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性善説とはどういう意味?成立の背景や使い方、性悪説との違いも紹介

「性善説という言葉をよく聞くけどイマイチ意味がよくわからない」
「性善説の考え方は結局どれが正しいの?」

人の善悪を示す基準のひとつである「性善説」。結論から簡単に説明すると、性善説とは信じすぎてもしなさすぎてもいけない思想です。名前は有名ですが、その意味や考え方はよく知らないという人も少なくありません。思想なので難しいものではありますが、実はそれほど難しいものでもないのが性善説なのです。

では、性善説とはいったいどんな考え方なのでしょうか。今回は性善説の考え方と性悪説との違いやよくある勘違い、儒家それぞれの解釈と信じることのメリット・デメリットについてお話します。

性善説とは?意味を分かりやすく解説

性善説は日本でも寺子屋で朱子学とともに学ばれた

性善説の考え方とはどんなものなのでしょうか。漢字から何となく意味は分かるのですが、しっかりと性善説の意味を説明できる人は少ないです。字面だけではなく正しく意味を理解することが、性善説に限らず思想全てに大事なことです。

では、性善説について詳しく説明していきましょう。

人は本来「善」であるという考え方

性善説は儒教(じゅきょう)の考え方のひとつであり、重要なものとして知られている

「人は生まれながらにして善である」という考え方が、性善説の意味です。この世に生まれ落ちた時点で人間はすべて「善」、つまり聖人になれる素質を持ってることを言っています。聖人とは、「儒教における最高の徳を積んだ偉い人」の意味です。

「性善説」の「性」とは性別のことではなく、「天から与えられた人の本質」のこと。もう少し詳しく3文字を分解して説明すると、「天から与えられた人の本質は、みんな聖人になれる素質をもついい人なのだよ」ということになるのです。生まれてきた人は全員「いい人」=性善説の意味で間違いではありません。

これに対抗する考え方として「性悪説」があります。詳しいお話は後ほどしますが、意味はまったくの正反対。この相対する2つの考え方は、2000年以上たった現在でも大切な考え方として位置づけられています。

唱えたのは孟子

性善説を唱えた孟子は、孔子の直接の弟子ではないが「直系の弟子」とも言われるほど優秀であった

性善説を最初に唱えたのは、孟子(もうし)という思想家です。今から約2,300年前の中国、春秋戦国時代に孟子は活躍しました。彼は政治の在り方として、王の理想像や国の基礎となる考え方を各国の王に説いて回る身でありました。

稀に「孔子の弟子」としている本やサイトがありますが、正しくは孔子の孫の弟子です。つまり、孟子は孔子の直接の弟子ではありません。しかし、性善説という儒教でも重要な思想を成立させた人間として、儒家のあいだでは孔子に次ぐ重要人物として、孟子は位置づけられているのです。

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備わった「善」は努力によって開花する

孔子の考えた「忠信説」は、孫弟子の孟子によって性善説に形を変えた

性善説は「生まれながら人はいい人」と定義していますが、この状態がずっと続くわけではないと説いています。放置しておけば「悪」になってしまう恐れがあることは、性善説を生み出した孟子自信も述べているからです。つまり、立派な人=聖人になるためには、日々の努力でさらに磨き上げる必要があるのです。

努力して開花するとは言われても、何をどうすれば「善」のままでいられるのかは難しいでしょう。孟子は、性善説を「四端」と呼ばれる要素に分けて、それぞれを磨き上げる努力が必要だと王たちに説いていました。簡単に説明すると。「四端」とは次の内容になります。

  • 仁義:真心と思いやり、そしてそれが適切に運用されること
  • 王覇:武力を主とする「覇」よりも、徳を主とする「王」による政治が良いとすること
  • 民本:領土や軍事力ではなく、人民の心を得ることが大事とすること
  • 天命:王位は人からもらうものではなく、天から与えられるものであること

性善説そのものが権力者のために説かれた思想なので、ピンとこない考え方もあるでしょう。しかし、共通していることはすべて「力や暴力ではなく、信頼を勝ち得る努力・施策をしなさい」ということ。その努力を続けて初めて、性善説の目指す聖人になれるのです。

性善説と性悪説の違い

荀子は、性善説と真逆の性悪説を唱えたことで知られる

性善説に相対する考え方として、「性悪説」というものがあります。こちらは荀子(じゅんし)によって提唱された説で、「人の生まれながら弱い存在である」とするものです。性善説とそもそもスタートが違いますね。

荀子は、孟子と同時代の思想家です。同じ儒家ではあるのですが、考え方には法家、つまり法律によって国を統治する考え方も持っていました。これが孟子との思想の違いを明確にしている要素だと言われています。

ただ、「だからと言ってそのまま弱いままで人間は終わる」とは性悪説はしていません。人の生まれながらの性質が悪なのだから、生まれた後に悪を善にしていく努力が必要だと荀子は説いたのです。このように、生まれた時点での性質は違いますが、思想が目指す最終的なゴールは性善説・性悪説ともに変わりません。

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性善説の解釈の違い

太極図は当初儒教の者ではなかったが、朱子によって補完資料として採用された人の光と影を表すもの

性善説が成立してから2300年以上の時が経っています。もちろん現代まで受け継がれるまで、多くの思想家によって解釈が違ったことはいうまでもありません。性善説の解釈については、始祖である孟子から朱子学の祖、朱子と陽明学の祖、王陽明の3人による解釈があります。

では、それぞれどのように違うのでしょうか。三者三様の性善説の解釈について、詳しくお話していきます。

孟子の解釈

性善説の考え方の前に人の本性を「白紙」に例えた告子

性善説の提唱者である孟子が性善説を唱えるきっかけになったのは、告子(こくし)が説いた「性白紙説」の考え方です。聞き馴染みのない思想ですが、「人は生まれ持って善でも悪でもない白紙の状態である」と説いたのがこの思想です。実はこれが孟子、そして荀子の登場前は主流であり、広く受け入れられていました。

孟子は、孔子が説いていた「忠信説」を発展させて性善説の考えを確立。部録や領土がすべてであった春秋戦国時代で、「楽観的に情勢を見なさい」としたわけではありません。あくまでも「聖人にしかできない徳の高い政治がある」ことをベースに政治の在り方を唱え続けていたのです。これこそが性善説です。

しかし、この時代ではあまり受け入れられることはなく、性善説が拡大するのはもう少し時代を経なければなりませんでした。

朱子の解釈

朱子学の祖、朱子が始めて性善説の考え方に手を入れるまで、誰も性善説に触れようとはしなかった

性善説の誕生から約1200年経って、性善説の考え方に手を加えようとしたのが朱子でした。朱子は、儒教の一派である朱子学の祖として名高い思想家です。江戸時代の日本では朱子学が奨励され、湯島に聖堂が建てられるほど、奨励されていました。

朱子は、性善説の「性」を「本然(ほんねん)の性」と「気質の性」に分けて考えようとしました。前者が生まれつき持っている性質、後者が生まれてから成長するまでに成立する性質のことです。この分解によって、人は成長する過程で聖人にも凡人にも、そして悪人にもなれると、朱子は説こうとしたのでした。また、考えを2つに分けることで、悪い方向に進んでしまった「気質の性」を「本然の性」に戻すことができるとも考えていました。

朱子が性善説に手を加えたことで、これ以降の儒家もまた独自の解釈を試みるようになったのです。

王陽明の解釈

日本では大塩平八郎などに受け入れられた陽明学の祖、王陽明

朱子の時代からさらに300年ほどたった中国・宋の時代に、王陽明によって陽明学が成立しました。開祖は王陽明で、それまで思想でしかなかった儒学を実学として昇華することに成功した人物です。しかし、一部の思想は朱子学者からは危険視され、朱子学ほど流行ることはありませんでした。

王陽明は性善説を一部否定しました。その代わりに打ち出したのが「無善無悪説」です。人間の本性を知りたいというのは、陽明学が実学であっても同じ。王陽明はその考えに対応するため、「人間の本性は善でも悪でもない」としたのです。

しかし、付け加えると「人間は善でも悪でもないが、善の方向に進もうとする」という言葉が続い置ています。つまり、性善説と性悪説の「生まれながらどちら」という部分だけを否定し、「努力によって善を修養できる」としたのです。

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