性善説と性悪説の違い
性善説に相対する考え方として、「性悪説」というものがあります。こちらは荀子(じゅんし)によって提唱された説で、「人の生まれながら弱い存在である」とするものです。性善説とそもそもスタートが違いますね。
荀子は、孟子と同時代の思想家です。同じ儒家ではあるのですが、考え方には法家、つまり法律によって国を統治する考え方も持っていました。これが孟子との思想の違いを明確にしている要素だと言われています。
ただ、「だからと言ってそのまま弱いままで人間は終わる」とは性悪説はしていません。人の生まれながらの性質が悪なのだから、生まれた後に悪を善にしていく努力が必要だと荀子は説いたのです。このように、生まれた時点での性質は違いますが、思想が目指す最終的なゴールは性善説・性悪説ともに変わりません。
性悪説をわかりやすく解説!正しい意味や性善説との違い、 荀子も紹介
性善説の解釈の違い
性善説が成立してから2300年以上の時が経っています。もちろん現代まで受け継がれるまで、多くの思想家によって解釈が違ったことはいうまでもありません。性善説の解釈については、始祖である孟子から朱子学の祖、朱子と陽明学の祖、王陽明の3人による解釈があります。
では、それぞれどのように違うのでしょうか。三者三様の性善説の解釈について、詳しくお話していきます。
孟子の解釈
性善説の提唱者である孟子が性善説を唱えるきっかけになったのは、告子(こくし)が説いた「性白紙説」の考え方です。聞き馴染みのない思想ですが、「人は生まれ持って善でも悪でもない白紙の状態である」と説いたのがこの思想です。実はこれが孟子、そして荀子の登場前は主流であり、広く受け入れられていました。
孟子は、孔子が説いていた「忠信説」を発展させて性善説の考えを確立。部録や領土がすべてであった春秋戦国時代で、「楽観的に情勢を見なさい」としたわけではありません。あくまでも「聖人にしかできない徳の高い政治がある」ことをベースに政治の在り方を唱え続けていたのです。これこそが性善説です。
しかし、この時代ではあまり受け入れられることはなく、性善説が拡大するのはもう少し時代を経なければなりませんでした。
朱子の解釈
性善説の誕生から約1200年経って、性善説の考え方に手を加えようとしたのが朱子でした。朱子は、儒教の一派である朱子学の祖として名高い思想家です。江戸時代の日本では朱子学が奨励され、湯島に聖堂が建てられるほど、奨励されていました。
朱子は、性善説の「性」を「本然(ほんねん)の性」と「気質の性」に分けて考えようとしました。前者が生まれつき持っている性質、後者が生まれてから成長するまでに成立する性質のことです。この分解によって、人は成長する過程で聖人にも凡人にも、そして悪人にもなれると、朱子は説こうとしたのでした。また、考えを2つに分けることで、悪い方向に進んでしまった「気質の性」を「本然の性」に戻すことができるとも考えていました。
朱子が性善説に手を加えたことで、これ以降の儒家もまた独自の解釈を試みるようになったのです。
王陽明の解釈
朱子の時代からさらに300年ほどたった中国・宋の時代に、王陽明によって陽明学が成立しました。開祖は王陽明で、それまで思想でしかなかった儒学を実学として昇華することに成功した人物です。しかし、一部の思想は朱子学者からは危険視され、朱子学ほど流行ることはありませんでした。
王陽明は性善説を一部否定しました。その代わりに打ち出したのが「無善無悪説」です。人間の本性を知りたいというのは、陽明学が実学であっても同じ。王陽明はその考えに対応するため、「人間の本性は善でも悪でもない」としたのです。
しかし、付け加えると「人間は善でも悪でもないが、善の方向に進もうとする」という言葉が続い置ています。つまり、性善説と性悪説の「生まれながらどちら」という部分だけを否定し、「努力によって善を修養できる」としたのです。