
今のままで満足ですか?
現状維持では、後退するばかりである。
ウォルトの代表的な名言です。常に変化をし続けなければ、同じ場所にいたままではどんどんと衰退していくと伝えているのです。
これは他社に奪われたキャラクター「オズワルド」が関係しています。ウォルトはいくつかのヒットキャラクターを持った小さな会社を立ち上げていました。しかし、そのヒットを他社が社員もろとも引き抜いてしまったのです。人気キャラクター「オズワルド」がもしウォルトの手に残っていたら、この名言は生まれていなかったかも知れません。常に変化を求めることで後退せずに暮らせるのです。