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性悪説をわかりやすく解説!正しい意味や性善説との違い、 荀子も紹介

「性悪説ってどんな考え方なのか知りたい」
「人は生まれながらにして悪い人ばかりなのか?」

「性悪説(せいあくせつ)」についてみなさんはどれぐらい知っていますか?読んで字のごとく、人は生まれながらにして悪人であるという考え方のようにとらわれがちの性悪説。しかし、この考え方は、本来の意味からは少し違っているのです。

また、「性善説(せいぜんせつ)」との違いや、性悪説が与えた影響についても知らない人も少なくありません。この記事では、性悪説の説明と唱えた人物、性善説との違いや後世に与えた影響をお話します。

性悪説とは?

性悪説を唱えた荀子は中国戦国時代末期の思想家として有名
出典:Wikipedia

性悪説とは、今から約2300年前の中国で生まれた思想です。当時の中国は、春秋戦国時代と呼ばれる時代で、7つの国が中国大陸統一を目指してしのぎを削っていた時代でもあります。

では、それと性悪説とどんな関係があるのでしょうか。成立の背景も交えて、性悪説の説明をしていきましょう。

荀子によって唱えられた説

中国戦国時代の勢力図。7か国に分かれており、戦国の七雄とも呼ばれる。
出典:Wikipedia

性悪説を最初に唱えたのは、思想家の荀子(じゅんし)です。荀子については後で詳しく触れますが、彼は当時、もう1人の代表的思想家である孟子(もうし)が唱えた性善説に対抗する形で、性悪説の考えをまとめました。

性悪説と性善説が生まれた背景には、どちらも「学問によって人の性質は変わる」というものが存在していました。当時は7国の王が、中国統一を目指していた時代。当然、中国大陸を統一する皇帝になる人物は誰かという争いになります。皇帝は、当時の中国では「天子(てんし)」と呼ばれており、神から選ばれた人間がその地位に就くと信じられていました。そのため、各国の王たちは「天子の技量・器」というのを強く意識しており、荀子や孟子の考えに耳を傾けていたと言われているのです。

実際に採用されたかは、その国によって異なります。しかし、今から2300年も前から「人の上に立つ人の資質」について考えていた思想家たちがいたのです。

人は生まれながらにして悪である

鄧石如(とうせきじょ)によって彫られた『荀子』の一説
出典:Wikipedia

性悪説は、人が生まれながらにして持っている性質のことを説明しています。しかし、多くの人は「悪」を「悪人」として解釈しているでしょう。実はこの考え方自体が間違い。性悪説の「悪」が示す本当の意味は、「さまざまな意味で弱い存在である」なのです。

少し考えればピンとくることでしょうが、もし人の本性が悪なのであれば、大なり小なりすべての人が悪事に手を染めることとなってしまいます。誰もそれを止める人がいないからです。

しかし、実際はどうかと言えば、荀子が性悪説を唱えた時代から今まで、そんな無法地帯のような状況になったことはありません。つまり、荀子は「人は生まれながらにしてみんな弱い存在なんだよ」と、性悪説を通して伝えていたのです。そこから良くなるのか悪くなるのかは、「その人の努力次第」というお話なのです。

努力によって善に変わる

紙の本として整理された『荀子』も一部
出典:Wikiwand

「生まれながらにして人は弱い存在である」と仮定した荀子。しかし、その後、人が死ぬまで弱い存在なのかどうかは、教育によって分かれると続けています。一体どういうことなのでしょうか?

性悪説では、生まれながらにして弱い存在である人間がその後どうなるのかは、教育によって左右されるとし、正しい教育を身に着けることで善に変わるとしています。この教育とは、私たちがイメージする「読み書き計算」ではなく、儒教(じゅきょう)における「礼」のことを指しています。

平たく言えば、「人としてのマナーをきちんと習得して、悪で終わらないためには、儒教を勉強しましょうね」となります。言い換えれば、「努力しない人はいつまでたっても弱い存在だよ?」と荀子は言いたかったのです。

「努力次第でどうにでもなるから、しっかり儒教を学びましょう」という考えが、この性悪説にはあるのです。

性悪説を唱えた荀子とは?

『荀子』は中国の多くの知識人によって学ばれた
出典:Wikiwand

性悪説を唱えた荀子とは、いったいどんな人物だったのでしょうか。学校の授業では名前だけを学んだという記憶がある人も入れば、はじめて聞いたという人もいるでしょう。ここでは、性悪説の提唱者、荀子について詳しく説明していきます。

孟子と同じ時代の儒学者

同時代の儒学者、孟子は孔子の思想の正当な後継者として高く評価されている
出典:Wikipedia

荀子は、紀元前313年ごろに、趙(ちょう)の国に生まれた思想家です。しかし、幼少期の彼について詳細はあまりよく分かっておらず、歴史の表舞台に出てきたのは50歳を迎えてからでした。

同じ時代に、性善説を唱えた孟子がいます。と言っても70年ほど後に荀子が出てきたので、直接の接点はないでしょう。孟子と同じく孔子(こうし)を祖とする儒教を学んだ儒学者でしたが、荀子はその中でも異端児とされています。その理由は、師匠である孔子、そして孟子を含む他の儒学者たちの考え方を批判していたからでした。

例えば、孔子や孟子は、神によって人の運命や行動は決まると主張していたのに対し、荀子は人は人の手によって将来が導かれると主張していたのです。具体的にどんな方法がいいのかまでは、荀子は言及しませんでした。しかし、この異端児の思想は、のちの中国で別の学問の基礎となったのです。

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大器晩成型の人物だった

荀子のことを始め、古代中国の歴史をまとめた歴史家、司馬遷
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荀子が世に出てきたのは50歳を過ぎてからだと、司馬遷(しばせん)が編纂した『史記』には書かれています。それまでの彼が何をしていたのかは不明ですが、50歳にして斉(さい)の国へ遊学し、そこで当時の王であった襄王(じょうおう)に気に入られて、学者たちのトップに立っています。それだけの学識が荀子にはあったのです。

のちに斉を去って、次は楚(そ)の国で県知事のような役職に就いたとされています。彼は、県知事職をやめてからも同じ場所に住み続け、そこで生涯を終えました。前半生に関してわかっていることの少ない荀子ですが、斉の襄王に気に入られる前から儒教を勉強しており、性悪説の考えをまとめていたのではないかと考えられます。

子孫は三国時代でも活躍?

荀子の子孫を自称した、三国時代の軍師、荀彧
出典:Wikipedia

謎が多い思想家である荀子ですが、実はのちの時代に子孫を名乗る人物が登場し、中国の歴史に重要な役割を果たしています。その子孫徒は、三国時代に曹操(そうそう)に仕えた荀彧(じゅんいく)と荀攸(じゅんゆう)の従兄弟です。

この2人は曹操に仕えた軍師の中でも特に重要視されたことで有名です。戦いの作戦を練るだけでなく、国の統治方法や、主君である曹操の行き過ぎた発言や政策に対して意見をするなど、まさに名宰相の名にふさわしい活躍をしました。しかし、本当に彼らが荀子の子孫であったかどうかは定かではありません。この時代はさまざまな人がさまざまな十物の子孫を名乗っていました。そのため、荀彧・荀攸の2人が本当にその子孫なのかは、学者のあいだでも疑問視する声が高いのです。

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