「性善説という言葉をよく聞くけどイマイチ意味がよくわからない」
「性善説の考え方は結局どれが正しいの?」
人の善悪を示す基準のひとつである「性善説」。結論から簡単に説明すると、性善説とは信じすぎてもしなさすぎてもいけない思想です。名前は有名ですが、その意味や考え方はよく知らないという人も少なくありません。思想なので難しいものではありますが、実はそれほど難しいものでもないのが性善説なのです。
では、性善説とはいったいどんな考え方なのでしょうか。今回は性善説の考え方と性悪説との違いやよくある勘違い、儒家それぞれの解釈と信じることのメリット・デメリットについてお話します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
性善説とは?意味を分かりやすく解説
性善説の考え方とはどんなものなのでしょうか。漢字から何となく意味は分かるのですが、しっかりと性善説の意味を説明できる人は少ないです。字面だけではなく正しく意味を理解することが、性善説に限らず思想全てに大事なことです。
では、性善説について詳しく説明していきましょう。
人は本来「善」であるという考え方
「人は生まれながらにして善である」という考え方が、性善説の意味です。この世に生まれ落ちた時点で人間はすべて「善」、つまり聖人になれる素質を持ってることを言っています。聖人とは、「儒教における最高の徳を積んだ偉い人」の意味です。
「性善説」の「性」とは性別のことではなく、「天から与えられた人の本質」のこと。もう少し詳しく3文字を分解して説明すると、「天から与えられた人の本質は、みんな聖人になれる素質をもついい人なのだよ」ということになるのです。生まれてきた人は全員「いい人」=性善説の意味で間違いではありません。
これに対抗する考え方として「性悪説」があります。詳しいお話は後ほどしますが、意味はまったくの正反対。この相対する2つの考え方は、2000年以上たった現在でも大切な考え方として位置づけられています。
唱えたのは孟子
性善説を最初に唱えたのは、孟子(もうし)という思想家です。今から約2,300年前の中国、春秋戦国時代に孟子は活躍しました。彼は政治の在り方として、王の理想像や国の基礎となる考え方を各国の王に説いて回る身でありました。
稀に「孔子の弟子」としている本やサイトがありますが、正しくは孔子の孫の弟子です。つまり、孟子は孔子の直接の弟子ではありません。しかし、性善説という儒教でも重要な思想を成立させた人間として、儒家のあいだでは孔子に次ぐ重要人物として、孟子は位置づけられているのです。
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備わった「善」は努力によって開花する
性善説は「生まれながら人はいい人」と定義していますが、この状態がずっと続くわけではないと説いています。放置しておけば「悪」になってしまう恐れがあることは、性善説を生み出した孟子自信も述べているからです。つまり、立派な人=聖人になるためには、日々の努力でさらに磨き上げる必要があるのです。
努力して開花するとは言われても、何をどうすれば「善」のままでいられるのかは難しいでしょう。孟子は、性善説を「四端」と呼ばれる要素に分けて、それぞれを磨き上げる努力が必要だと王たちに説いていました。簡単に説明すると。「四端」とは次の内容になります。
- 仁義:真心と思いやり、そしてそれが適切に運用されること
- 王覇:武力を主とする「覇」よりも、徳を主とする「王」による政治が良いとすること
- 民本:領土や軍事力ではなく、人民の心を得ることが大事とすること
- 天命:王位は人からもらうものではなく、天から与えられるものであること
性善説そのものが権力者のために説かれた思想なので、ピンとこない考え方もあるでしょう。しかし、共通していることはすべて「力や暴力ではなく、信頼を勝ち得る努力・施策をしなさい」ということ。その努力を続けて初めて、性善説の目指す聖人になれるのです。