日本書紀の作者は誰なのか
日本書紀の編纂は、天武天皇が681年に川島皇子、忍壁(おさかべ)皇子ら6人の皇親と、6人の官人の計12人に「帝紀」と「上古諸事」の編纂を命じたのが始まりとされています。
その12人とは、以下の人たちです。
- 川島皇子
- 忍壁皇子
- 広瀬王
- 竹田王
- 桑田王
- 三野(みの)王
- 大錦下上毛野君三千(だいきんげかみつけのきみみちぢ)
- 小錦中忌部連子首(いんべのむらじおびと)
- 小錦下阿曇連稲敷(あづみのむらじいなしき)
- 難波連大形(なにわのむらじおおかた)
- 大山上中臣連大嶋(なかとみのむらじおおしま)
- 大山下平群臣子首(へぐりのおみおびと)
そして720年に舎人(とねり)親王が、完成した「日本紀」を元正天皇に奏上しています。
編纂については、記録に残されていないため詳細は不明ですが、日本書紀は1人ないしは2人ではなく、複数人で作られたもので、最終的に編集を統括したのは舎人親王でした。また、編纂には紀朝臣清人(きのあさんきよひと)、三宅臣藤麿(みやけのおみふじまろ)、古事記に携わった太安万侶(おおのやすまろ)も加わっていたとみられています。
古事記との違い
天武天皇は日本書紀とあわせて古事記の制作も命じました。古事記は途中で中断したのち、712年に完成しています。
同時期に歴史書を2種類作ったのは、日本書紀が外国に向けた正史であるのに対し、古事記は国内に向けて天皇が国を支配する正当性を示すという目的の違いがあったようです。両書の違いは以下の通りです。
古事記 | 日本書紀 | |
---|---|---|
完成年 | 712年 | 720年 |
巻数 | 全3巻 | 全30巻と系図1巻 |
編者 | 稗田阿礼、 太安万侶 | 川島皇子、 舎人親王ほか |
収録期間 | 天地初発 ~推古天皇 | 天地開闢 ~持統天皇 |
文体 | 変体漢文 | 漢文 |
内容の違いについては、古事記が物語風にまとめられているのに対し、日本書紀は神話部分が少なく、時系列に出来事が記されています。古事記が読み物である一方で、日本書紀は記録という側面が強い書物でした。
また、因幡の白兎は古事記のみ、夜と昼が分かれた起源は日本書紀のみと、片方にしか登場しない神話や話が異なる部分もあります。さらに、日本書紀は海外向けのためか古事記にくらべて朝鮮半島など海外にまつわる記事が多いのも特徴です。
古事記とは?どんな内容?特徴や作者、成り立ち、日本書紀との違いなどを紹介
風土記・万葉集との関わり
風土記は奈良時代の初め、元明天皇が各国にその地名や産物、土地の起源、伝承などをまとめさせた各国の地誌です。現在、出雲国のみ完全な形で残り、播磨国、常陸国、豊後国、肥前国の4つは一部が欠けた状態で残されています。
風土記にも各地に伝わる神話や伝承が書かれており、日本書紀と一部重なる部分もあります。ただしオオクニヌシの国造り神話のように各国のものと日本書紀、古事記では少しずつ内容が異なっており、比較することで日本神話の多様性を実感できるでしょう。
万葉集は奈良時代後期に編纂された現存する日本最古の和歌集です。天皇から民衆まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が約4500首収録されています。歴史的な出来事が詠まれた歌もあり、古代の人々の思いなどに触れられるでしょう。
このように日本書紀と風土記、万葉集は直接はかかわりあってはいないものの、いずれも奈良時代の成立のため、この時代の言語、文化、風俗なども知ることができます。
日本書紀のその後と六国史
日本書紀は、完成の翌年には宮中で解説の講義が行われました。平安時代も数回講義が実施されるなど国をあげて重視されたようです。
鎌倉時代には、注釈書の「釈日本紀」もまとめられて研究も進みます。このように当初は古事記より有名だった日本書紀でしたが、江戸時代に古事記が普及すると、読みやすさの面などから一般には古事記の方が親しまれるようになりました。
一方、「日本書紀」に続いて平安時代前期までに5つの正史が編纂されました。それは以下の5つで、文武天皇から光孝天皇(こうこうてんのう)までの歴史が記されています。
- 続日本紀(しょくにほんぎ)
- 日本後紀(にほんこうき)
- 続日本後紀(しょくにほんこうき)
- 日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)
- 日本三大実録(にほんさんだいじつろく)
日本書紀と、この5書を合わせた6書を「六国史(りっこくし)」といいます。
なお、日本書紀の原本は残っていませんが、後世の人々の手で書き写された本が残っています。最古の写本は9世紀頃の第十巻(応神天皇)で、それ以降、様々な写本が作られました。系図は残されていません。