ソクラテスは古代ギリシアの哲学者です。釈迦・キリスト・孔子と並んで四聖として数えられることもあるほど、偉大な哲学者として知られています。自分は無知であることを知っている、ということは無知だと自覚できていない人よりは知を持っている、という「無知の知」を主張したことでも知られている人物ですね。
またソクラテスは「無知の知」ほかにも「ソクラテス式問答法」という対話の手法や「善く生きる(アレテー)」という考え方など、さまざまな概念が今まで伝わってます。そのため哲学者の中でもトップレベルに有名かつ偉大な人物と言っても過言ではありません。
この記事ではそんな偉大な哲学者ソクラテスの人生や考え方から、弟子や家族、功績や逸話など詳しく紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ソクラテスとはどんな人物か
名前 | ソクラテス |
---|---|
誕生日 | 紀元前469年頃 |
没日 | 紀元前399年(70歳) |
生地 | ギリシャのアテナイ(現・アテネ) |
没地 | ギリシャのアテナイ(現・アテネ) |
配偶者 | クサンティッペ |
ソクラテスの生涯をハイライト
ソクラテスは紀元前469年頃ギリシャのアテナイ(現在のアテネ)で生まれ、生涯にわたってこの地で過ごしたと言われています。青年時代は自然科学に興味をもっていたそうです。
ソクラテスが40歳代にさしかかるころ、アテナイではペロポネソス戦争が勃発します。ソクラテスは哲学者ではありますが、重装歩兵としていくつかの戦争を勝ち抜いてきました。そんな頃、巫女に「ソクラテス以上の賢者は存在しない」と言われたことをきっかけに「無知の知」を主張するようになります。
ですがこれが結果的に多くの敵を作ることになってしまい、ソクラテスは多くの若者を堕落させた罪で裁判にかけられます。ソクラテスは自らの「善く生きる」という信念から「自分は間違ったことはしていない」と考え、亡命できる環境であったのにも関わらず、逃げることなく自ら毒を飲み死を選びました。
結果としてこのソクラテスの生き様(ただ漠然と生きることよりも自らの哲学の信念のために死ぬこと)が多くの人々に共感を与えて、今も語り継がれるような哲学者がたくさん生まれました。
「無知の知」に至った背景とは
ソクラテスの思想として最も有名なのが「無知の知」です。簡単に説明すると、「自分が無知であることを知っている」という意味です。
アポロンの神託所(神の意見を受け取る場所)にて巫女に「ソクラテス以上の賢者は存在しない」と言われたソクラテスは「なぜ自分のような賢くもなく無知な人間が賢者なのだ?」と疑問に思いました。
これを解決するために、ソクラテスは街にいる頭の良い政治家達に、さまざまな質問をぶつけて問答をすることで、自分が賢者なのかを確かめることにしました。
すると政治家たちにさまざまな質問をしても、結局核心については答えらない人ばかりで、結局政治家も自分と同じように無知であることが分かります。こういった経緯からソクラテスは「政治家は無知を自覚していなくて、自分は無知を自覚できている。だから自分は賢者だと言われたんだ」と考え「無知の知」を主張するようになりました。
「ソクラテス式問答法」とは
ソクラテスが政治家たちに行った問答は「ソクラテス式問答法」と言われています。簡単に言えば「Aは何ですか?」と質問した時に「AはBだよ」と答えられたら「Bとは何ですか?」という流れで無限に問い続けるというものです。
この問いを続けていると、最終的に相手は答えられなくなるため「真実は結局誰も分からない」という結論になります。ただこの「ソクラテス式問答法」は一方的に相手を辱めるためや、論破をするためのものではなく「相手の主張しているものの矛盾点を突き、さらにより良い洗練された考察を行えるようにする」という考えのもとできたとされています。
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