葛飾北斎の有名な作品:宗理期編
師の勝川春章亡き後、1794年ごろに俵屋宗理に改名します。これは俵屋宗達に始まる琳派の画家の名前で、浮世絵画派とは異なる独自の様式を完成させました。1798年には宗理の名前を門人に譲って北斎辰政(ときまさ)に名を変え、琳派からも完全に独立しました。
来燕帰雁
北斎壮年期の作品として古くから評価されていました。同時代を生きた国学者で歌人の加藤千陰が、「はる秋の契り たかへす(とりどり)に 来るも帰るも こゝろ有けり 千蔭」という着賛(画に書き添えた、褒め称えた言葉)から、この画題で呼ばれるようになったと考えられています。
二美人図
重要文化財に指定されている、北斎の美人図の中でも代表的な作品です。立ち姿の夜の遊女と、座っている日中の若女房との美しさを対比で描いています。
風流無くてななくせ(ほおずき)
大錦判雲母(きら)摺の美人図大首絵です。化粧をしている女性が描かれた錦絵ですが、「七癖(ななくせ)」とあることから7枚揃だったとも考えられますが、今はこの「ほおずき」と「遠眼鏡」しか残っていません。
絵本隅田川 両岸一覧
北斎の狂歌絵本を代表する作品として知られます。見開きごとに画面が途切れず、絵巻物のように下流から上流へと景観が連続して描かれているのが大きな特色です。隅田川の岸の様子を描いた絵と共に、狂歌が添えられています。
くだんうしがふち
ひらがな落款の洋風風景画です。牛ヶ淵とは、九段坂の南側の田安門から清水門にかけての堀の名前です。銭を積んだ牛のひく車が堀に落ち、車も牛も見つからなかったという言い伝えがある場所に、荷車を描いているのは北斎の遊び心でしょうか。
阿蘭陀画鏡 江戸八景 観音
木版ですが、銅版画のエッチングの線描を表現して洋風に挑戦し、木版の可能性を追求しています。「八景」の名前の通り、江戸の八つの景色を描いています。