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コロンブスの航路をわかりやすく解説!開拓の経緯や与えた影響も紹介

「なぜコロンブスはアメリカに向かったの?」
コロンブスの航路は他の航海者とはどう違うの?」
コロンブスが航路を開拓できた理由が知りたい!」

この記事をご覧の皆さんはそのような疑問を持っているかもしれません。アメリカ大陸に至る航路を見つけた探検家コロンブス。彼の活躍は現代に影響を与えたのは間違いないでしょう。

そこで気になるのは、コロンブスがどうやって新たな航路を見つけたのかです。「もちろん西廻り航路を見つけたんだよ!」と多くの人が思っているでしょう。

では、なぜコロンブスは西に向う航路を選んだのか?新たな航路を開拓する旅は悪天候に見舞われない順風満帆なものだったのか?と問われてみれば、コロンブスが新たな航路を見つけられた理由について詳しく知らなかったりしますよね。また、新航路を開拓した経緯を詳しく知らない人もいるはず。

そこで今回は、コロンブスが見つけた航路について解説します。新たな航路を見つけた理由はもちろん、航海中の天候や新航路の開拓が与えた影響まで網羅的に解説します。

探検家コロンブスが生涯をかけた新航路開拓の航海に同行してみましょう。それでは参ります。

コロンブスが見つけた航路とは?

コロンブスやバスコ・ダ・ガマ、ディアス、マゼランの航路地図

なぜ、コロンブスは西に向かったか?

コロンブスはどんな人?生涯・年表まとめ【航路や死因も紹介】

コロンブスは「地球球体説」にもとづき、西へ向かう航路を選びました。コロンブスが探検航海を計画していたころ、遠洋航海で最も先行していたのはポルトガルです。ポルトガルはバルトロメウ・ディアスやバスコ・ダ・ガマの活躍により、アフリカ廻りでインドに到達する航路を開拓しつつありました。

コロンブスはイタリア人地理学者のトスカネリが主張した「地球球体説」にもとづき、西廻りの方がアフリカを迂回する東回りよりも早くインドに到達できると主張します。コロンブスはこの計画をスペインに持ち込みました。

コロンブスに出資したイサベル女王

はじめ、スペインを支配していたイサベル女王やフェルナンド王はコロンブスの計画に乗り気ではありませんでした。しかし、イスラム教徒とのレコンキスタが一段落したのもあり、イサベル女王はコロンブスの計画に出資。こうして、コロンブスは大西洋を突っ切る新しい航路の開拓に乗り出します。

コロンブスが率いた艦隊は、アフリカ大陸西端から島影一つない大西洋を横断。何日も陸を見ない日が続くと、船乗りたちは世界の果てに転落してしまうのではと恐れ、コロンブスに対し反乱を企てます。間一髪のところで反乱を鎮圧したコロンブスは、タイムリミットぎりぎりで西インド諸島に到達。ここを西インド諸島と名付けました。これにより新航路が開拓されます。

レコンキスタレコンキスタとは、イベリア半島で行われていたキリスト教国(カスティーリャとアラゴン)とイスラム教国(ナスル朝グラナダ王国)の戦いのことです。

他の航海者が見つけた航路とは?

大航海時代の主な航路

バルトロメウ・ディアスの喜望峰到達

喜望峰に到達したバルトロメウ・ディアス

アフリカ最南端の喜望峰に到達したのは、ポルトガルの航海者であるバルトロメウ・ディアスでした。レコンキスタに勝利し、国内統一にいち早く成功したポルトガルはエンリケ航海王子の指導でアフリカ探検に力を入れます。その結果、ディアスの探検以前に、ポルトガルは西アフリカから赤道直下のコンゴ付近まで到達していました。

1486年、ポルトガル王ジョアン2世はディアスにアフリカ大陸最南端の発見を命じます。ディアスは、キャラベル船2隻と補給艦1隻の艦隊を率いて、アフリカ大陸の西部沿岸をひたすら南下。1488年5月、嵐によって流されたディアスの艦隊は南端の喜望峰に到達しました。

バスコ・ダ・ガマのインド到達

インドに到達したヴァスコ・ダ・ガマ
ヴァスコダガマとはどんな人?生涯・年表まとめ【性格や名言、開拓した新航路も紹介】

ヴァスコ・ダ・ガマは、ヨーロッパ人としてはじめてインドに到達した人物です。ディアスによる喜望峰発見により、アフリカ大陸南端をまわりインドに到達する可能性が高くなりました。そこで、ポルトガル王マヌエル1世はディアスにインド航路開拓を命じます。

ヴァスコ・ダ・ガマの出航

インド航路発見までのガマの経歴は不明な点が多いです。しかし、国王から大任を任されていることから、既に航海者として実績を積み重ねていた人物だと考えられます。1497年、ガマはサン・ガブリエル号を旗艦とする4隻の艦隊でリスボンを出港。一路、インドを目指します。

彼は沿岸航海を行わず、大西洋を一気に南下するという大胆な航路を選択します。これで喜望峰到達までの期間を短縮しました。その後、東アフリカの沿岸で補給しつつインドに向かいます。そして、ついに1498年5月20日にインドのカリカット(現在のコーリコード)に到達しました。

マゼランの世界周航

世界周航を成し遂げたマゼラン

新航路の開拓が与えた3つの影響

1.インディオの文明が滅ぼされた

コロンブスの新航路開拓によりヨーロッパ人たちがアメリカ大陸に進出し、インディオの諸文明を滅ぼしました。

最後のインカ皇帝アタワルパの死

コロンブス到着以前、アメリカ大陸にはインディオ(インディアン)が独自の文明社会を作っていました。北アメリカにインディアンの諸部族、メキシコ高原にはアステカ王国、ユカタン半島にはマヤ文明、ペルーにはインカ帝国がそれぞれ存在していたのです。

コロンブスが新航路を開拓して以後、スペインから数多くの征服者たちがアメリカに進出します。そして、アステカ王国やマヤ文明、インカ帝国を次々と滅ぼしていきました。北アメリカのインディアンたちはイギリス系入植者たちに土地を奪われ、やがてアメリカ合衆国により僻地に追いやられました。

2.銀がヨーロッパに流入し価格革命のきっかけをつくった

大量の銀を産出したボリビアのポトシ銀山

スペインが征服したラテンアメリカから大量の銀がヨーロッパにもたらされました。その結果、ヨーロッパで銀価格が下落し物価が2倍から3倍に急騰します。この現象を価格革命といいました。急激なインフレは銀で農民たちから地代を受け取っていた領主たちを直撃し、彼らの没落を早めます。

また、同じころヨーロッパでは急激な人口増加がおきていました。銀価格の下落と穀物不足により穀物価格が急騰します。すると、南ドイツの銀山を支配していたドイツの豪商フッガー家などが没落します。安い銀の流入で経営が成り立たなくなったからでした。

3.大西洋三角貿易が始まった

大西洋三角貿易

コロンブスによって発見された新航路は、ヨーロッパを中心とする大西洋三角貿易を成立させました。大西洋三角貿易とは、ヨーロッパとアフリカ(特に西海岸)、アメリカ大陸を結ぶ貿易のことです。

まず、ヨーロッパ人たちはアフリカ向けの嗜好品や武器を積み込みました。アフリカについた彼らは沿岸の部族に武器を売却。かわりに、彼らが戦争でとらえた他の部族の人々を奴隷として購入します。そして、ヨーロッパ人たちは黒人奴隷を満載してアメリカ大陸に向かいました。

奴隷船から黒人奴隷たちを運び出す様子

アメリカ大陸では、インディオたちを滅ぼしたスペイン人などが大農園や鉱山を経営しています。ところが、彼らがあまりにインディオたちを過酷に扱ったため人口が急減。労働人口が不足していました。それを補うため、アフリカから黒人奴隷が“輸入”されたのです。奴隷を売却した彼らは砂糖やタバコ、金銀などを積んでヨーロッパに帰り、大きな利益を上げました。

航路開拓を可能にした2つの自然条件

コロンブスによる西廻り航路が開拓可能だったのは、「風」と「海流」という2つの自然条件に恵まれたからです。風は貿易風と偏西風、海流は北赤道海流とメキシコ湾流がそれぞれ航路開拓に大きな影響を与えました。

条件1:風

アフリカ大陸最西端のヴェルデ岬

コロンブスが新航路を開拓した大航海時代、船といえば帆船でした。そのため、その主な動力である風の向きは極めて重要です。コロンブスがアフリカ西端のヴェルデ岬から大西洋に向けて出港するとき、その背中を押してくれたのが貿易風(南東貿易風)でした。

貿易風に乗ったコロンブスの船隊は大西洋を西に向けてひた走ります。カリブ海に到着したコロンブスにとって、帰りに背中を押してくれる風は偏西風です。この風に乗り、荷物を満載した船はヨーロッパに向けて航行しました。この二つに風はエンジンの役割を果たします。

条件2:海流

世界の主な海流

風と並んで航海に大きな影響を与えたのが海流です。リスボンを出発したコロンブスの艦隊は、アフリカ西岸に沿って流れるカナリア海流にのってヴェルデ岬まで到達します。そこから今度は北赤道海流にのってカリブ海を目指しました。

カリブ海からの帰路で役に立ったのはメキシコ湾流です。この海流に乗ると大西洋を北東に進めます。しかも、メキシコ湾流の先端部分は北大西洋海流としてヨーロッパ西岸に達していたため、これらの海流はそのまま大西洋三角貿易で利用されました。

コロンブスの航路に関するまとめ

いかがでしたか?今回は、コロンブスが見つけた航路について解説しました。

コロンブスが西に向かったのは、インドに早く到達できると考えたからだったのですね。結果的にコロンブスの目論見は外れましたが、彼が開拓した航路は大西洋三角貿易のルートとして活用され、ヨーロッパの歴史に大きな影響を与えました。

また、コロンブスが新航路開拓に成功できたのは、風と海流という自然条件を味方につけられたからです。船乗りとして豊富な経験を持っていたコロンブスは、アメリカ到達を単なるまぐれにせず、安定した新航路にできると確信したのでしょう。

読者の皆様が、コロンブスの航路に関し「そうだったのか!」と思えるような時間を提供できたら幸いです。

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