酒呑童子とはどんな妖怪?伝説や逸話、頼光・四天王との関係も紹介

幼少~青年期「仏道修行の日々を送るが…?」

酒呑童子が預けられたといわれる国上寺は、新潟の歴史上に度々登場する。

越後出身説における少年期

越後の出身という説においては、酒呑童子はその乱暴な性質によって疎まれ、両親によって山寺に預けられ、そこで稚児として少年期を送ることになりました。

このエピソードの山寺は、一般的には国上寺であるとされていますが、異説においては名前の明示されていない山寺であることも多いため、真相は定かではありません。

越後出身説における少年期の酒呑童子は、多くの女性から好意を受ける美少年だったと記録されており、しかしその一方で鬼らしい冷酷さと乱暴さを持った人物として記録されています。

伊吹出身説における少年期

伊吹出身説の酒呑童子は、10歳の頃に比叡山で修行に入ったと言われています。

記録によると、彼は瞬く間に天才として賞賛されるほどになりましたが、一方で仏教では禁忌とされる酒を好むなど、問題児でもあったとして描かれています。

奈良出身説における少年期

奈良出身説においては、彼は白毫寺の稚児として登場します。

ただし誕生の時と同様、彼が稚児として何をしていたかの記録は残っておらず、人間だった頃の酒呑童子がどんな少年だったかは不明となっているようです。

少年期~青年期「鬼となり、放浪の旅へ」

越後説における酒呑童子は、女性の情念によって鬼に変じた存在だとされる。

越後説における酒呑童子の鬼化

越後説における酒呑童子は、他人の情念によって鬼になった存在だといえます。

美少年だった酒呑童子は、当然多くの女性から恋文を貰っていたようですが、彼はそれを読みもせずに全て燃やしてしまったのだといいます。その恋文を燃やした煙が、女性たちの怨念となって酒呑童子を取り囲み、彼は人ではなく鬼と成り果ててしまったというのが、越後説における”大鬼・酒呑童子”の誕生だったのです。

その後、鬼となった酒呑童子は全国各地を放浪。最澄や空海によって幾度も住処を追われながら、最終的に大江山に住み着いて、都を襲う悪鬼となったのだと言われています。

また異説として、酒呑童子は「預けられた寺の僧侶から外法を学び、それによって鬼に転じた」という説も存在していますが、どちらにせよ越後説の酒呑童子が、他人の影響によって鬼に転じた存在であることは変わりありません。

伊吹山説における酒呑童子の鬼化

鬼の仮面を被ったまま眠ってしまい、酒呑童子はそのまま鬼となってしまった。

伊吹山説における酒呑童子の鬼化は、少々不可思議なエピソードになっています。

比叡山の稚児として”鬼踊り”に参加した酒呑童子は、その後の宴の中で泥酔。そうして仮面をかぶったまま眠ってしまった酒呑童子は、翌朝になると仮面を外すことができなくなり、そのまま鬼として比叡山を追われてしまったのです。

鬼となった酒呑童子は、祖父である須川の長者のもとへ戻りますが、祖父は鬼となった孫を受け入れず、酒呑童子は失意のまま両親のいる伊吹山へ。そこで神通力を得た酒呑童子は、京都を荒らす鬼となり、悪行の限りを尽くすようになったと言われています。

そんな中、やってきた最澄によって伊吹山を追われることになった酒呑童子は、最終的に大江山に住み着くことになったのです。

奈良説における酒呑童子の鬼化

奈良説における酒呑童子の行いは、ある意味で最も同情の余地がない。

奈良説における酒呑童子の鬼化は、ある意味で教訓的ともいえるエピソードでしょう。

白毫寺の稚児だった酒呑童子は、山で見つけた死体の肉を好奇心から持ち帰り、師に食べさせてしまうのです。そしてこの行いを癖にしてしまった酒呑童子は、やがて死体だけでなく生きた人間を殺して、肉を食うようになってしまいます。

そして、その悪行を師によって見つけられてしまった酒呑童子は寺を追い出されてしまい、かれはそのまま鬼として、大江山を拠点に暴れ回ることになるのです。

995年 「源頼光、藤原保昌らに討伐される」

頼光たちによるだまし討ちに遭い、酒呑童子はその生涯を終えることになった。

大江山の酒呑童子退治

一条天皇の即位以降、都では神隠しが大量発生していました。そして995年、安倍晴明の占いによって、その犯人が酒呑童子であることが発覚したのです。

一条天皇は源頼光と藤原保昌、頼光四天王の面々を討伐隊として派遣。頼光たちは山伏に扮して酒呑童子の住処に赴き、酒呑童子に神便鬼毒酒を飲ませ、大江山の鬼を無力化することに成功しました。

そしてそのまま、頼光たちは泥酔した鬼たちを討伐。卑怯なだまし討ちに酒呑童子は怒り、生首だけで頼光に噛みつこうとしたようですが、その最期のあがきも兜に阻まれて失敗に終わったのだと言われています。

酒呑童子の死後

討ち取られた酒呑童子の首は、宝蔵に収められたとも大江山に埋葬されたとも、あるいは老ノ坂に埋められて大明神になったとも言われ、その真実は明らかになっていません。

その後、酒呑童子の配下であった茨木童子は、度々京都に出てきて渡辺綱と死闘を繰り広げたとも言われていますが、その真偽も定かではなく、最終的に茨木童子がどうなったのかもわかっていません。

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定本 酒呑童子の誕生――もうひとつの日本文化

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内容は非常に硬く難しいですが、その分研究として内容がしっかりと纏まっている、資料として信頼性のおける書籍となっています。

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酒呑童子についてのまとめ

平安時代の都を騒がせた悪鬼である酒呑童子。現代においてはゲームやアニメのキャラクターの印象が強い存在ですが、その来歴などを調べていくと、意外と深い物語が見えてきたように思えます。

人の情念によって鬼になった越後説。人に受け入れられずに悪になったとも読み取れる伊吹山説。好奇心で身を滅ぼした奈良説など、それら全てから「所詮は作り話」と笑い飛ばすには惜しい学びがあるように、筆者としては感じられました。

それでは、この記事にお付き合いいただき誠にありがとうございました。この記事が皆様にとって、何かの学びとなっていましたら光栄です。

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