足利義政とはどんな人?銀閣寺との関係や応仁の乱についても紹介

1473年 – 39歳「将軍職を義尚に譲り隠居」

9代将軍 足利義尚を描いたとされる肖像画
出典:Wikipedia

文明5年(1473年)義政は将軍職を息子に譲りました。

応仁の乱が始まってから約6年が経ち、乱の中心人物らが相次いで病死。これを契機に義政も将軍職を息子の義尚に譲り隠居。とは言え、この時の義尚はわずか9歳だったので、将軍の実権は義政が握ったままでした。それから約3年後に、応仁の乱も終息しています。

1482年 – 47歳「東山山荘の造営開始」

東山山荘創建時の石組
出典:Wikipedia

晩年の義政は、後に銀閣寺となる東山山荘の造営に着手しました。その翌年にはある程度の建造物が完成し、義政も東山山荘へ移り住んでいます。これ以降、義政は「東山殿」と呼ばれるようになりました。

一方で、応仁の乱によって京都はかなり荒廃していたとされており、幕府の財政も逼迫していました。そのような中で東山山荘を築造しようとする義政に対しては厳しい意見もあったようです。

1490年 – 55歳「足利義政死去」

足利義政の墓所
出典:Wikipedia

延徳元年(1489年)に9代将軍 義尚が亡くなったため、義政が将軍の職務に復帰。しかし、その翌年の延徳2年(1490年)築造途中だった銀閣の完成を見ることなく、義政は病(中風)に倒れ昏睡状態が続く中で亡くなったと言われています。享年55。墓所は京都市上京区相国寺にあります。

足利義政の関連作品

おすすめ書籍・本

足利義政と東山文化(読みなおす日本史)

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足利義政と日野富子 夫婦で担った室町将軍家

足利義政と正室の日野富子の役割にも着目した一冊です。一般的には悪女とされている日野富子ですが、本書を読むと、室町幕府への貢献した富子の実像など、これまでとは違ったイメージを持てるなと感じました。また、総ページ数が100項に満たないのでサクッと読めるところもオススメです。

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱

本書は歴史ジャンルでベストセラーにもなった有名な一冊です。足利義政を語る上で応仁の乱は避けて通れない出来事ですので、本書を読むとより義政への理解も深まります。

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足利将軍家シリーズ 室町幕府第8代将軍「足利義政」前編

足利義政の解説だけでなく、当時の時代背景や人物関係なども紹介しているので、より理解が深まります。今回ご紹介しているのは前編ですが、後編もあるので合わせてご覧になってみてください。

おすすめドラマ

大河ドラマ 花の乱 完全版

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関連外部リンク

足利義政についてのまとめ

日本の歴史上、最悪の将軍とも言われている足利義政。応仁の乱に対する彼の対応を見る限り、悪く言われてしまっても致し方がないのかもしれません。しかし、その一方で東山文化の担い手となり、現代の日本人精神に大きな影響を与えたのもまた事実です。もし義政が平安時代の公家にでも生まれていれば、後世に素晴らしい文化人として評価され、悪評は残らなかったのかもしれません。

人には良い部分と悪い部分が必ずあります。そういった意味では、足利義政はとても人間味溢れる人物なのかなと思います。この記事を読んで、足利義政や銀閣寺に興味を持っていただけたら嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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