シャルロット・コルデーの関連人物
「ジャン=ポール・マラーの暗殺」というただ一つの事件だけで歴史に名を刻んだコルデーですが、彼女の生き様は多くの人物に、良かれ悪しかれ影響を与えました。
このトピックでは、そんなシャルロットに影響を与えられた者たちを、軽くではありますが紹介していきたいと思います。
シャルル=アンリ・サンソン
フランス革命期の処刑人であり、シャルロットの処刑を執行した人物です。シャルロットの他にもルイ16世とマリー・アントワネットや、マクシミリアン・ロベスピエールなど多くの人物を処刑し、フランス革命を見届けました。
彼はシャルロットの処刑に際し、「美しさだけでなく、毅然とした態度で処刑に望めるその精神が信じられなかった」と回顧録に記しており、シャルロット・コルデーの人物像を知るために、欠かすことのできない記録を残した人物となっています。
ジャン=ポール・マラー
シャルロットによって暗殺された、山岳派の重鎮です。暗殺当時は重度の皮膚病を患っており、浴槽の中からシャルロットに応対。そのまま胸をひと突きにされて刺殺されたと記録されています。
民衆の要望を聴くために家の門を開けておくような、「人民の友」と称される人物だった一方で、残虐な刑罰を伴う法律を提案するという、二面性の強い人物だったとも言われています。
アダム・リュクス
シャルロット・コルデーの処刑を見たドイツの詩人です。処刑されたシャルロットに一目惚れしてしまい、彼女を湛える死を数多く発表。その結果として自身も処刑されました。
彼の処刑はシャルロットと同じギロチンで行われ、その事実を知ったアダムは歓喜して、処刑人であるシャルル=アンリ・サンソンに抱き着いてキスをしたと伝わっています。シャルロットという人物の美貌を示すエピソードの最たる例が、このアダム・リュクスであると言えるでしょう。
シャルロット・コルデーの功績
功績1「ジャン=ポール・マラー暗殺」
シャルロット・コルデーが歴史に名を刻んだ原因は、この事件を置いて他にありません。ジャン=ポール・マラーという山岳派の重鎮をたった一人で暗殺したという事件によって、彼女は歴史上に登場することになっています。
この暗殺事件は白昼堂々、しかも使用人や支持者なども多いマラーの屋敷の中で行われ、それを24歳という若い女性が行ったという所からも、当時のフランスでは非常にセンセーショナルな事件となりました。
結果として功罪の両面を生んだシャルロットの凶行でしたが、この行いによって多くの人物が影響を受けたことは間違いないだろうと思われます。
功績2「処刑台上のアイドル」
詳しい記録が残っていないほど、呆気なくギロチンに掛けられてこの世を去ったシャルロットですが、彼女の処刑を見ていた聴衆の記録は、いっそ不自然なほどに多く残っています。
「処刑場へ護送される彼女の後ろ姿を見た数人の青年が、皆彼女に恋をした」だとか、前述のアダム・リュクスの一目惚れだとか、ともかく処刑直前のシャルロットに恋をした男が、非常に多数存在していたことが記録からは読み取れます。
いくらか誇張された部分も見受けられ、全てを信用するわけには行かないゴシップですが、そんな記録が残るほどにシャルロットが美しい女性だったことは事実なのだろうと思われます。
功績3「処刑人にすら感服される精神力 」
後にフランス革命の全てを見届けることになった処刑人、シャルル=アンリ・サンソンは、シャルロットを護送するまでの車内の様子について、後年「信じられなかった」と記録を残しています。
その記録によれば、「その美しさもさることながら、なによりもその態度」「処刑を控えた女性が、何故あそこまで毅然としていられるのか信じられなかった」とのこと。処刑の際も、シャルロットは自ら刃の下にうつ伏せになったと言われ、そのこともまたシャルロットの毅然とした態度を証明しています。
処刑人でありながら、最期まで死刑反対の理想を貫くこととなったシャルル=アンリ・サンソン。ひょとすれば彼の思想の根幹には、処刑してしまったシャルロットの姿があったのかもしれません。