あさま山荘事件とは?概要から原因、与えた影響まで分かりやすく解説

1972年2月19日ー連合赤軍の残党が軽井沢に逃げ込む

雪の残る浅間山荘

妙義ベースから出発した残りのメンバーは長野県佐久市を目指して山を進んでいましたが、途中で道を外れ気がつくと軽井沢に出ていました。森と永田の逮捕をメンバーたちはその道中にラジオで聞いています。

2月19日の正午ごろにはメンバーはまず無人だった「さつき山荘」に侵入し、シャワーを浴びたり備蓄されていた食料で食事をしたりしています。その時あたりを捜索していた警察の捜索隊が人がいる気配のある「さつき山荘」を見つけ呼びかけを開始します。

連合赤軍は警官隊に発砲しながら裏口から逃げ、逃亡のための車を探していると「浅間山荘」を発見し侵入します。中に入ると山荘の管理人の妻である女性が一人いたため犯人たちは、「騒いだり逃げたりしなければ危害を加えない」と告げ、車のカギを渡すよう要求しました。

しかし女性はカギは無いと答えたため、犯人たちはそのまま山荘に立てこもることにしました。

1972年2月20日ー犯人グループの一人が人質の拘束を解く

坂口弘が自発的に人質を解放した

立てこもった翌日の2月20日、犯人たちは今後の方針を話し合います。一部のメンバーが人質を利用して警察の包囲網を突破しようと提案しますが、山岳ベース事件の犠牲者のためにも警察権力と戦わないといけないとほかのメンバーに却下されました。

犯人たちは当初、人質の女性の口にハンカチを押し込み縄で縛って拘束していましたが、犯人の一人であった坂口弘が自身の判断でその縄を解きました。これには女性を人質にするつもりはなかったことと、女性の縛られた姿が山岳ベース事件の犠牲者と重なったためとされています。

1972年2月21日ーアメリカ合衆国ニクソン大統領の中国訪問のニュース

毛沢東主席と握手するニクソン大統領

2月21日、世界ではアメリカのニクソン大統領が中国を訪問し、米中関係の修復に大きな一歩を踏み出します。そのニュースを山荘のテレビで見ていた犯人たちは衝撃を受けたといいます。

ベトナム戦争にアメリカの友好国として日本が参戦すれば戦火が中国まで及び、ひいては世界大戦になりかねない。そんな流れを絶対に止めなければと武力闘争に参加した学生たちは大勢いました。しかしニクソン大統領の訪中によって、世の中の動きは大きく変わりました。

あさま山荘事件で逮捕された犯人の一人加藤倫教はこのニュースを見て、「ここで戦うことの意味は何なのか」と呆然とし自分がしてきたことを後悔したと自著で述べています。

1972年2月22日ー最初の犠牲者が出る

民間人の犠牲を伝える新聞記事

2月22日の正午ごろ、画家と名乗る男とSBCの記者が警戒線を突破して警察に取り押さえられるという騒ぎが起こりました。その隙に別の民間人の男が警察の包囲網を突破すると、山荘に近づき犯人たちに接触を試み始めます。

新潟でスナックを経営していた男性は前日にも警察の包囲網を潜り抜けようとして捕まり、厳重注意を受けていました。男は機動隊にウィンクするなど不審な行動を繰り返し、犯人グループは私服警官ではないかと疑いを強めました。

その結果、犯人によって拳銃で狙撃され倒れます。しかしすぐ立ち上がると「大丈夫だと」答えたのですぐ病院に搬送されましたが、実際は頭部に銃弾が残っており容体が急変して3月1日に死亡しました。この日から一進一退の攻防が繰り広げられ膠着状態となります。

1972年2月28日

午前10時ごろー警察による突入作戦開始

鉄球で壁を破壊

1972年2月28日午前9時55分、警察は犯人たちに最後通告を行います。そして10時に機動隊が浅間山荘に向けて突入を開始し、対して犯人たちは警官隊に拳銃を発砲し銃撃戦が開始されました。

10時45分ごろ警察は巨大な鉄球を取り付けたクレーン車を使用して山荘の壁と屋根を破壊し始めます。これにより山荘の玄関脇にある階段の壁に穴が開いたので、激しい放水を行いました。

午前11時台ー警察から二名の殉職者がでる

午前11時35分ごろ、山荘に突入した第九機動隊が一階を制圧しますが、犯人も人質も見つけられませんでした。5分後の11時40分には長野県警機動隊が二階も制圧しますが、この階にも犯人も人質もおらず残るは三階のみとなりました。

放水を行う警視庁特科車両隊

三階に突入しようとする第二機動隊を援護するため放水の指揮をしていた警視庁特科車両隊中隊長の高見繁光警部が、犯人の発砲により被弾し1時間後に死亡が確認されました。高見警部は殉職後、警視に特進しています。

11時54分ごろ、突入した第二機動隊の隊長だった内田尚孝警視が犯人の銃弾に倒れ、あさま山荘事件では最後の犠牲者となりました。内田警視は殉職により警視長に特進しています。

午後5時ー機動隊が犯人グループのいるベッドルームを包囲

突入後、機動隊員は犯人たちとの一進一退を繰り広げ、銃撃戦も相まって現場は悲惨な状況でした。死者こそ出さなかったもののパイプ爆弾や犯人たちの銃撃により、頭に被弾したり失明するなど警察官に多数の重傷者が出ました。

犯人グループと人質は三階奥のベットルームにいると思われたため、バリケードを取り払いながら徐々に包囲を狭めていきました。その間にも銃撃戦は続いており、機動隊員に多数の負傷者を出しています。

午後6時10分ー犯人たちの逮捕

壁に穴があけられたベッドルーム

状況が動いたのは午後6時10分ごろ、ベットルームの壁に放水を行い穴が開けられると大勢の機動隊員がなだれ込むように一斉に突入します。先導を切って突入した機動隊員が犯人の銃撃に倒れますが、その直後の18時10分に犯人全員が逮捕され人質を無事保護しました。

逮捕された犯人たちの様子をNHK・日本テレビ・TBS・フジテレビがスクープ映像として残しています。中でもフジテレビは犯人たちが機動隊員に両脇を抱えられて出てくる様子を捉えることに成功しています。

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1 COMMENT

匿名

クイズの正解画像の人物は坂東國男ではなく植垣康博です
紛らわしいので修正をお願いします

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