地下鉄サリン事件とは?経緯や目的、犯人まとめ【被害者の後遺症も紹介】

1995年5月6日ー教団幹部の林郁夫が自白

取調室、イメージ画像です。

1995年4月8日、事件の実行犯で教団幹部の林郁夫が逃亡先の石川県で警察に見つかり逮捕されます。当初の逮捕理由は職務質問を受けたときに盗難自転車に乗っていたことによる、占有離脱物横領罪でした。

石川県警から身柄を移され警視庁で取り調べを受けた林は当初、警察に敵対心をむき出しにし黙秘を貫いていました。しかし教団の弁護士が接見で、昇格させることを理由に口止めを要求してきたことに疑問を抱き、教団に対して不信感を持ち始めます。

さらに4月23日に村井が刺殺されたことが林に大きな動揺を与えたらしく、5月8日別件での取り調べのあとに突然「私がサリンを撒きました」と自供し、地下鉄サリン事件の全貌を語り始めました。

1995年5月16日ー警察が麻原彰晃を逮捕

連行される麻原彰晃とこ松本智津夫被告

林の自供を受けて警察は5月16日に再び上九一色村の教団施設を強制捜査し、教団施設「第6サティアン」内の隠し部屋に潜んでいた麻原を地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕します。

麻原と弁護団は当初裁判で、地下鉄サリン事件は弟子たちが勝手にやったことだと供述していました。しかし捕まったその他の幹部たちの供述からそれはありえないと判断され、首謀者としての責任追及は免れませんでした。そして2004年2月27日に麻原彰晃は死刑判決を受けます。

獄中でも最後まで麻原は事件についての詳細を語らないまま、2018年7月6日に死刑判決を受けた幹部ら5人とともに死刑が執行されました。

地下鉄サリン事件の影響

オウム真理教がアレフ(現Aleph)に変わった

アレフの施設

地下鉄サリン事件を受けてオウム真理教は宗教法人の資格を取り消し処分になります。教祖の麻原を始め多くの幹部が逮捕されたことにより教団からの脱退者が相次ぎ、信者数が事件発生後2年半で5分の1以下になったことが打撃となりオウムは破産しました。

その後、オウムはアレフ(現Aleph)と名前を変え現在でも存在しています。しかし未だに麻原を崇拝する信者もおり、公安調査庁は現在でもアレフを観察処分対象としているほか、アメリカ国務省もアレフをテロリストグループと認識しています。

駅のごみ箱が撤去された

中が見えるよう改良された駅のごみ箱

地下鉄サリン事件をきっかけにして営団地下鉄はもちろん、JRや大手私鉄など全国の鉄道会社はテロ対策に乗り出します。事件の翌日には駅に設置されていたコインロッカーの使用が中止され、ゴミ箱が撤去されました。

また営団地下鉄車両の内部に「不審物・不審者を発見した場合は乗務員にお知らせ下さい」と書かれたステッカーが貼られるようになりますが、このステッカーは当時その他の私鉄では実施されていませんでした。しかし2001年アメリカ同時多発テロ事件が発生したことを受けて各鉄道会社に広がりました。

事件後しばらくしてゴミ箱が再び駅構内に置かれ始めます。ただしゴミ箱は以前とは違い、中身が目視できるよう一部が透明に加工された者が設置されました。

地下鉄サリン事件に関わるその他の事件

松本サリン事件

松本サリン事件で出動した消防

「松本サリン事件」とは地下鉄サリン事件が起こる約9か月前の1994年6月27日に、長野県松本市でオウムが起こしたテロ事件です。教団はオウムの裁判を担当していた裁判官の官舎を狙ってサリンを撒き、死者8名・負傷者120名を出しました。

捜査に当たった長野県警が第一通報者である河野義行さんを重要参考人としたことをマスコミが聞きつけ、参考人としてではなく半ば犯人として報道を開始します。この時からしばらく真犯人は分からないままでした。

犯人が判明したのは地下鉄サリン事件が起こり、オウム真理教が強制捜査を受けた後でした。松本サリン事件はサリンのような化学兵器が無差別に一般市民に向けられた、世界初の化学兵器によるテロ事件でした。

全日空857便ハイジャック事件

ハイジャックされたボーイング747SR-100

1995年6月21日に起こった「全日空857便ハイジャック事件」は全日本空輸857便がハイジャックされた事件です。日本で初めて機動隊と特殊部隊による強行突入が行われた事件でもあります。

犯人はオウム真理教の信者を名乗り、サリンを持っていると言って客室乗務員を脅しました。そして「麻原彰晃の釈放」を要求し、365人の乗客を人質に取って機内に立てこもったのです。しかしサリンはただの水であることが判明し、オウムともまったく関係のないただの愉快犯による犯行でした。

地下鉄サリン事件に関係する作品

書籍ー「アンダーグラウンド」

「アンダーグラウンド」は1997年3月13日に発行された、村上春樹によるノンフィクション文学作品です。地下鉄サリン事件の被害者や関係者たちに村上自身がインタビューを行い、総勢62人の関係者から聞いた話をまとめたものでした。

事件が起きた時、村上は神奈川県大磯にある自宅にいたといいます。事件後に加熱した報道には村上が知りたかった「現場に居合わせた人々の声」の情報がなく、そのことが本作を制作するきっかけとなりました。

映画ー「AGANAI 地下鉄サリン事件と私」

本作は地下鉄サリン事件の被害者でもある映画監督の「さかはらあつし」氏が、オウム真理教の後継団体Alephの広報部長・荒木浩と対峙するドキュメンタリー映画です。さかはら監督は事件後にPTSDと神経症を患いましたが考え抜いた末、事件と向き合う決心をします。

地下鉄サリン事件に関するまとめ

いかがでしたか?

世界中を震撼させた地下鉄サリン事件は、過去に類を見ない残忍なテロ事件でした。一般市民を標的とした無差別な攻撃によりたくさんの犠牲者を出し、生き残った人や遺族に身体的・精神的ダメージを与えました。その痛みは私たちにはとても計り知れません。

二度とこのような事件が起こらないよう祈るばかりです。

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2 COMMENTS

あずま

俺の母親はこの事件に巻き込まれそうになった。あの時、母親が定期券を忘れていなければ俺がこの世に存在していなかったでしょう。

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