「性悪説ってどんな考え方なのか知りたい」
「人は生まれながらにして悪い人ばかりなのか?」
「性悪説(せいあくせつ)」についてみなさんはどれぐらい知っていますか?読んで字のごとく、人は生まれながらにして悪人であるという考え方のようにとらわれがちの性悪説。しかし、この考え方は、本来の意味からは少し違っているのです。
また、「性善説(せいぜんせつ)」との違いや、性悪説が与えた影響についても知らない人も少なくありません。この記事では、性悪説の説明と唱えた人物、性善説との違いや後世に与えた影響をお話します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
性悪説とは?
性悪説とは、今から約2300年前の中国で生まれた思想です。当時の中国は、春秋戦国時代と呼ばれる時代で、7つの国が中国大陸統一を目指してしのぎを削っていた時代でもあります。
では、それと性悪説とどんな関係があるのでしょうか。成立の背景も交えて、性悪説の説明をしていきましょう。
荀子によって唱えられた説
性悪説を最初に唱えたのは、思想家の荀子(じゅんし)です。荀子については後で詳しく触れますが、彼は当時、もう1人の代表的思想家である孟子(もうし)が唱えた性善説に対抗する形で、性悪説の考えをまとめました。
性悪説と性善説が生まれた背景には、どちらも「学問によって人の性質は変わる」というものが存在していました。当時は7国の王が、中国統一を目指していた時代。当然、中国大陸を統一する皇帝になる人物は誰かという争いになります。皇帝は、当時の中国では「天子(てんし)」と呼ばれており、神から選ばれた人間がその地位に就くと信じられていました。そのため、各国の王たちは「天子の技量・器」というのを強く意識しており、荀子や孟子の考えに耳を傾けていたと言われているのです。
実際に採用されたかは、その国によって異なります。しかし、今から2300年も前から「人の上に立つ人の資質」について考えていた思想家たちがいたのです。
人は生まれながらにして悪である
性悪説は、人が生まれながらにして持っている性質のことを説明しています。しかし、多くの人は「悪」を「悪人」として解釈しているでしょう。実はこの考え方自体が間違い。性悪説の「悪」が示す本当の意味は、「さまざまな意味で弱い存在である」なのです。
少し考えればピンとくることでしょうが、もし人の本性が悪なのであれば、大なり小なりすべての人が悪事に手を染めることとなってしまいます。誰もそれを止める人がいないからです。
しかし、実際はどうかと言えば、荀子が性悪説を唱えた時代から今まで、そんな無法地帯のような状況になったことはありません。つまり、荀子は「人は生まれながらにしてみんな弱い存在なんだよ」と、性悪説を通して伝えていたのです。そこから良くなるのか悪くなるのかは、「その人の努力次第」というお話なのです。
努力によって善に変わる
「生まれながらにして人は弱い存在である」と仮定した荀子。しかし、その後、人が死ぬまで弱い存在なのかどうかは、教育によって分かれると続けています。一体どういうことなのでしょうか?
性悪説では、生まれながらにして弱い存在である人間がその後どうなるのかは、教育によって左右されるとし、正しい教育を身に着けることで善に変わるとしています。この教育とは、私たちがイメージする「読み書き計算」ではなく、儒教(じゅきょう)における「礼」のことを指しています。
平たく言えば、「人としてのマナーをきちんと習得して、悪で終わらないためには、儒教を勉強しましょうね」となります。言い換えれば、「努力しない人はいつまでたっても弱い存在だよ?」と荀子は言いたかったのです。
「努力次第でどうにでもなるから、しっかり儒教を学びましょう」という考えが、この性悪説にはあるのです。