壇ノ浦の戦いとは?場所や主要人物、戦いの経過や結果を分かりやすく解説

戦い後の影響

鎌倉幕府が成立する

鎌倉幕府の初代征夷大将軍・源頼朝
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平氏というそれまで日本を支配していた軍事勢力を打ち倒したことにより、源氏が軍事勢力としては圧倒的に最大となりました。

後白河法皇を始めとする平氏政権以前の旧政権も権力を奪還しようと試みますがそれはかなわず、源頼朝が鎌倉幕府を打ち立て貴族の時代から武士の時代へと変貌していくのです。

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手柄を挙げた義経が頼朝に討伐される

三種の神器
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壇ノ浦の戦いはもちろん、一ノ谷の戦いや屋島の戦いにも見られるように、源義経の軍事的才能は素晴らしいものがありました。しかしあまりに目立つ存在は鎌倉にいる源頼朝からすると、頼れる弟からいつ反旗を翻すかわからない危険な存在へと変貌してしまいました。

壇ノ浦の戦いで安徳天皇を救わず死なせてしまったほか、天叢雲剣までも失ったことも大きな失点だったようです。義経からすればこれらはたいした問題だと認識していなかったようですが、頼朝はこれらを後白河法皇など旧勢力との交渉材料に使おうとしていたため、義経の行為は大きな失策だと判断されてしまったのです。

この他にも義経は後白河法皇から無断で任官を受けるなど、二人の対立はますます深まっていきました。そして最終的に義経は討伐されてしまいます。つまり義経が壇ノ浦の戦いなどで大きな手柄を挙げたことが、自らの身を滅ぼされてしまう遠因になってしまったのです。

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平家物語や源平盛衰記で語り継がれる

『義経千本桜』二代目中村傳九郎の知盛
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壇ノ浦の戦いについては、『平家物語』『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』などの軍記物や講談で今でも語り継がれています。さらに、文楽や歌舞伎の『義経千本桜』でも渡海屋・大物浦の段(とかいや・だいもつのうらのだん)で壇ノ浦の戦いが描かれています。

また平家物語から派生した『耳なし芳一』といった怪談話もこの壇ノ浦の戦いが舞台です。このように壇ノ浦の戦いは現在でもさまざまな物語となって私たちの中で息づいているのです。

壇ノ浦の戦いの主要人物

源義経

源義経
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言わずとしれた戦の天才。戦という戦に連戦連勝。一ノ谷の戦いで見せた「鵯越の逆落とし」などエピソードや伝説の類にも事欠きません。

壇ノ浦の戦いでも「八艘飛び(はっそうとび)」というエピソードが残されています。これは平教盛(たいらののりもり)に追われた義経が船から船を飛んで8艘先まで逃げたというもので、あくまで物語上の話でしょうが、それくらい俊敏なイメージがあるのも事実です。

一方で独断専行が目に余り、東国武士たちと反目することも多々あったようです。壇ノ浦でも梶原景時(かじわらのかげとき)と、どちらが先陣になるかでもめたという話が残されています。

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安徳天皇

安徳天皇
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安徳天皇は平清盛の娘徳子(後の建礼門院)と高倉天皇との間に生まれました。1歳で天皇に即位し平氏政権の裏付けとなるべく期待されますが、壇ノ浦で敗れた平家一門とともに満6歳で亡くなります。歴代天皇の中ではもっとも短命な天皇です。

入水時、幼い天皇が「今からどこへ行くの」とたずねたところ二位尼(『吾妻鏡』では按察使局)が「海の下の都へ参りましょう」と言って安徳天皇を抱きかかえて入水するのは、時代を超えて涙が出てくるシーンです。

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