1185年? – 30代前半?「和田義盛の妻となる」
和田義盛の妻となる
ほとんどの媒体において、巴御前の足跡は義仲と別れたところで途絶えています。そのため、義仲死後の彼女がどうなったのか、共通見解と呼べるものは存在しないと言えるでしょう。
『源平盛衰記』においては、落ち延びるべく東北を目指した巴御前はあえなく頼朝が命じた追討軍によって囚われ、鎌倉に連行されてしまいます。当然のように死罪を申し付けられた巴でしたが、しかしここで待ったを掛けたのは、頼朝の配下である和田義盛でした。
「彼女のような強い女性と子を成したい」と、義盛は巴の助命を嘆願。頼朝もこの嘆願を受けたことで、巴は和田義盛の妻になったと言われています。
朝比奈義秀の母…?
こうして和田義盛の妻となった巴が産んだのが、後に和田合戦で活躍する朝比奈義秀…とされていることがありますが、史実においてそれはあり得ません。
義仲の敗死の時点で、義秀は既に9歳ほど。和田義盛と巴御前にそれまでの親交が無かったことや、そもそも立場として敵同士であったこともあり、朝比奈義秀の母が巴御前という説は、後世の創作であると見る方が一般的でしょう。
1213年 – 60代?「和田合戦」
和田合戦勃発
源頼朝の死後、急速に鎌倉幕府を掌握し始めた北条家に和田義盛が反旗を翻したことで、和田合戦と呼ばれる戦が勃発しました。
この戦では朝比奈義秀が目覚ましく奮戦し、和田氏は鎌倉での市街戦を当初こそ有利に進めることに成功しました。しかし兵力の差が圧倒的であったため、和田勢力は次第に追い詰められていき、最終的には由比ヶ浜へ退却。
そこで一度体勢を立て直すはずが、配下だったはずの諸将が続々と幕府に寝返りを見せたことで形勢は完全に幕府側に。配下の諸将や息子たちが続々と討ち取られて行く中、和田義盛もついに討たれてしまったのでした。
その後の巴御前
夫を失った巴御前は、越中国礪波郡福光の石黒氏の下へ身を寄せることになります。
彼女は出家し、尼となって主君だった義仲や兄たち、夫や子供たちなどの菩提を弔いながら、静かにその後の生を送ることになったようです。
1240年代? – 91歳「女武者、静かに逝く」
尼僧として出家した巴御前は、『源平盛衰記』における和田合戦以降はどの資料にも登場していません。そして彼女の最期を示す記述もまた『源平盛衰記』に記載されています。
とはいえその記載も「91歳で生涯を終えた」という程度の簡素なもの。その最期の姿や辞世の句については記載がなく、ただ静かに巴御前は世を去ったとされています。
巴御前の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
巴御前
巴御前を主役に据えた小説作品です。リアルな伝記というよりは物語性が強く、少し硬派な歴史エンターテイメントを思考する方にお勧めしたい一冊となっています。
少々主人公に対する持ち上げが過剰気味で、文体も癖が強いところがありますが、それでも巴御前という明確な記録を持たない人物を主役に据えた手腕は見事。小説好きな初学者の方にもお勧めできるかと思います。
源平武将伝 木曾義仲 (コミック版 日本の歴史)
巴御前とは切り離せない人物である、木曽義仲を描いた『漫画で分かる』シリーズの一冊です。
史実に忠実であることもさることながら、絵が綺麗かつシナリオも上手くまとまっており、単純にマンガとしても楽しめる作品となっています。図書館などにも置かれている可能性が高い一冊ですので、興味のある方はこちらから読んでみるのも良いでしょう。
関連外部リンク
巴御前についてのまとめ
日本史上では珍しい女性武将の代表格として、多くの歴史ファンから愛される巴御前という人物。史実に正確な記録が残っている人物ではありませんが、エピソードとしては非常に濃いものを多数残している人物だと言えるでしょう。
キャラクター性の濃さや資料の少なさから、手放しで「実在していたはず!」と言える人物ではありませんが、筆者としてはぜひとも実在していてほしい人物であると思います。
それでは、この記事にお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。この記事が皆様にとって、何かの学びとなっていれば光栄です。