硫黄島の戦いをわかりやすく解説!目的やアメリカ・海外の反応も紹介

1945年2月24日 – 元山周辺の戦い

千田少将
出典:Wikipedia

24日以降アメリカ軍は、日本軍の言葉を借りると「さながら害虫駆除のように」馬乗り攻撃により島北部の元山めがけて進軍していました。そして26日に元山飛行場が陥落。飛行場を占領されたために、3月4日にはB29が着陸し燃料などを補給するに至っています。

そんな戦局ながら元山を守備していた責任者は千田少将という歩兵戦闘の専門家であり、アメリカ軍は「ミート・グラインダー(肉掻き器)」と恐れられました。しかし兵も武器も差がありすぎる米軍に徐々に押され気味となっていきます。

1945年3月7日 – 総括電報

栗林の恩師蓮沼蕃陸軍大将
出典:Wikipedia

3月7日栗林大将は、最後の総括電報を大本営の参謀次長と栗林の恩師である蓮沼蕃に当てています。大本営だけでなく恩師にも送った本意は、陸海軍の統帥を一元化することと海軍批判が黙殺されることを避けるためだったと考えられています。最後に送られてきた電報には海軍の不手際により、摺鉢山の早期陥落に繋がったことなどが記されていました。

硫黄島の地下壕跡
出典:厚生労働省

そして電報が送られた頃には元々水に乏しい硫黄島で、兵士たちは喉の渇きに苦しんでいました。雨水を探しに地下壕を出た兵士はほとんど戻ってこれず補給も断たれた状態で、日本軍は飢えと渇きでぎりぎりまで追い詰められている状態となっていたのです。抗戦する日本兵に対して、アメリカ兵の生存者はこう述べています。

「ある意味では、勇敢さ、国を思う強さに感心しました。しかし、出てきて生き抜こうとしないのは馬鹿げてると思いました。我々はこれ以上殺すつもりはない。日本に戻れると約束してるのに何故なんだ」

自決・投降は厳しく禁じられ、最後の一人になっても徹底抗戦せよという方針を守った結果、多くの兵士が犠牲となったのです。

1945年3月26日 – 組織的戦いの終結

大本営軍部による発表の様子
出典:Wikipedia

3月15日にアメリカは占領を宣言し、3月21日に日本の大本営は硫黄島守備隊の玉砕を発表しています。発表内容は、

「戦局ツヒニ最後ノ関頭ニ直面シ、17日夜半ヲ期シ最高指導官ヲ陣頭ニ皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ全員壮烈ナル総攻撃ヲ敢行ストノ打電アリ。通爾後通信絶ユ。コノ硫黄島守備隊ノ玉砕ヲ、一億国民ハ模範トスヘシ。」

17日夜半に壮絶なる総攻撃すると打電があり、この硫黄島の玉砕を1億国民は模範せよといったものでした。そして戦場である硫黄島の戦いの無残さは国民に伝えられることはありませんでした。しかし大本営の玉砕発表後も日本軍は戦い、栗林大将は3月26日に戦死。残る兵士も終戦まで交戦し続けることとなりました。

硫黄島の戦いを扱った作品

Iwo Jima

2006年の硫黄島を舞台にしたアメリカの映画です。渡辺謙主演で当時かなり話題になり、硫黄島への観光問い合わせが役場に殺到したそうです。アメリカ作でありながら日本の目線で、日本人が演じているために、日本人にとっても嬉しい作品です。

十七歳の硫黄島 (文春新書)

当時17歳だった少年兵の貴重な証言の本です。戦争に美徳など存在しない、そんな硫黄島の姿を見ることができます。戦争の悲惨さが身にしみてわかる本です。

硫黄島の戦いに関するまとめ

筆者と硫黄島の戦いの出会いは、オリンピック金メダリスト西陸軍大佐のドキュメンタリー漫画でした。それから興味を持ち本で調べて、今回執筆の機会を頂き再度読み返しましたが、昔も今も「読みながら地獄を見た」気分です。日本軍が善戦した戦いという話だけではなく、非常に惨い戦場の様子を生還者の方が話しており、もっと日本人に知ってもらいたい戦いでもあります。

戦いを詳しく知ると、本当に戦争は駄目だということを痛感します。ただし硫黄島はアメリカでも深く記憶に残り、後世に悲惨さを知らせる役割をはたしていると映画を見て感じています。少しでもこの記事を読んで、硫黄島の戦いを知っていただけたらこれ以上の光栄はありません。

1 2 3 4

1 COMMENT

コメントを残す