性悪説と性善説の違いは?
性悪説は、よく性善説と「どちらが正しいのか」で比較されます。もともとは、性善説が先にあり、その約70年後に性悪説が登場しました。しかも、性悪説は性善説を否定する形で誕生したので、この両者に違いがあるのは明白です。
しかし、大きな違いは、ざっくり言えば「生まれついたときの性質」だけ。成長する過程で、きちんとした学問、特に儒教を学ぶことで人は善になる、あるいは善の状態を保ち続けられるという考え方は変わりません。要は、学問を修めることは、生まれながらの性質はさておき、成長する上で善となるか悪となるかに大きく関係すると両者は訴えているのです。
性悪説の有名な言葉
荀子は、性悪説の中でさまざまな言葉を残しています。それらが書物として整理されたのは前漢の時代で、多くの有名な言葉も同時にまとめられました。
教え、之れをして然らしむるなり
(訳) 人の現在の姿は、正しいことも間違いも教育の結果である。
これは端的に性悪説を表した言葉です。生まれながらの人の性質が弱いものであるという知見に立った上で、教育の大切さを説いた性悪説。しかしその後の教育が大事とはいえ、教育の中身が間違っていれば人は正しくも間違っても育ってしまうと、荀子は説いています。
(出典はすべてTRANS.Biz)
一なれば治まり、二なれば乱れる
(訳) 国でも家庭でも意見が一致していればうまく治まるが、意見が一致せず方針が統一しなければ必ず乱れる
荀子の思想を信じるかどうかは別にして、意見がバラバラなままではあらゆる共同体が成立しないと説いています。逆に言えば、全員が同じ思想、同じ考え方の下でいれば、すべての共同体はうまくいくと言っているのです。
人心はたとえば、はん水の如し
(訳) 人の心は浅いたらいに入れた水のようなものだ。静かにしていると物をきれいに映すが、少し動かしただけで映らなくなる。
「はん水」とは、浅い入れ物に入った水のこと。人の心は少し動揺しただけで余裕がなくなってしまう、人間の弱さを表しています。この状態にならないためにも、学問の修養によって入れ物のかさを大きくして水がこぼれないようにすることが大事なのです。
このように、人の心は弱いものであるという観点に立って、荀子は性悪説を唱えました。いずれも、言い得て妙であり、現代に通ずる考え方と言ってもいいでしょう。この考え方が、すでに紀元前の中国で提唱されていたのは、驚くほかないでしょう。
性悪説が後世に与えた影響
性悪説はさまざまな方面に影響を与えてきました。また、世界には同時期に似たような思想も多く誕生しており、性悪説との関係も指摘されています。
では、性悪説はどのような影響を与えたのでしょうか。詳しく見ていきます。
中国
性悪説の生まれ故郷である中国では、のちに性悪説の考え方から発展した「法治国家」の考え方が成立します。韓非子(かんぴし)によって創設されたこの学問には、性悪説の根幹である「人は人にしか支配できない」という考え方が深く関係しています。
人が生まれながらにして弱いものであれば、それを守るためのルールが必要です。さらに、犯罪と言ってもその捉え方は人によってさまざま。これらを明文化し、国民全員に守らせることで、本質は悪で変わらなかったとしても社会的な強制力を持ってこれを抑えようとしたのです。それこそが「法治」、法律によって国を修める考え方です。
ただし、厳罰については性悪説の段階では言われていません。あくまでも、人は人にしか支配できないという考え方にのみ基づいており、厳罰思想はまた別の理由を持っているのです。