平知盛(たいらのとももり)
平氏軍の指揮官です。安徳天皇を始めとする一族の自決を見届けた後、「見るべきほどのことをば見つ(見届けなければならないことは見た)。今はただ自害せん」という名ゼリフを残して入水します。
そのときに碇を担いで入水したというエピソードが残されており、これは『義経千本桜』の見せ場の一つ「碇知盛」として現在に残されています。
碇ではなく鎧を2枚着たともいわれています。どちらにしても重しをつけることで、遺体が浮かび上がってさらし者になりたくないという思いだったのでしょう。
平教盛
平氏の猛将として知られています。「八艘飛び」で源義経を追いかけた武将です。
自決の際も二人の武将を抱えたまま海に飛び込んだという逸話が残されていますが、『吾妻鏡』によると一ノ谷の戦いですでに戦死しているという記述もあります。
平宗盛
平清盛亡き後の平家の棟梁です。しかしあまり評判のよろしくない武将で、壇ノ浦の戦いでもいったんは入水しますが、水練に長けていたためか死にきれずに息子とともに捕虜として捕らえられます。
捕虜となった後も命乞いに終始していたと伝えられています。捕虜としていったん鎌倉へ送られた後、近江国で息子ともども斬首されました。
壇ノ浦の戦いの語呂合わせ・覚え方
壇ノ浦の戦いは1185年に起きました。これを覚える語呂合わせがいくつかあるので紹介します。
- いいや(118)こ(5)まった平家滅亡
- 平家は消えても、いい屋号(1185)
- いいやこ(1185)れまで壇ノ浦
- いいやご(1185)めんだ壇ノ浦
- 平家のひとびと(11)やっぱり(8)号(5)泣、壇ノ浦
- いいやご(1185)立派壇ノ浦
壇ノ浦の戦いがよくわかる関連書籍
超ビジュアル!源平合戦人物大事典
イラストや図表、マンガが中心でわかりやすい解説で構成されています。小学生向きとされていますが大人が読んでも面白いですし、とりあえず源平合戦の全体像を理解するのに最適です。
吉村昭の平家物語
壇ノ浦の戦いのことは当時の歴史書にはあまり書かれていないので、当時書かれたものを・・・となると平家物語が一番よいでしょう。その中でも徹底した史実調査で知られる吉村昭氏の現代語訳は定評があります。
源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究
現在通説として語られることの多い平家物語に基づく史観を、堅実な研究で塗り替えていきます。平家物語が好きな人には失望する内容かもしれませんが、本当の姿を学ぶこともまた面白いのではないでしょうか。
まとめ
以上壇ノ浦の戦いについて紹介しました。800年以上前の話ですが未だに私たちの心が揺さぶられます。『平家物語』などで多くの心躍るようなエピソードとともに語り継がれていることが大きいのでしょうね。また、安徳天皇を始めとする多くの女性や子どもが亡くなってしまった悲劇性も、涙をそそられる大きな要素ではないでしょうか。
この記事を読まれて、もし壇ノ浦の戦いや源平合戦にさらに興味を持たれたのであれば、先ほど紹介したような関連書籍を読むことで、より知識を深められてはいかがでしょうか。
それではこの記事にお付き合いくださりありがとうございました。この記事がみなさまにとって何かしらの学びになれば幸いです。