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哲学者ソクラテスとはどんな人?生涯・年表まとめ【問答法や名言、思想などを紹介】

ソクラテスは古代ギリシアの哲学者です。釈迦・キリスト・孔子と並んで四聖として数えられることもあるほど、偉大な哲学者として知られています。自分は無知であることを知っている、ということは無知だと自覚できていない人よりは知を持っている、という「無知の知」を主張したことでも知られている人物ですね。

ソクラテス像

またソクラテスは「無知の知」ほかにも「ソクラテス式問答法」という対話の手法や「善く生きる(アレテー)」という考え方など、さまざまな概念が今まで伝わってます。そのため哲学者の中でもトップレベルに有名かつ偉大な人物と言っても過言ではありません。

この記事ではそんな偉大な哲学者ソクラテスの人生や考え方から、弟子や家族、功績や逸話など詳しく紹介していきます。

ソクラテスとはどんな人物か

名前ソクラテス
誕生日紀元前469年頃
没日紀元前399年(70歳)
生地ギリシャのアテナイ(現・アテネ)
没地ギリシャのアテナイ(現・アテネ)
配偶者クサンティッペ

ソクラテスの生涯をハイライト

ソクラテスが生まれた当時のアテナイの銀貨

ソクラテスは紀元前469年頃ギリシャのアテナイ(現在のアテネ)で生まれ、生涯にわたってこの地で過ごしたと言われています。青年時代は自然科学に興味をもっていたそうです。

ソクラテスが40歳代にさしかかるころ、アテナイではペロポネソス戦争が勃発します。ソクラテスは哲学者ではありますが、重装歩兵としていくつかの戦争を勝ち抜いてきました。そんな頃、巫女に「ソクラテス以上の賢者は存在しない」と言われたことをきっかけに「無知の知」を主張するようになります。

ソクラテスの最期を描いた作品『ソクラテスの死』

ですがこれが結果的に多くの敵を作ることになってしまい、ソクラテスは多くの若者を堕落させた罪で裁判にかけられます。ソクラテスは自らの「善く生きる」という信念から「自分は間違ったことはしていない」と考え、亡命できる環境であったのにも関わらず、逃げることなく自ら毒を飲み死を選びました。

結果としてこのソクラテスの生き様(ただ漠然と生きることよりも自らの哲学の信念のために死ぬこと)が多くの人々に共感を与えて、今も語り継がれるような哲学者がたくさん生まれました。

「無知の知」に至った背景とは

デルポイに残るアポロンの神託所

ソクラテスの思想として最も有名なのが「無知の知」です。簡単に説明すると、「自分が無知であることを知っている」という意味です。

アポロンの神託所(神の意見を受け取る場所)にて巫女に「ソクラテス以上の賢者は存在しない」と言われたソクラテスは「なぜ自分のような賢くもなく無知な人間が賢者なのだ?」と疑問に思いました。

これを解決するために、ソクラテスは街にいる頭の良い政治家達に、さまざまな質問をぶつけて問答をすることで、自分が賢者なのかを確かめることにしました。

すると政治家たちにさまざまな質問をしても、結局核心については答えらない人ばかりで、結局政治家も自分と同じように無知であることが分かります。こういった経緯からソクラテスは「政治家は無知を自覚していなくて、自分は無知を自覚できている。だから自分は賢者だと言われたんだ」と考え「無知の知」を主張するようになりました。

「ソクラテス式問答法」とは

ソクラテスが問答をしていた場所・ギリシャのアテナイ

ソクラテスが政治家たちに行った問答は「ソクラテス式問答法」と言われています。簡単に言えば「Aは何ですか?」と質問した時に「AはBだよ」と答えられたら「Bとは何ですか?」という流れで無限に問い続けるというものです。

この問いを続けていると、最終的に相手は答えられなくなるため「真実は結局誰も分からない」という結論になります。ただこの「ソクラテス式問答法」は一方的に相手を辱めるためや、論破をするためのものではなく「相手の主張しているものの矛盾点を突き、さらにより良い洗練された考察を行えるようにする」という考えのもとできたとされています。

最後は「善く生きる」ために死を選ぶ

ソクラテスは最後は「善く生きる」ために生き続けられる環境でありながら、自ら死を選びます。上記の「ソクラテス式問答法」をしたことで政治家の反感をソクラテスは買ってしまいます。更に数多くの若者がソクラテスの真似をしたことで、若者を堕落させた罪にかけられ裁判をうけます。

この裁判では許しを乞ったり、亡命をすることで死刑を免れる事はできたのですが、ソクラテスは「善く生きる」という考えのもと死からは逃げませんでした。

ソクラテスの直接的死因となった毒薬・ドクニンジン

というのも、ソクラテスは「魂に配慮して堕落せずに真実を求めること」こそが徳を作り出す=「善く生きる」と説いています。そのため「真実を求めるためにした自分の行為は間違っていない、許しを乞ったり亡命することは、真実を求めた自分を否定することになる」という結論にいたり、逃げることなく自ら死を選ぶことにしました。

最後は親しい人物と最後まで問答をして、その後自ら毒薬を飲み亡くなったとされています。

ソクラテスの家族、妻、子孫は誰か

ソクラテスとクサンティッペ

ソクラテスの家族は詳細にまとめられており、紀元前の人物でありながら詳しく知ることができます。

父親は彫刻家のソプロニスコス、母親は産婆のパイナレテです。妻はクサンティッペと、ミュルトの2人います。2人の妻からは「ランプロクレス」「ソプロニスコス」「メネクセノス」という合計3人の息子が生まれました。

クサンティッペは世界三大悪妻の一人としても数えられています。夫婦喧嘩の際にはソクラテスの頭に水をかけたり、ある時には尿便の尿をかけたともされています。

ソクラテスは、そんなクサンティッペの夫ということもあり、友人や弟子に「結婚したまえ。良妻なら幸福になれるし、悪妻なら哲学者になれる」という意味深な言葉を残しています。なにはともあれ、ソクラテスを哲学者にしてくれたクサンティッペには感謝しなければいけませんね。

ソクラテスと関りの深い人物

イデア論を唱えたプラトン

ソクラテスの弟子・プラトン

プラトンはソクラテスの弟子で、イデア論を唱えた人物としても知られています。「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と言われるほど偉大な人物です。

プラトンの唱えたイデア論とは簡単に言うと「全ての概念(正義や幸せ)は本来あるべき正しい形(イデア)があるが、普通の人ではその正しい形(イデア)を捉えられない、だから世の中は荒れている」「正義や幸せを正しい形(イデア)を捉えられる人間が王になれば、世の中は安定する」というようなものです。

他にもプラトンは「ソクラテスの弁明」という、ソクラテスの裁判の内容や、ソクラテスの行動や弁明を書き記した著書を後世に残し、ソクラテスの存在を伝えた一人でもあります。

プラトンとはどんな人?生涯・年表まとめ【イデア論や名言、功績についても紹介】

万学の祖・アリストテレス

プラトンの弟子・アリストテレス

アリストテレスはソクラテスとは直接的な繋がりはありませんが、ソクラテスの弟子である、プラトンの弟子がアリストテレスです。またこのソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は西洋哲学を語る上では欠かせないほどに偉大な人物です。

アリストテレスは万学の祖とも言われています。アリストテレスは、プラトンのイデアに反発し「この世はイデアで済ませられるようなことは無い」と主張し、さまざまな観察を行いました。

その結果、哲学を形而上学、倫理学、論理学という形態に分類し、物理学、天文学、気象学、動物学、植物学、生物学、心理学など数多くの学問体系を築きました。

アリストテレスとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や名言、思想についても紹介】

ソクラテスを現代に伝承したクセノポン

ソクラテスの弟子・クセノポン

ソクラテスは自ら著述を行っていません。ではなぜ現代までソクラテスの思想、生涯が語り継がれているのかというと、クセノポンやプラトンの著作のおかげです。クセノポンはソクラテスの弟子のひとりで「ソクラテスの思い出」「ソクラテスの弁明」「饗宴」「家政論」などの著書を行いました。

クセノポン自体は、当時は主に軍人としての活躍が多く、哲学者として名を残したわけではありません。ただ、クセノポンの著書に描かれるソクラテスは、ほとんど散逸することなく現代まで伝承されています。そのため、ソクラテスを忠実に現世まで伝承クセノポンの功績は絶大なものになっています。

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