「日本書紀ってなに?どんな内容の本?」
「だれがいつ何のために書いたもの?」
このような疑問をお持ちの方もいるのではないでしょうか?日本書紀は、奈良時代に完成した日本の歴史書で、伝存する最古の正史です。
日本書紀には、日本の成り立ちや建国の神話、それを治める天皇の事績と歴史が記されています。同時期に作られた古事記とともに日本の歴史を知ることができる貴重な書物です。
ここでは、日本書紀はどんな目的で執筆されたのか?具体的にはどのようなことが書かれているのか?同時期に作られた古事記とはどのような違いがあるのか?など、日本書紀についてわかりやすくご紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
日本書紀とは
巻数 | 全30巻+系図1巻 |
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成立年 | 720年 |
編纂者 | 川島皇子、舎人親王ほか |
収録期間 | 天地開闢~持統天皇 |
表記 | 漢文 |
日本書紀は天地開闢(かいびゃく)から国造り、天皇へと続く神話、そして第41代持統天皇までの事績と歴史が記された歴史書です。第40代天武天皇の命で681年に編纂が始まり、およそ40年後の720年に完成。第44代元正天皇に奏上されました。
なお、書名は当初「日本紀」だったともいわれますが、定かではありません。
日本書紀の内容・あらすじを簡単に解説
日本書紀は神話と人代(天皇の時代)に大きく分かれています。巻1と2は神代巻(神話)で、巻3の神武天皇から巻30の持統天皇に至ります。
それでは簡単にあらすじをみてみましょう。
神代(神話)
国土が誕生する天地開闢(てんちかいびゃく)から神様たちの活躍を経て、初代神武天皇が即位するまでの神話が記されています。
天と地に分かれるという天地開闢から始まり、混とんとした国土から生まれたイザナキとイザナミの神が夫婦になって自然の神々、続いてアマテラス、スサノオなどを生みました。
岩戸隠れ、ヤマタノオロチ退治、オオクニヌシの国造りなどの神話を経て、葦原中国(あしはらのなかつくに)がアマテラスの孫ニニギに譲られます(国譲り)。
そしてニニギが地上に降り立ち(天孫降臨)、その子孫にイワレビコ(のちの神武天皇)が誕生しました。
人代(天皇の時代)
ニニギの子孫であるイワレビコ(のちの神武天皇)は故郷の日向国(現在の宮崎県)から、各地を平定しながら大和へと入り、初代の神武天皇として即位します。以降、歴代天皇の実績や出来事、その時代の歴史などが記されていきます。
第10代崇神天皇は北陸や東海、西日本へと将軍たちを派遣し、畿内の外に勢力を拡大、そのひ孫にあたるヤマトタケルは、九州や東北を平定します。やがて朝廷は朝鮮半島とも交流を広げました。
国内では豪族の争いが激しくなり、第33代推古天皇の時代から蘇我氏が権勢をふるいます。その蘇我氏を倒した中大兄皇子が第38代天智天皇として即位し、天皇を中心とした律令国家の建設を目指します。
壬申の乱を制した天武天皇、続いて持統天皇が律令国家の建設を進め、持統天皇が孫の文武天皇に譲位した697年で日本書紀は締めくくられています。
日本書紀の性質や作られた目的とは
日本書紀は、天皇が治める日本という国家の正統性を海外(とくに中国)に示すために作られたとされています。そのため中国の史書の形式にのっとり、当時の東アジアの国際語である漢文で書かれました。
なぜこの時期に日本書紀が作られたのかというと、朝鮮半島の百済が滅亡し、日本も白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗するなど、緊張した東アジア情勢と関係していたようです。
日本は各国に対抗できる強国にしようと、天皇を中心とした律令制の中央集権国家作りを進めていきます。その一環として編纂したのが海外向けの歴史書「日本書紀」でした。これにより日本は神々から続く天皇が治める、由緒正しい歴史と文化をもつ国であることをアピールしようとしたのです
日本書紀は「帝紀」や「旧辞」に加え、豪族の書、中国や朝鮮の史書、寺院の縁起類など様々な史料を参考に、総合的な観点から執筆されたと考えられています。