徳川家定とはどんな人?生涯・年表まとめ【死因や篤姫との関係も紹介】

徳川家定の生涯年表

1824年 – 0歳「江戸城で徳川家斉の4男として誕生する」

江戸城で将軍家斉の4男として誕生した

1824年4月8日に12代将軍徳川家斉の4男として江戸城で誕生しました。父の家慶は14男13女儲けましたが、男性で成人したのは家定ただ一人でした。成人できた家定も幼少期から身体が弱く、疱瘡を患い目の周りに痣が残ったといいます。また一説では脳性まひだったと考えられています。幼少期は顔の痣のせいもあり極端な人嫌いで人前に出ることを嫌い、心を許すのは乳母である歌橋だけだったといいます。

1841年 – 17歳「将軍の世嗣となる」

12代将軍徳川家慶

大御所の11代将軍徳川家斉が薨去したために、正式に父家慶の世嗣となりました。病弱で人前に出たがらない息子の家定に、父家慶も心配し一橋家の一橋慶喜(後の徳川慶喜)を世嗣にしようかとも考えたそうです。しかし老中・阿部正弘らが反対したために、結局家定を将軍世嗣としています。

1853年 – 29歳「13代将軍となる」

ペリーが来航したことにより日本が激動の時代に入る

1853年に黒船来航から19日後に父・家慶が死去したために、家定は13代将軍となりました。1854年にペリーが再来航すると、日米和親条約に調印します。将軍就任後、今まで日本人が経験したことのない外交問題などのストレスも相まってか、健康状態はさらに悪化し廃人同様になったとまでいわれました。

天璋院篤姫と婚姻する

家定と篤姫の仲がどうだったのか結局はっきりわかっていない

1856年に2人の正妻を失った家定が、子だくさんだった祖父家斉にあやかって島津家の女性である篤姫と結婚しました。家定は元々病弱だったのと大奥嫌いのために、1月に数回しか大奥に泊まらなかったそうです。その上家定は志賀という側室を寵愛し、篤姫の元にはあまり訪れていなかったといわれています。

米国総領事ハリスと引見する

大名にも謁見しない家定がハリスと引見したのは凄いことだった

1857年に米国総領事のハリスと引見しています。ほとんど表舞台には出ず、老中の阿部正弘・堀田正睦のにまかせっきりだったといいますが、ハリスの引見の時は堂々と大きな声で挨拶したそうです。この引見は、家定の数少ない“将軍らしい行動”といわれました。

1858年 – 35歳「35歳で突然死する」

14代将軍には徳川家茂を指名した

将軍就任後元々弱かった体調は益々悪化していき、1857年ころから後継者問題が活発化します。家定には実子がいなかったために、紀州藩主の徳川慶福(後の徳川家茂)と水戸藩の一橋慶喜(徳川慶喜)が将軍後嗣を争いました。

この間も家定はほとんど表舞台に出てきませんでしたが、1858年に紀州の徳川慶福を後嗣にする意向を伝え、2週間後には一橋派の大名の処分を発表するという今までにない将軍としての態度を見せました。

家定の霊廟がある寛永寺

しかし発表の翌日に薨去。享年35歳でした。あまりにも不自然な死のために、当時から毒殺説が噂されました。しかし真相は今もわからず、脚気の悪化やコレラのために亡くなった説が有力です。墓所は東京の寛永寺の霊廟に葬られました。

徳川家定の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

徳川幕府 歴代将軍ランキング

筆者一押しの本当に面白い本です。歴代将軍の人格や政治を踏まえてランキング形式で紹介してくれています。歴史好きなら比べてみたい永遠のテーマを実現している本です。

幕末姫 ―葵の章― (集英社みらい文庫)

幕末の篤姫・和宮・美賀子の3人を軸に描いた漫画です。あまり活躍が無かった徳川家定の本はなかなかないですが、篤姫を主人公にした本は多数あり、その中で「料理好きの将軍」として登場することが多いです。本作もそんな1冊です。

おすすめドラマ

NHK大河ドラマ 篤姫 完全版 全編セット

徳川家定の正室“天璋院篤姫”を主人公としたNHK大河ドラマです。宮崎あおいが主演ということで話題になりました。家定は篤姫の夫として登場します。家定と篤姫の関係を見れる大河ドラマの名作です。

司馬遼太郎原作・本木雅弘主演 大河ドラマ 徳川慶喜 完全版 第弐集 DVD-BOX 全6枚セット

本木雅弘主演の大河ドラマ徳川慶喜の中にも、少し徳川家定が出てきます。慶喜が将軍職を意識し始めた時に“将軍に向かない人物”として出てきます。幕末ファンにも外せない一作となっております。

関連外部リンク

徳川家定についてのまとめ

今回徳川家定という人物を執筆しましたが、“どちらかというと影が薄い将軍”に焦点を当てることによって、違った視点の幕末が見れたような気がします。病弱で人の上に立つことに向かない家定が、日本が開国する局面に直面してしまったことは運命の皮肉のような気もします。

歴史に“もしも”という言葉は存在しませんが、家定以外の人が将軍だったらどうなっていたのかと思うと同時に、幕末でなければ“冴えない困った将軍”だったのが歴史上目立つ人物になったのではないかと思っています。そんな将軍職に向かないといわれた徳川家定という人物を少しでも知ってもらえたら嬉しく思います。

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