あさま山荘事件とは?概要から原因、与えた影響まで分かりやすく解説

あさま山荘事件の影響

カップヌードルがヒットした

カップヌードルを食べる機動隊員

日清食品のカップヌードルがヒットしたのはあさま山荘事件がきっかけです。事件当時の現場は平均気温がマイナス15度前後しかなく、機動隊員たちのために用意された弁当は凍ってしまうほどの寒さでした。

そこで発売直後だったカップヌードルに目をつけた警視庁が大量に購入し、現場の隊員たちに配給しました。調達や調理が容易だった上に、温かい食べ物に飢えていた隊員たちの士気を向上させるのに大いに役立ったといいます。

当時国民の半分以上が見ていた事件報道の番組で、このカップヌードルを食べる隊員たちの姿が何度も映し出されたことで商品の知名度は飛躍的に上がりました。そのおかげで報道陣や他県の警察からも注文が相次ぎ、カップヌードルの売上は爆発的に上昇しました。

特殊部隊が創設される遠因となった

訓練中の「SAT」

現在、日本の警察にはSAT(Special Assault Team)と呼ばれる特殊急襲部隊が設置されていますが、これはあさま山荘事件を含む複数の事件がきっかけで誕生しました。SATは凶悪犯罪やテロと戦うため、警視庁と各地の警察本部の機動隊から選りすぐられた隊員によって構成されています。

ミュンヘンオリンピック事件

1972年に発生した「あさま山荘事件」と「ミュンヘンオリンピック事件」などをきっかけとしてSATの前身となる特殊部隊の創設が検討され始めます。そんな中発生したのが日本赤軍が1977年に引き起こした「ダッカ日航機ハイジャック事件」です。

ダッカ日航機ハイジャック事件の事件機

ダッカ日航機ハイジャック事件の時にはまだ特殊部隊の創設が間に合っておらず、日本政府はやむなく犯人グループの要求を受け入れました。しかしこの対応は世界で批判の的となってしまい、これをきっかけに特殊部隊創設が急がれ「SAT」が編成されることになりました。

あさま山荘事件に関する3つの逸話

1.鉄球作戦は実は失敗だった?

当時を語る白田弘行さん

機動隊の突入作戦に使用された鉄球を吊り下げたクレーン車を操作していたのは、民間人で重機の運搬をする会社「白田組」の白田弘行さんでした。白田さんはのちにテレビ番組で「鉄球作戦は失敗だったと思っている」と答えています。

当時警察は犯人が三階に人質が二階にいると予想していたため、鉄球で二階と三階をつなぐ階段を破壊し人質の安全を確保する計画でした。しかし犯人も人質も三階にいたため人質の隔離に失敗し鉄球作戦の効果は半減してしまいました。

その結果、三階での犯人との攻防は壮絶なものとなり、機動隊員にも多数の死傷者を出す事態となりました。クレーンを操作していた白田さんは「少しでも銃口のある所を最初にぶつけさせてくれれば」と辛い心中を明かしました。

2.事件の特番が過去最高の視聴率を記録

事件当日のニュース映像

事件が解決した1972年2月28日の浅間山荘の様子は午前10時ごろの機動隊の突入から、午後6時ごろの犯人逮捕・人質救出までテレビの報道番組で生中継されリアルタイムで視聴者に届けられました。

総世帯視聴率は計測を始めてから最高の数値を記録し、18時26分にはNHKと民放あわせて89.7%の視聴率を叩き出しました。この数値からもいかに日本国民があさま山荘事件に注目していたかがわかります。

同じく2月28日にNHKで放送された報道特別番組は平均50.8%の視聴率を記録し、この記録は現在も更新されておらず報道特別番組の視聴率としては歴代一位の日本記録を保持しています。

3.犯人の一人「坂東國男」はのちに国外逃亡した

国際指名手配中の坂東國男

あさま山荘事件の立てこもり犯のひとり、坂東國男は1972年2月28日に機動隊の強硬突入によって逮捕されます。裁判のあと一度は投獄されていた坂東國男でしたが、1975年8月4日に日本赤軍によって引き起こされた「クアラルンプール事件」によって釈放されています。

「クアラルンプール事件」

日本赤軍はマレーシアにあったアメリカとスウェーデンの大使館を襲撃し占拠しました。その後犯人グループは人質と引き換えに日本国内で服役・拘置中の赤軍派の活動家を釈放するよう日本政府に要求しました。

これを受けて日本政府は超法規的措置として日本赤軍に参加する意思のある五人を釈放・出国させました。坂東國男もこの時出国し日本赤軍に参加すると、1977年9月28日に「ダッカ日航機ハイジャック事件」に関わり国際指名手配されました。

あさま山荘事件を題材にした映画

「突入せよ! あさま山荘事件」

2002年に公開された「あさま山荘事件」を映像化した作品で、事件当時警備幕僚長として派遣されていた佐々淳行の著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』が原作です。

監督は原田眞人、主演は役所広司が務め、あさま山荘事件のあらましを描いています。原作者の佐々淳行ほか、当時あさま山荘事件にかかわった警察関係者が複数友情出演しています。

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」

2008年に若松孝二監督によって企画・制作された作品です。若松監督は前出の「突入せよ! あさま山荘事件」を鑑賞した際に警察側の視点だけで描かれていることに腹が立ったので、犯人側からの視点で時代背景など盛り込んだ作品を制作したかったと語っています。

本作品は非常に低予算で制作され制作費の一部はカンパを募ったり、若松監督の自宅を抵当に入れたりしてまかなわれたと言います。第58回ベルリン国際映画祭の最優秀アジア映画賞や国際芸術映画評論連盟賞を受賞したほか、多数の映画賞を受賞しています。

あさま山荘事件に関するまとめ

いかがでしたか?

昭和という激動の時代に引き起こされた「あさま山荘事件」は、警察の警備体制と意識を変えさせるほどの衝撃を与えました。日本国民のほとんどがテレビの前で事件の解決を願い、その行く末を見守っていたのです。

あさま山荘事件は学生運動や武力闘争などの過激な政治活動が行われていた時代だったからこそ起こった事件だったのではないかと思います。現在の平和な日本の若者たちには想像もつかないような時代が実際にあったのです。

この記事が「あさま山荘事件」に興味を持たれた人々のお役に立てたら幸いです。

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1 COMMENT

匿名

クイズの正解画像の人物は坂東國男ではなく植垣康博です
紛らわしいので修正をお願いします

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