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太平洋戦争が起きた3つの原因とは?真相や関連人物も分かりやすく解説

「太平洋戦争の原因って何?」
「日本はどうしてアメリカと戦争始めたんだろう?」

太平洋戦争は第二次世界大戦の局面の一つで、日本が中心の枢軸国と、アメリカ合衆国・イギリスなどの連合国との太平洋を中心に起こった戦争です。枢軸国・連合国共に多くの犠牲者を出し、日本も本土空襲や沖縄戦・原爆投下により多くの人が命を落としています。

日本史上最悪の犠牲者を出した太平洋戦争

日本の敗戦という結果で終わった戦争は、終戦後日本に残ったものは焼け野原と深刻な食料不足だったといいます。どうして日本は世界大国に戦争を仕掛けたのでしょうか?この記事では太平洋戦争の原因を詳しく解説します。

そもそも太平洋戦争とは?

日本海軍の攻撃で沈没するアメリカ軍艦

太平洋戦争は第二次世界大戦時に起こった戦争でした。1939年から始まった第二次世界大戦において、1941年に日本が英領マレー半島の上陸作戦と真珠湾攻撃をもって宣戦布告し開戦。戦況は当初、日本が快進撃を見せたものの、ミッドウェー海戦の敗戦を境に守戦に転じます。

そして1945年にサイパン島と硫黄島の戦いに敗れアメリカが占拠してから、アメリカ軍の日本全国への空襲が本格化します。その後4月に連合国は沖縄本土に上陸を開始。6月に沖縄を占領後、連合国は7月に日本の降伏を求めるポツダム宣言を発表します。日本はこれを黙殺しました。

東京大空襲後の焦土となった東京

8月にはアメリカは広島・長崎に原子爆弾を投下します。結果日本はポツダム宣言を受諾し、日本の敗戦で太平洋戦争は終結したのです。

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太平洋戦争が起きた3つの原因

なぜ太平洋戦争が起こったのか?気になるところだ

太平洋戦争がなぜ起こったのか?原因は色々考えられていますが、代表的な原因として以下の原因が挙げられています。今からその3つの説をご紹介します。

1.日中戦争の泥沼化

日中戦争の中国兵

太平洋戦争開戦時の1941年は、日中戦争が泥沼化している状態でした。そのため日本は南進し、中国国民党の物資の補給路を断ちたいという思惑がありました。

日中戦争は1937年盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)をきっかけに全面戦争に突入しました。そして蒋介石総統率いる中国の国民政府軍が徹底抗戦を続け、徐々に日本軍は押され気味となっていました。中国軍はアメリカ・イギリス・ソ連から軍需物資や人員援助を受け、ゲリラ戦法などの戦術を用い日本軍が苦戦を強いられます。

蒋介石総統、中国国民政府軍を指揮した

こうして軍事的解決に失敗し戦争が長期化してしまった日本は、中国軍を支援する援蒋ルート(アメリカ等が中国を援助するための輸送路)を断つことで、中国軍の力を削ごうとしたのです。

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2.ABCD包囲網による石油資源の不足

ルーズベルト大統領は日本への経済制裁を先導した

太平洋戦争が起こった原因の一つに、日本が東南アジアの石油や天然資源が欲しかった事が挙げられます。当時日独伊三国同盟を結び、主に石油を目的にインドネシアやインドシナ半島を占領して資源を確保しようとしたのです。手始めにドイツに降伏したフランス領だった仏領インドシナを占領し、支配下に置いています。

日本にとって石油が出る東南アジアは欲しい場所だった

このことに、東南アジアに植民地を持つアメリカ・イギリス・オランダが猛反発し、日本にABCD包囲網と呼ばれるアメリカ・イギリス・中国・オランダの石油を輸出しない経済制裁をしました。日本は後半年で石油の貯蔵が切れるというところまで追い詰められたのです。

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3.強硬な姿勢のアメリカへの反発

コーデル・ハル国務長官の名前を取って″ハル・ノート”と呼ばれている

石油が輸出してもらえないのは日本にとって死活問題であり、当時内閣だった近衛文麿内閣はアメリカのルーズベルト大統領と昭和天皇の会談を実現しようとしましたが失敗します。更にアメリカは日本の経済制裁を解く条件として″ハル・ノート”と呼ばれる、

  • 四原則の無条件承認
  • 支那及仏印よりの全面撤兵
  • 国民政府(汪兆銘政権)の否認
  • 三国同盟の空文化

という事実上の最後通牒を突きつけます。内容は、東南アジアと中国の兵の撤退・日独伊三国同盟の破棄を条件としていました。この内容は日本にとって到底受け入れられる内容ではなく、日本側はアメリカからの宣戦布告だと受け取ったのです。1941年12月1日の御前会議で東條英機内閣は、

御前会議の様子

「米国は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、更に米英蘭支聯合の下に、支那より無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の死文化を要求する等、新なる条件を追加し帝国の一方的譲歩を強要して参りました。若し帝国にして之に屈従せんか、帝国の権威を失墜し支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果と相成る」

と発言しています。そして太平洋戦争を開戦することが決定し、12月8日にアメリカの真珠湾への奇襲攻撃が決まったのでした。

太平洋戦争の真の黒幕は?

太平洋戦争の真の黒幕は何だったのか?

一般的な原因として考えられているのは、上記の理由です。しかし太平洋戦争はそれよりももっと根深い理由が存在します。建前とは別の開戦の理由を解説します。

一番利を得たのはアメリカ

フランスを降伏させ凱旋門を行進するドイツ軍

太平洋戦争して一番利を得たのはアメリカです。モンロー主義を掲げていたアメリカですが、実は第二次世界大戦でドイツにフランスが降伏、イギリスも絶体絶命の危機に直面し、イギリスから参戦を望まれていました。しかしアメリカでは大多数の国民が戦争に乗り気ではなかったのです。

そのためアメリカはドイツなどの枢軸国を刺激し、戦争に参戦することを思いつきます。アメリカは最初にドイツを挑発し、イギリスの商船を護衛しドイツのUボートに威嚇射撃までしているのです。これにはドイツも大激怒しますが、ヒトラーは攻撃しないように支持しています。恐らくヒトラーにはアメリカの思惑を見抜いていたからといわれています。

ドイツのUボート、アメリカは威嚇射撃していたという

そしてアメリカはやり方を変え、日本を威嚇するようになりました。日中戦争に介入し、経済政策して日本が戦争をしなければいけないように仕向けていったのです。最終的に日本は挑発にのってしまい、太平洋戦争は開戦しました。そして三国同盟のためにドイツ・イタリアもアメリカに宣戦布告したために、イギリスの援助をする口実もでき、日本の奇襲攻撃による怒りからアメリカ国民の戦意も上がっていったのでした。

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日本軍部の暴走

アメリカのプロパガンダで日本のシンボルは黒龍と例えられた

もちろんアメリカだけではなく、日本側にも大きく問題がありました。日本は当時世界から見ても非常に凶暴な国で、軍隊が手あたり次第戦争している状況でした。その好戦的で無軌道ぶりは“ナチスよりも惨い”といわれる程です。

日本の軍部の暴走は惨く、省益目的のために戦争をすぐに仕掛けていました。戦争することにより、予算が貰え権益が上がるために、国益や国民生活を大幅に犠牲にしても戦争しています。当然政治家は軍部に注意します。しかし暴走を止めようとした政治家は、5・15事件や2・26事件で暗殺されてしまいます。そのため命が惜しい政治家は、軍部に逆らえなくなったのです。

軍の中では気性の激しい弟の秩父宮殿下を天皇にという声もあったという

また昭和天皇も実は危なかったという話もあります。軍部の中には、文人肌の昭和天皇よりも性格的に活発な秩父宮を天皇に擁立しようという動きがあったといいます。そのように天皇は不可侵な存在として扱われてはいたものの、それでも自分たちに都合の良い天皇を即位してもらおうという意見が出るほど、軍部は凶暴になっていたのです。

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軍部の暴走を罰しない事なかれ主義

満州事変で洛陽に入る日本軍

軍部は1931年に満州事変を中央政府に許可なく事件を起こし、満州を占領してしまいました。中央政府の許可もなく独断で行ったにもかかわらず、政府は事件に関わった将校を処罰していません。結局結果満州を占領できたからと、責任を追及することはありませんでした。

その裏には、首謀者だった石原莞爾を罰すると、登用した自分たちにも責任が及ぶのが嫌だったために、責任自体を無かったことにしてしまったという事実があります。このことは後にも悪影響を及ぼし、自分の勝手な判断で侵略行為した石原莞爾は英雄に祭り上げられました。

ノモンハン事件、大本営の許可なく空爆した為昭和天皇の怒りを買ったといわれる

そしてあの人が罰せられなかったからと、第二の石原莞爾を目指すような風潮まで起こってくるようになったといわれています。そして責任隠ぺいはその後あらゆる方面でも続き、後のノモンハン事件等も日本国民が知ったのは戦後だったといいます。ノモンハン事件で生きていた将兵は口封じのために最前線に送られ、全員戦死してしまったからでした。このような体制も、太平洋戦争へと突き進んだ遠因の1つといえるのではないでしょうか。

太平洋戦争開戦に関係の深い人物

戦争に大きく影響した人物を紹介!

太平洋戦争に大きな影響を与えた人物を4名紹介します。どのように太平洋戦争に関わったかを解説します。

昭和天皇

昭和天皇

いわずと知れた、太平洋戦争時の天皇です。昭和天皇は当初太平洋戦争に乗り気ではなかったといいます。しかし最初の日本の快進撃を聞き、非常に喜んでいたそうです。1942年の4月に東京が初空襲されても中々信じず、すぐに避難しようとしなかったといいます。しかし日本の活躍に陰りが出てき、追い詰められていた1945年の7月31日には、

「先日、内大臣の話た伊勢大神宮のことは誠に重大なことと思ひ、種々考へて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」

と側近に語ったといいます。三種の神器を自身の近くに置いておき、いざというときは運命を共にする覚悟だったそうです。結局8月9日の天皇の聖断により降伏が決まり、ポツダム宣言を受諾。戦争は終結しました。

近衛文麿

近衛文麿内閣

1940年から内閣総理大臣となった公家出身の政治家です。日独伊三国同盟や日ソ不可侵条約を結んだ内閣でした。しかしアメリカと和平しようとしますが、失敗。軍部の強い意見により戦争をせざるえない状況になると、政権を投げ出すように総辞職しています。

近衛は初めから戦争に乗り気ではなかったといいます。そして戦争中も和平運動を起こし“反東條派”として行動しています。早期和平を天皇に上奏していますが、結局功を成しませんでした。そして終戦後は軍部のみに責任があると主張しますが、責任が免れられないと悟ると自宅で服毒自殺しています。

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東條英機

東條英機内閣

近衛内閣の後に内閣となったのが東條英機でした。軍の強硬派ではありましたが、就任すぐ昭和天皇にアメリカと和平を進めるようにという指示があったといいます。そのため粘り強く交渉しますが、決裂し戦争に至ってしまいました。

当初は優勢だった日本軍もサイパンを占領され守戦に転じた頃から、反東條派が増え辞職しています。終戦後は拳銃自殺を図りますが未遂となり、東京裁判で死刑に処されました。裁判中「天皇は内閣と私たちに意見されしぶしぶ開戦に同意しただけだ」と主張。これが天皇の免訴の最終的な決定に繋がったといわれています。評価はわかれますが、非常に判断力や頭脳は優れていたものの、残念なことに世界の動向に疎かったと当時の外相重光葵は語っています。

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石原莞爾

石井莞爾

“世界最終戦論”という軍事思想を唱え、中央政府の許可なく満州事変を起こした人物です。直接太平洋戦争に関与はしていませんが、当時の軍人の思想に大きな影響を及ぼしたといわれています。

世界最終戦論とは、「大闘争が起こり世界が統一される、キリスト教国を仏外の外道国として悪国指定」などと記され白人を白鬼といい、世界から抹殺せねばならないと説きました。太平洋戦争時は、東条英機と仲が悪かったために左遷されていたので直接的な関与はしていないのですが、石井の行動と思想は、日本人に影響を与え戦争の遠因になったと考えられるでしょう。

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太平洋戦争の原因に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回は太平洋戦争の原因に焦点をおいて執筆しましたが、筆者は戦争というものに善も悪もないものだなと感じています。それぞれの国が自国ファーストを掲げて侵略し、なんとかその行為を正当化させようとしている姿を感じてしまいました。

しかし結局は暴力に訴える野蛮な行為であり、戦争で残るものは焼け野原と悲しみだけだという事実を再確認した次第です。二度とこのような過ちを繰り返さないように自分たちも選挙に必ず参加するなど政治に関心を持ち続ける事が大事であることを再認識しています。この記事を読んで“ああそうだったのか”と感じてくれた人がいたら非常に嬉しく思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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