葛飾北斎の有名な作品を時代別に一覧で紹介【特徴も分かりやすく解説】

葛飾北斎の有名な作品:画狂老人卍期編

晩年も北斎は精力的に活動を続けました。北斎が壮年期より使っていた「画狂老人」と、川柳の号であった「卍」を合わせて用いるようになります。80歳ごろからは肉筆画に力を入れ、描くテーマは古典や花鳥、宗教的なものへと変わっていきました。

百人一首うばかゑとき 源宗宇朝臣

「百人一首うばかゑとき 源宗宇朝臣」1835年ごろ

「百人一首うばかゑとき」は、北斎にとって最後の大判錦絵シリーズとなりました。光孝天皇の孫である源宗宇朝臣は三十六歌仙の一人であり、「山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば」をもとに北斎が描いています。

富嶽百景

「富嶽百景」1835年2月

富士山にまつわるさまざまなものを題材にした「富嶽百景」は、三冊の半紙本から成っています。今日ではイラスト集として国内外で人気が高い作品です。

柳に烏図

「柳に烏図」1841年

ボストン美術館で所蔵され、国内ではあまり公開されたことのない本作は、北斎晩年の傑作の一つと言われます。奥から少しずつ烏を蛇行させながら微妙に大きく描いたことで、空間の広さを表している点は見事というほかありません。

塩鮭と鼠

「塩鮭と鼠」1834〜1839年

1836年の飢饉の際にこれを売り、北斎が困窮から逃れることができたという「肉筆画帖」の一作です。一度見ると忘れられない強烈なインパクトを残す画で、国内はもとより海外でも大変人気が高い一作です。

西瓜図

「西瓜図」1839年

北斎の肉筆浮世絵の中でも神秘的な雰囲気を持つこの作品は、光格天皇の遺愛品として宮中に伝えられています。明治時代に正岡子規がこの作品を美術展で鑑賞し、称賛していますが、現代でも多くの人を惹きつけてやまない一作です。

葛飾北斎作品に関するまとめ

海外で浮世絵が注目されるようになったきっかけは、浮世絵が輸出品の陶磁器の梱包に使われていたからでした。江戸時代、浮世絵は20文(約400円)で販売されていました。かけ蕎麦一杯よりやや高いぐらいの価格で買えたものだったので、日本では包み紙に使われるのも不思議ではないでしょう。

しかし、北斎の浮世絵を見たヨーロッパの人々は衝撃を受けます。こんな素敵な作品が包装紙になるとは、日本とはどのような国なのかと、ジャポニズムが流行するようになるのです。北斎は、海外から日本に興味を持ってもらえるきっかけを作った、国際交流の掛橋になった人なのです。

北斎の作品は江戸時代後期のものですが、古臭いどころか今でも時代の先端をいくような斬新さがあります。この記事を通して北斎の作品に触れ、興味を持ってもらえたら幸いです。

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