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日本書紀とは?どんな内容?特徴や作者、成り立ち、古事記との違いなどを紹介

「日本書紀ってなに?どんな内容の本?」
「だれがいつ何のために書いたもの?」

このような疑問をお持ちの方もいるのではないでしょうか?日本書紀は、奈良時代に完成した日本の歴史書で、伝存する最古の正史です。

神武天皇がナガスネヒコを降す場面
出典: Wikipedia

日本書紀には、日本の成り立ちや建国の神話、それを治める天皇の事績と歴史が記されています。同時期に作られた古事記とともに日本の歴史を知ることができる貴重な書物です。

ここでは、日本書紀はどんな目的で執筆されたのか?具体的にはどのようなことが書かれているのか?同時期に作られた古事記とはどのような違いがあるのか?など、日本書紀についてわかりやすくご紹介していきます。

日本書紀とは

日本最古の正史とされる日本書紀
出典:佛教大学図書館デジタルコレクション
巻数全30巻+系図1巻
成立年720年
編纂者川島皇子、舎人親王ほか
収録期間天地開闢~持統天皇
表記漢文

日本書紀は天地開闢(かいびゃく)から国造り、天皇へと続く神話、そして第41代持統天皇までの事績と歴史が記された歴史書です。第40代天武天皇の命で681年に編纂が始まり、およそ40年後の720年に完成。第44代元正天皇に奏上されました。

なお、書名は当初「日本紀」だったともいわれますが、定かではありません。

日本書紀の内容・あらすじを簡単に解説

日本書紀は神話と人代(天皇の時代)に大きく分かれています。巻1と2は神代巻(神話)で、巻3の神武天皇から巻30の持統天皇に至ります。

それでは簡単にあらすじをみてみましょう。

神代(神話)

出雲大社にあるオオクニヌシの像
出典:Wikipedia

国土が誕生する天地開闢(てんちかいびゃく)から神様たちの活躍を経て、初代神武天皇が即位するまでの神話が記されています。

天と地に分かれるという天地開闢から始まり、混とんとした国土から生まれたイザナキとイザナミの神が夫婦になって自然の神々、続いてアマテラス、スサノオなどを生みました。

岩戸隠れ、ヤマタノオロチ退治、オオクニヌシの国造りなどの神話を経て、葦原中国(あしはらのなかつくに)がアマテラスの孫ニニギに譲られます(国譲り)。

そしてニニギが地上に降り立ち(天孫降臨)、その子孫にイワレビコ(のちの神武天皇)が誕生しました。

人代(天皇の時代)

悲劇の英雄ヤマトタケル
出典:Wikipedia

ニニギの子孫であるイワレビコ(のちの神武天皇)は故郷の日向国(現在の宮崎県)から、各地を平定しながら大和へと入り、初代の神武天皇として即位します。以降、歴代天皇の実績や出来事、その時代の歴史などが記されていきます。

第10代崇神天皇は北陸や東海、西日本へと将軍たちを派遣し、畿内の外に勢力を拡大、そのひ孫にあたるヤマトタケルは、九州や東北を平定します。やがて朝廷は朝鮮半島とも交流を広げました。

国内では豪族の争いが激しくなり、第33代推古天皇の時代から蘇我氏が権勢をふるいます。その蘇我氏を倒した中大兄皇子が第38代天智天皇として即位し、天皇を中心とした律令国家の建設を目指します。

壬申の乱を制した天武天皇、続いて持統天皇が律令国家の建設を進め、持統天皇が孫の文武天皇に譲位した697年で日本書紀は締めくくられています。

日本書紀の性質や作られた目的とは

8世紀の東アジアを席巻していた中国・
出典:フォートラベル

日本書紀は、天皇が治める日本という国家の正統性を海外(とくに中国)に示すために作られたとされています。そのため中国の史書の形式にのっとり、当時の東アジアの国際語である漢文で書かれました。

なぜこの時期に日本書紀が作られたのかというと、朝鮮半島の百済が滅亡し、日本も白村江の戦いで・新羅連合軍に惨敗するなど、緊張した東アジア情勢と関係していたようです。

日本は各国に対抗できる強国にしようと、天皇を中心とした律令制の中央集権国家作りを進めていきます。その一環として編纂したのが海外向けの歴史書「日本書紀」でした。これにより日本は神々から続く天皇が治める、由緒正しい歴史と文化をもつ国であることをアピールしようとしたのです

日本書紀は「帝紀」や「旧辞」に加え、豪族の書、中国や朝鮮の史書、寺院の縁起類など様々な史料を参考に、総合的な観点から執筆されたと考えられています。

日本書紀の作者は誰なのか

元正天皇の時代に完成
出典:Wikipedia

日本書紀の編纂は、天武天皇が681年に川島皇子、忍壁(おさかべ)皇子ら6人の皇親と、6人の官人の計12人に「帝紀」と「上古諸事」の編纂を命じたのが始まりとされています。

その12人とは、以下の人たちです。

  • 川島皇子
  • 忍壁皇子
  • 広瀬王
  • 竹田王
  • 桑田王
  • 三野(みの)王
  • 大錦下上毛野君三千(だいきんげかみつけのきみみちぢ)
  • 小錦中忌部連子首(いんべのむらじおびと)
  • 小錦下阿曇連稲敷(あづみのむらじいなしき)
  • 難波連大形(なにわのむらじおおかた)
  • 大山上中臣連大嶋(なかとみのむらじおおしま)
  • 大山下平群臣子首(へぐりのおみおびと)

そして720年に舎人(とねり)親王が、完成した「日本紀」を元正天皇に奏上しています。

日本書紀をとりまとめた舎人親王
出典:Wikipedia

編纂については、記録に残されていないため詳細は不明ですが、日本書紀は1人ないしは2人ではなく、複数人で作られたもので、最終的に編集を統括したのは舎人親王でした。また、編纂には紀朝臣清人(きのあさんきよひと)、三宅臣藤麿(みやけのおみふじまろ)、古事記に携わった太安万侶(おおのやすまろ)も加わっていたとみられています。

古事記との違い

日本書紀より8年早く完成した古事記
出典:Wikipedia

天武天皇は日本書紀とあわせて古事記の制作も命じました。古事記は途中で中断したのち、712年に完成しています。

同時期に歴史書を2種類作ったのは、日本書紀が外国に向けた正史であるのに対し、古事記は国内に向けて天皇が国を支配する正当性を示すという目的の違いがあったようです。両書の違いは以下の通りです。

 古事記日本書紀
完成年712年720年
巻数全3巻全30巻と系図1巻
編者稗田阿礼、
太安万侶
川島皇子、
舎人親王ほか
収録期間天地初発
~推古天皇
天地開闢
~持統天皇
文体変体漢文漢文

内容の違いについては、古事記が物語風にまとめられているのに対し、日本書紀は神話部分が少なく、時系列に出来事が記されています。古事記が読み物である一方で、日本書紀は記録という側面が強い書物でした。

また、因幡の白兎は古事記のみ、夜と昼が分かれた起源は日本書紀のみと、片方にしか登場しない神話や話が異なる部分もあります。さらに、日本書紀は海外向けのためか古事記にくらべて朝鮮半島など海外にまつわる記事が多いのも特徴です。

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風土記・万葉集との関わり

一部が残る豊後国風土記
出典:文化遺産オンライン

風土記は奈良時代の初め、元明天皇が各国にその地名や産物、土地の起源、伝承などをまとめさせた各国の地誌です。現在、出雲国のみ完全な形で残り、播磨国、常陸国、豊後国、肥前国の4つは一部が欠けた状態で残されています。

風土記にも各地に伝わる神話や伝承が書かれており、日本書紀と一部重なる部分もあります。ただしオオクニヌシの国造り神話のように各国のものと日本書紀、古事記では少しずつ内容が異なっており、比較することで日本神話の多様性を実感できるでしょう。

万葉集は各地で詠まれた歌も収録。福岡県志賀島の歌碑
出典:文化財情報検索

万葉集は奈良時代後期に編纂された現存する日本最古の和歌集です。天皇から民衆まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が約4500首収録されています。歴史的な出来事が詠まれた歌もあり、古代の人々の思いなどに触れられるでしょう。

このように日本書紀と風土記、万葉集は直接はかかわりあってはいないものの、いずれも奈良時代の成立のため、この時代の言語、文化、風俗なども知ることができます。

日本書紀のその後と六国史

宮中で日本書紀の解説が行われた
出典:京都の文化遺産

日本書紀は、完成の翌年には宮中で解説の講義が行われました。平安時代も数回講義が実施されるなど国をあげて重視されたようです。

鎌倉時代には、注釈書の「釈日本紀」もまとめられて研究も進みます。このように当初は古事記より有名だった日本書紀でしたが、江戸時代に古事記が普及すると、読みやすさの面などから一般には古事記の方が親しまれるようになりました。

一方、「日本書紀」に続いて平安時代前期までに5つの正史が編纂されました。それは以下の5つで、文武天皇から光孝天皇(こうこうてんのう)までの歴史が記されています。

  • 続日本紀(しょくにほんぎ)
  • 日本後紀(にほんこうき)
  • 続日本後紀(しょくにほんこうき)
  • 日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)
  • 日本三大実録(にほんさんだいじつろく)

日本書紀と、この5書を合わせた6書を「六国史(りっこくし)」といいます。

なお、日本書紀の原本は残っていませんが、後世の人々の手で書き写された本が残っています。最古の写本は9世紀頃の第十巻(応神天皇)で、それ以降、様々な写本が作られました。系図は残されていません。

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