あさま山荘事件とは?概要から原因、与えた影響まで分かりやすく解説

事件が起こった原因は?

赤軍派と革命左派のリーダーによる主導権争い

森恒夫と永田洋子

犯人グループである連合赤軍は「共産主義者同盟赤軍派」と「日本共産党革命左派」が統一して結成されたという経緯があります。そのため赤軍派のリーダー森恒夫と革命左派のリーダー永田洋子の権力争いが統一直後から起こっていました。

革命左派が所有していた銃器を手中に収めたい森恒夫は永田洋子に対して高圧的な態度で臨みますが、一歩も引かない永田は銃器を渡さずどちらも主導権を握りきれずにいました。

その結果として相手より優位に立つためにより過激で暴力的な思想になっていった結果、山岳ベース事件が起こることになります。

山岳ベース事件

山岳ベース事件を伝える新聞記事

当時の左翼政治団体には「総括」と呼ばれる政治活動を振り返り、反省点や改善点を見つける思考法がありました。

しかし連合赤軍内で行われていた総括は、対象者のためという名目で、より批判的に意見を行うものに変わっていきます。そして森と永田らは暴力を用いてより強い反省を求めるようになっていったため、実質的リンチや粛清が展開されるようになりました。

総括を言い渡されたメンバーは森と永田に逆らえない他のメンバーにより激しい暴力を浴びせられました。その後、食事も与えず極寒の屋外に縛り付けたり、暴力による内臓破裂などが原因での死亡者が後を絶たず、最終的には12人のメンバーを死に至らしめました。

犯人グループの連合赤軍とは?

過激なテロ組織

過激なテロ組織イメージ

連合赤軍は1971年から1972年にかけて活動した左翼的思想を持つ日本のテロ組織で、「共産主義者同盟赤軍派」と「日本共産党革命左派」の組織が1971年7月15日に統合して誕生しました。

しかしメンバー内で起こった「山岳ベース事件」によって内部崩壊を起こしていた連合赤軍は、脱走者や逮捕者が増え続けメンバーの人数は減る一方でした。

最終的にあさま山荘事件に関わった坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久の5人が逮捕されると、残されたメンバーも次々出頭しメンバー全員が逮捕され連合赤軍は崩壊しました。

極端に左翼的な思想

警官隊と衝突する新左翼団体

戦後、日本共産党は共産主義の実現を目指し賛同する学生党員らとともに、暴力を用いて敵を打ち倒す「武装闘争」を掲げて活動していました。しかし1955年に行われた「第6回全国協議会」で武装闘争路線を転換し、暴力で革命を抑圧しない限り運動も暴力を用いないという「敵の出方論」を採用します。

それに不満を募らせた人々が集まり武装闘争路線を継承する「新左翼」が誕生し、いくつかの団体が組織されます。連合赤軍もそんな新左翼団体のひとつでした。

さらに新左翼の中でもより過激な思想を持ち実力行使も辞さない一部の組織は「過激派」と呼ばれ、日本国内だけではなく海外でも暴力による革命を唱えて危険なテロ行為を行う組織へと変貌していくことになります。

人質となった被害女性について

219時間(約9日)も監禁

あさま山荘事件の人質となったのは夫と二人で浅間山荘の管理人をしていた31歳の女性で、人質となってから無事保護されるまで約9日間に渡って犯人たちに監禁されました。

犯人グループが山荘に侵入した時、夫は宿泊客を連れて外出していたため山荘には女性一人でした。犯人グループは「逃げたり騒いだりしなければ危害は加えない」と女性に告げ人質にします。

そして1972年2月28日に機動隊が突入し女性は無事保護されます。監禁された時間は延べ219時間にも及び、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録となりました。

事件後の被害女性について

人質救出を伝える新聞記事

人質となった女性は救出され病院に入院している最中に取材を受けます。記者に人質となっていた間のことを聞かれた女性は「犯人グループは自分を大切に扱ってくれた」「食事を与えてくれた」と、犯人たちとの生活を語りました。

するとマスコミはあたかも女性が犯人たちと仲良く過ごしていと受け取れるような記事を書いたのです。このことが原因で女性はマスコミの報道に不信感を抱いたと言います。

この記事によって女性への同情は激減し、代わりに「犠牲者も出ているのになんて人質だ」と怒りをあらわにした脅迫文まで届くようになります。人質だった女性はこれらのマスコミの記事は事実無根だと語るための記者会見を開いたあと、マスコミとの接触を拒むようになりました。

事件の経緯

1972年2月4日ー山岳ベース事件によってアジトから逃亡

沼田市迦葉山で見つかった迦葉山ベース

「総括」と呼ばれた集団リンチによる犠牲者が出た1971年末の山岳ベース事件以降、連合赤軍の内部は最高幹部であった森と永田の横暴によって崩壊の一途を辿っていました。同時に連合赤軍の足取りを追っていた350人の捜査員を動員した警察の包囲網は連合赤軍のメンバーに迫りつつありました。

メンバーたちは当時の拠点としていた榛名ベースから迦葉山ベースに移ると、森と永田は資金調達のためベースから離れ東京に向かいます。その隙に耐えきれなくなったメンバーたちが次々と脱走し始めたのです。

残されたメンバーは脱走したメンバーが警察を引き連れて戻ってくるのではないかと考え、さらにアジトを移すため妙義ベースに向かいます。森と永田は東京からの帰路の途中で山狩りをしていた警察に包囲されると、格闘の末逮捕されます。

1 2 3 4

1 COMMENT

匿名

クイズの正解画像の人物は坂東國男ではなく植垣康博です
紛らわしいので修正をお願いします

返信する

コメントを残す