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シャルロット・コルデーとはどんな人?暗殺の天使と呼ばれた美女の生涯

シャルロット・コルデーとは、フランス革命期のフランスに生きた女性です。王侯貴族や政治家、あるいはスパイや軍人などではない普通の女性として生まれた彼女は、しかし”ある暗殺事件”によって世界史上に名を刻む人物となりました。

後世に描かれたシャルロット・コルデー

フランス革命という時代の中で、多くの人々の人生が翻弄された末に処刑台に散っていきましたが、シャルロットもそんな人物の一人。ただし、あくまで「平民」という身分から国家に影響を与えた人物は、世界史上にもそうはいないだろうと思います。

この記事では、そんなフランス革命に大きな影響を与えた”平民”、シャルロット・コルデーについて解説していきたいと思います。

シャルロット・コルデーとはどんな人物か

名前マリー=アンヌ・シャルロット
・コルデー・ダルモン
通称暗殺の天使
誕生日1768年7月27日
没日1793年7月17日(享年24歳)
生地フランス王国、エコルシェ
没地フランス共和国、パリ、
コンコルド広場
配偶者なし
埋葬場所フランス、パリ、マドレーヌ墓地

シャルロット・コルデーの生涯をハイライト

シャルロットの生家とされる建物

シャルロット・コルデーはフランス王国のエコルシェにて、貧乏貴族の娘として生を受けました。しかし彼女が13歳の頃に母が死去。それによって彼女は修道院に入れられることになりましたが、その修道院も革命政府によって閉鎖に追い込まれてしまい、彼女は伯母の下に身を寄せることとなりました。

やがて、国王夫妻が逃亡を図ったヴァレンヌ事件などをきっかけに王室に反感を抱いたシャルロットは、フランス革命に熱狂。しかしその一方で、過激さを増して増長していく山岳派(ジャコバン派)に対する嫌悪を募らせ、ジロンド派を支持するようになります。

シャルロットが暗殺したジャン=ポール・マラー

そんな折、山岳派によってパリを追放されたジロンド派議員と接触したことで、シャルロットの運命は激動。横暴を極めた山岳派の重鎮である、ジャン=ポール・マラーの暗殺を企てたシャルロットは、一路パリを目指すことにしました。

そしてパリに到着したシャルロットは、支持者を装ってマラーの自宅に赴き、彼を包丁で刺殺。当然ながら逮捕されて裁判にかけられ、すぐさま死刑の宣告を受けることになりました。

シャルロットの処刑を行った、シャルル=アンリ・サンソン

そして公判が終了した日の午後。彼女は処刑人であるシャルル=アンリ・サンソンに伴われて処刑場まで連れていかれ、観衆が見つめる中でギロチンによって生涯を終えました。呆気ない死でしたが、その美貌や毅然とした態度は、後に良かれ悪しかれ多くの人物に影響を与えたことが記録されています。

”良くも悪くも普通”な人物像

読書を好む物静かな女性だったというシャルロット

“暗殺”という手段で歴史に名を刻んだシャルロット・コルデーですが、彼女の人格的な記録を見ていると、基本的には「普通の女性」、むしろ「物静かでおしとやかな女性」という印象を強く抱くことでしょう。

修道院時代の彼女は、古代ギリシャの伝記や思想書を好む女性としての記録が多く残り、暗殺などの血なまぐさい事柄とは無縁の女性であったように思えます。フランス革命に熱狂した後も、過激な山岳派を嫌悪していたということで、彼女が生来穏やかな人物だったことに疑う余地はありません。

しかし、歴史上の彼女は間違いなく暗殺を実行し、処刑台に消えるという短い生涯を送りました。何がシャルロットをそこまで突き動かしたのか。その理由は現在も想像することしかできません。

シャルロット・コルデーの最期

コルデーの処刑を描いたとされる絵画。

ジャン=ポール・マラーを暗殺したシャルロットは、そのまま取り押さえられて裁判にかけられました。結果は覆すことなどできるはずもなく有罪。裁判は半日で終わり、シャルロットはその日の午後に処刑を執行されることになりました。

公判終了後、彼女は執行人であるシャルル=アンリ・サンソンに付き添われて、処刑場であるコンコルド広場に移動。若く美しい罪人に多くの人が目を奪われる中で、シャルロットはギロチンに掛けられ、24歳の若さでこの世を去ることとなったのです。

ロベスピエールは「同胞であるマラーの死」を旗印として、更なる横暴を重ねていくこととなった。

その死は山岳派の横暴に苦しむ人々の蜂起を促す旗印ともなりましたが、逆に「マラーの殺害」という結果が、山岳派の独裁を正当化する結果も招いてしまい、結果的に山岳派の横暴をより強めることとなってしまいました。

しかし前述のアダム・リュクスや、処刑人であるシャルル=アンリ・サンソンの胸に山岳派に対する禍根が刻み込まれるなど、結果的に彼女の行いは、多くの人物の心を動かす結果を生んだと言えそうです。

現代に描かれる”暗殺の天使”

『Fate/Grand Order』のシャルロット・コルデー。肖像画の要素を上手くアレンジしてキャラクター化している。

「暗殺の天使」というセンセーショナルな通称や、その劇的ながら短い生涯などから、シャルロット・コルデーは現代日本でも多くの作品に描かれる人気の人物となっています。坂本眞一による漫画作品『イノサン』や、TYPE-MOONによるゲーム作品『Fate/Grand Order』などが、特に有名な作品でしょう。

どちらの作品においてもコルデーは、「行動力はあるが、基本的には普通の女性」という側面が強く描かれ、読者やプレイヤーと目線が近い等身大のキャラクターとして描かれています。

暗殺というショッキングな行いによって歴史に名を刻まれた人物ではありますが、「あくまでも普通の女性」という史実上の記録もまた、キャラクターとしてのコルデーが愛される要因なのかもしれません。

シャルロット・コルデーの関連人物

「ジャン=ポール・マラーの暗殺」というただ一つの事件だけで歴史に名を刻んだコルデーですが、彼女の生き様は多くの人物に、良かれ悪しかれ影響を与えました。

このトピックでは、そんなシャルロットに影響を与えられた者たちを、軽くではありますが紹介していきたいと思います。

シャルル=アンリ・サンソン

フランス革命を見届けたシャルル=アンリ・サンソンは、シャルロットを知るには避けて通れない人物。

フランス革命期の処刑人であり、シャルロットの処刑を執行した人物です。シャルロットの他にもルイ16世とマリー・アントワネットや、マクシミリアン・ロベスピエールなど多くの人物を処刑し、フランス革命を見届けました。

彼はシャルロットの処刑に際し、「美しさだけでなく、毅然とした態度で処刑に望めるその精神が信じられなかった」と回顧録に記しており、シャルロット・コルデーの人物像を知るために、欠かすことのできない記録を残した人物となっています。

ジャン=ポール・マラー

「人民の友」と呼ばれる好人物だった一方、残虐な刑罰を推進する人物でもあったマラー。

シャルロットによって暗殺された、山岳派の重鎮です。暗殺当時は重度の皮膚病を患っており、浴槽の中からシャルロットに応対。そのまま胸をひと突きにされて刺殺されたと記録されています。

民衆の要望を聴くために家の門を開けておくような、「人民の友」と称される人物だった一方で、残虐な刑罰を伴う法律を提案するという、二面性の強い人物だったとも言われています。

アダム・リュクス

シャルロットに惚れてしまった人物は数多いが、中でも抜きんでたエピソードの持ち主ががアダム・リュクス

シャルロット・コルデーの処刑を見たドイツの詩人です。処刑されたシャルロットに一目惚れしてしまい、彼女を湛える死を数多く発表。その結果として自身も処刑されました。

彼の処刑はシャルロットと同じギロチンで行われ、その事実を知ったアダムは歓喜して、処刑人であるシャルル=アンリ・サンソンに抱き着いてキスをしたと伝わっています。シャルロットという人物の美貌を示すエピソードの最たる例が、このアダム・リュクスであると言えるでしょう。

シャルロット・コルデーの功績

功績1「ジャン=ポール・マラー暗殺」

マラーの死を描いた絵画。

シャルロット・コルデーが歴史に名を刻んだ原因は、この事件を置いて他にありません。ジャン=ポール・マラーという山岳派の重鎮をたった一人で暗殺したという事件によって、彼女は歴史上に登場することになっています。

この暗殺事件は白昼堂々、しかも使用人や支持者なども多いマラーの屋敷の中で行われ、それを24歳という若い女性が行ったという所からも、当時のフランスでは非常にセンセーショナルな事件となりました。

結果として功罪の両面を生んだシャルロットの凶行でしたが、この行いによって多くの人物が影響を受けたことは間違いないだろうと思われます。

功績2「処刑台上のアイドル」

処刑に際して描かれた肖像画。その美貌に多くの男性が虜になった。

詳しい記録が残っていないほど、呆気なくギロチンに掛けられてこの世を去ったシャルロットですが、彼女の処刑を見ていた聴衆の記録は、いっそ不自然なほどに多く残っています。

「処刑場へ護送される彼女の後ろ姿を見た数人の青年が、皆彼女に恋をした」だとか、前述のアダム・リュクスの一目惚れだとか、ともかく処刑直前のシャルロットに恋をした男が、非常に多数存在していたことが記録からは読み取れます。

いくらか誇張された部分も見受けられ、全てを信用するわけには行かないゴシップですが、そんな記録が残るほどにシャルロットが美しい女性だったことは事実なのだろうと思われます。

功績3「処刑人にすら感服される精神力 」

シャルル=アンリ・サンソンは、後年の回顧録でシャルロットについて記載している。

後にフランス革命の全てを見届けることになった処刑人、シャルル=アンリ・サンソンは、シャルロットを護送するまでの車内の様子について、後年「信じられなかった」と記録を残しています。

その記録によれば、「その美しさもさることながら、なによりもその態度」「処刑を控えた女性が、何故あそこまで毅然としていられるのか信じられなかった」とのこと。処刑の際も、シャルロットは自ら刃の下にうつ伏せになったと言われ、そのこともまたシャルロットの毅然とした態度を証明しています。

処刑人でありながら、最期まで死刑反対の理想を貫くこととなったシャルル=アンリ・サンソン。ひょとすれば彼の思想の根幹には、処刑してしまったシャルロットの姿があったのかもしれません。

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