万葉集とは何かわかりやすく解説!作者や代表和歌・歌人も紹介

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

柿本人麻呂
出典:人文研究見聞録

柿本人麻呂は飛鳥時代に活躍した歌人。後に山部赤人とともに歌聖と呼ばれました。万葉集の第一の歌人ともされており、長歌19首、短歌75首も収録されています。

柿本人麻呂の出自はいまだ定かではありませんが、天武天皇の時代に官廷で働いていたことが万葉集から分かっています。

柿本人麻呂の代表和歌①「淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴なけば 心もしぬに いにしへ思ほゆ」

夕焼けが綺麗な琵琶湖
出典:RETRIP

「夕方の琵琶湖の波から飛び立つ鳥たちよ、お前たちが鳴くと昔のことを思い出してしまう」が訳文です。夕景に飛び立つ鳥たちを見ながら、哀愁漂う雰囲気が感じられます。

柿本人麻呂が歌聖と呼ばれる理由は、このように情景と心情を見事に和歌に描き切る技術が高く、聞く者の想像力を強く搔き立たせるのに長けている点です。

また単語にも巧みな技巧がほどこされており、たとえば、淡海(あわうみ)と近江(おうみ)を掛け、「いにしえ」が近江朝を指しているのを自然に表す仕組みになっています。

柿本人麻呂の代表和歌②「東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」

奈良・飛鳥の夜
出典:奈良文化財研究所飛鳥資料館

「かぎろひ」とは「炎」のこと。「東の野に炎のような光が差しているのが見えて振り返ってみたら、月が傾き始めた」という和歌です。東の方向に強い光が見える、つまり、太陽が上がってきているということで、明け方に詠まれた和歌になります。

柿本人麻呂は、軽皇子(のちの文武天皇)と共に、現・奈良県宇陀市にある「阿騎野(あきの)」という野原へ狩りへ行く際にこの和歌を詠みました。この時期、軽皇子の父親・草壁皇子が亡くなったばかり。傾く月を草壁皇子に、太陽を軽皇子に例え、「今後は軽皇子がしっかり治世していく」という政治の状況を表しています。

情景が美しいと感じるだけでなく、当時の政治の様相も組み込まれた、非常に優れた和歌です。

大伴旅人(おおとものたびと)

大伴旅人
出典:wikipedia

大伴旅人は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した歌人。律令の規定に基づく太政官の最高位である公卿でもあります。大宰帥として九州に赴くことも多く、外交上や防衛に関する手腕が期待されていた人物でした。

万葉集の中に旅人の和歌は78首あります。老子や荘子に基づく自由思想的な歌風が旅人の和歌の特徴。お酒を愛した歌人としても有名であり、「酒を讃(ほ)むる歌」を13首したためています。その中でも宴の際に詠んだ「梅花の歌」は現在の元号「令和」の由来になっています。

大伴旅人の代表和歌①「験なき ものを思はずは 一杯の 濁れる酒を 飲むべくあるらし」

米から造られた古代のお酒
出典:SUSHI TIMES

「考えても仕方のない物思いをするぐらいなら、一杯の酒を飲むほうがよほどいいらしい」が訳文。実に大伴旅人らしいさっぱりと朗らかな和歌で、現代にも通じるような親近感すら覚えます。これは大宰府の地で詠まれた和歌です。

しかし「験なき ものを思はず」という言葉から、太宰府での生活が憂鬱であったことが垣間見られます。「験」とは「甲斐」という意味。「いきがい」「やりがい」といった意味合いでこの和歌では使われています。

大伴旅人が大宰府に赴いたのは、藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が都で権力を持ち出した時期。天皇の皇位継承をめぐる争いも激しくなる中での赴任は、左遷だったとも言われています。

本来ならば奈良の都で政治を治めるところを、遠い九州の地へ左遷されたことで、旅人の陰鬱さも感じられる和歌としても有名です。

大伴旅人の代表和歌②「この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ」

酒を飲む大伴旅人
出典:万葉集遊楽

この和歌も「酒を讃むる歌」。「この現世で酒を飲み楽しく過ごせるのならば、来世は虫や鳥にでもなってしまおう」が訳文です。

この時期、大宰府の地で妻の大伴郎女に先立たれ、さらに藤原氏の陰謀で長屋王が自害し、大伴氏勢力は衰退の途を辿っていました。

「来世」という言葉から仏教思想を読み取れるのが特徴。一方で「現世で酒を飲んで楽しいならばよし」と詠うこの和歌からは、諦めに近い旅人の感情もひしひしと伝わってきますね。

大伴家持(おおとものやかもち)

大伴家持
出典:コトバンク

大伴家持は旅人の息子。官人として活躍し、父と同じく公卿でした。歌人としても大きな功績を残し、平安時代の有名歌人「三十六歌仙」にも選出されています。

長歌・短歌合わせて473首が万葉集に収録されるほど優れた和歌を残した一人。これは万葉集の中で最多です。このことから万葉集の編さんにも大きくかかわったとも言われており、万葉集の最後の和歌も家持のものになっています。

家持は奈良時代の後期に関西地方・難波で防人の監督を務めていたことから、防人歌を万葉集に収めるヒントも得、万葉集成立に大きな貢献を果たしました。

平安時代の『拾遺和歌集』にも家持の和歌は60首収録されているほか、『百人一首』では中納言家持という名で和歌が収録されています。

大伴家持の代表和歌①「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも 独し思へば」

春の野原を飛び立とうとするひばり
出典:yahoo!ニュース

「のどかに日がさんさんと照っている春の中、ひばりが空に飛び立ち心が悲しい。一人物思いしていれば」が訳文。春のうららかさとは裏腹に、寂寞感が感じられる悲しい和歌です。「春愁三種」と呼ばれる和歌の三首目の和歌になっています。

これが詠まれた時期、藤原家が政治的勢力を持ち始め、大伴氏の権力は非常に危ぶまれていました。家持は新潟に赴任していましたが、帰京すると藤原氏の政治的な強さに改めて直面し、打ちひしがれてしまいます。

情景の美しさとは反対に物悲しさをうたったこの和歌は、伴侶を求める孤独な女性の和歌「閨怨詩」の影響を受けて詠まれたとも研究されています。家持の知識の高さが分かる歌ですね。

大伴家持の代表和歌②「この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む」

藪柑子(山橘)の真っ赤な実
出典:庭木図鑑植木ペディア

「今積もっている雪が残っているうちにさぁ行こう。そして藪柑子の色付いた真っ赤な実が、雪に照り映えるのを見に行こう」が訳文です。これは750年(天平勝宝2年)の雪の日に詠まれた和歌。万葉集の第4期のさらに最後の時期に詠まれたものです。

万葉時代にあたる古代において、雪は天から降り注ぐ神聖なものとして認識されていました。そして「山橘」とは藪柑子という赤い実のなる植物のこと。神聖な景色の中に、さらに美しい赤い実が重なることから、祝意の満ちた和歌だと読み取れます。

家持は特に「山橘」を好み、他にも「消残りの 雪にあへ照る あしひきの 山橘をつとに摘み来な」という和歌も詠んでいます。

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