哲学者ソクラテスとはどんな人?生涯・年表まとめ【問答法や名言、思想などを紹介】

最後は「善く生きる」ために死を選ぶ

ソクラテスは最後は「善く生きる」ために生き続けられる環境でありながら、自ら死を選びます。上記の「ソクラテス式問答法」をしたことで政治家の反感をソクラテスは買ってしまいます。更に数多くの若者がソクラテスの真似をしたことで、若者を堕落させた罪にかけられ裁判をうけます。

この裁判では許しを乞ったり、亡命をすることで死刑を免れる事はできたのですが、ソクラテスは「善く生きる」という考えのもと死からは逃げませんでした。

ソクラテスの直接的死因となった毒薬・ドクニンジン

というのも、ソクラテスは「魂に配慮して堕落せずに真実を求めること」こそが徳を作り出す=「善く生きる」と説いています。そのため「真実を求めるためにした自分の行為は間違っていない、許しを乞ったり亡命することは、真実を求めた自分を否定することになる」という結論にいたり、逃げることなく自ら死を選ぶことにしました。

最後は親しい人物と最後まで問答をして、その後自ら毒薬を飲み亡くなったとされています。

ソクラテスの家族、妻、子孫は誰か

ソクラテスとクサンティッペ

ソクラテスの家族は詳細にまとめられており、紀元前の人物でありながら詳しく知ることができます。

父親は彫刻家のソプロニスコス、母親は産婆のパイナレテです。妻はクサンティッペと、ミュルトの2人います。2人の妻からは「ランプロクレス」「ソプロニスコス」「メネクセノス」という合計3人の息子が生まれました。

クサンティッペは世界三大悪妻の一人としても数えられています。夫婦喧嘩の際にはソクラテスの頭に水をかけたり、ある時には尿便の尿をかけたともされています。

ソクラテスは、そんなクサンティッペの夫ということもあり、友人や弟子に「結婚したまえ。良妻なら幸福になれるし、悪妻なら哲学者になれる」という意味深な言葉を残しています。なにはともあれ、ソクラテスを哲学者にしてくれたクサンティッペには感謝しなければいけませんね。

ソクラテスと関りの深い人物

イデア論を唱えたプラトン

ソクラテスの弟子・プラトン

プラトンはソクラテスの弟子で、イデア論を唱えた人物としても知られています。「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と言われるほど偉大な人物です。

プラトンの唱えたイデア論とは簡単に言うと「全ての概念(正義や幸せ)は本来あるべき正しい形(イデア)があるが、普通の人ではその正しい形(イデア)を捉えられない、だから世の中は荒れている」「正義や幸せを正しい形(イデア)を捉えられる人間が王になれば、世の中は安定する」というようなものです。

他にもプラトンは「ソクラテスの弁明」という、ソクラテスの裁判の内容や、ソクラテスの行動や弁明を書き記した著書を後世に残し、ソクラテスの存在を伝えた一人でもあります。

プラトンとはどんな人?生涯・年表まとめ【イデア論や名言、功績についても紹介】

万学の祖・アリストテレス

プラトンの弟子・アリストテレス

アリストテレスはソクラテスとは直接的な繋がりはありませんが、ソクラテスの弟子である、プラトンの弟子がアリストテレスです。またこのソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は西洋哲学を語る上では欠かせないほどに偉大な人物です。

アリストテレスは万学の祖とも言われています。アリストテレスは、プラトンのイデアに反発し「この世はイデアで済ませられるようなことは無い」と主張し、さまざまな観察を行いました。

その結果、哲学を形而上学、倫理学、論理学という形態に分類し、物理学、天文学、気象学、動物学、植物学、生物学、心理学など数多くの学問体系を築きました。

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ソクラテスを現代に伝承したクセノポン

ソクラテスの弟子・クセノポン

ソクラテスは自ら著述を行っていません。ではなぜ現代までソクラテスの思想、生涯が語り継がれているのかというと、クセノポンやプラトンの著作のおかげです。クセノポンはソクラテスの弟子のひとりで「ソクラテスの思い出」「ソクラテスの弁明」「饗宴」「家政論」などの著書を行いました。

クセノポン自体は、当時は主に軍人としての活躍が多く、哲学者として名を残したわけではありません。ただ、クセノポンの著書に描かれるソクラテスは、ほとんど散逸することなく現代まで伝承されています。そのため、ソクラテスを忠実に現世まで伝承クセノポンの功績は絶大なものになっています。

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