その他オウム真理教の幹部
村井秀夫
村井秀夫はオウム真理教のナンバー2だった人物で、科学技術部門の最高幹部でもありました。地下鉄にサリンをまくことを麻原に提案したのも村井で、事件の際には総指揮を取っています。
事件後に報道陣へのスポークスマンとしても登場していましたが、1995年4月23日に指定暴力団山口組の構成員に刺され死亡しています。
林郁夫
林郁夫は元医者のオウム真理教の幹部だった男です。地下鉄サリン事件の際には実行犯として千代田線にサリンをまき、地下鉄職員2人を死亡させました。
逮捕後の取り調べで最初のうちは黙秘権を行使していましたが、一転して「私がサリンを撒きました」と犯行を自供したことで多くの逮捕者が出て教団の解体につながりました。この自供のおかげで実行犯の中で唯一死刑を免れています。
土谷正実
土谷正実はオウム真理教の科学者として化学兵器や薬物の開発に携わっていました。サリンの生成法を確立したのも土谷で、1994年6月27日に起こった松本サリン事件の際に使用されたサリンも土谷の手によるものです。
地下鉄サリン事件には直接関わってはいませんでしたが、サリンの生成法確立によって大量殺人を可能にしたことが問題視され死刑判決が下っています。
事件による被害者
14人の死者と約6300人の負傷者を出した
地下鉄サリン事件では2021年現在、14人の死者と約6300人の負傷者を被害者として認定しています。
事件の被害にあった76歳の男性は翌日の1995年3月21日に亡くなっていますが、死因が心筋梗塞だったため当時サリン事件との因果関係が認められず被害者としては認定されていませんでした。しかし2008年12月に施行された「オウム被害者救済法」によって、ようやく13人目の死者として認定されました。
また2020年3月には地下鉄サリン事件で被害に遭い、その後約25年にわたって被害に苦しんできた浅川幸子さんが亡くなっています。浅川さんはメディアにも実名で出演し、オウムの被害を訴えてきました。
重い後遺症に悩む被害者たち
地下鉄サリン事件の被害者たちは重い後遺症に悩まされていました。
先述の浅川幸子さんはサリンを吸い込んだことによる低酸素脳症によって全身に麻痺が残り、亡くなるまで寝たきりの生活を強いられていました。サリンの後遺症として視力に障害を持った被害者も多く、失明した被害者もいるといいます。
また身体的な被害だけでなく電車に乗ることをができなくなったり、事件のことが忘れられずPTSDなどの精神的な疾患を患う人も少なくありませんでした。「オウム真理教犯罪被害者支援機構」が実施したアンケートではPTSDの疑いがある被害者は29%、被害者の家族では59%の結果となりました。
情報錯綜による二次被害
地下鉄サリン事件では事件直後から様々な通報が警察と消防に寄せられました。しかし「爆発事故が起こった」や「地下鉄の駅で異臭がする」など、現場の状況を正しく説明したものは有りませんでした。そのため事件発生直後は警察と消防もサリンに対して適切な装備を着けずに救助に当たっていました。
また現場での情報は各部署にうまく共有されておらず、被害者が搬送された病院などにはサリンについての情報が伝わっていないこともありました。
結果、治療に当たっていたスタッフなどに軽傷ながら多数の被害が確認された他、警察や消防にも100人を超える負傷者を出すことになります。そのため化学兵器を使用したテロ発生時の二次被害について見直されることになりました。
俺の母親はこの事件に巻き込まれそうになった。あの時、母親が定期券を忘れていなければ俺がこの世に存在していなかったでしょう。