新撰組の最強剣客TOP7
証言や役職・実績などを総合して、順位付けしてみました。著者の主観も入っているのでその点はご留意、ご了承いただけたら幸いです。新撰組メンバーの詳しいプロフィールは下記のリンクをご参照ください。
新撰組の主要メンバーを組織図・写真付きで紹介【性格や愛刀も解説】
第7位:藤堂敬助
新撰組四天王にも選ばれ、屯所住人が強いと太鼓判を推していたものの、撃剣師範になっていなかったので、この順位に留めました。ただし文武両道であったといい、剣の腕だけでなく経済感覚も抜群だったという将来有望だった凄い剣士です。
第6位:伊東甲子太郎
伊東道場の師範をしていたことと、神道無念流を恐れた新撰組がわざわざ酔わせて襲撃しているあたりからも強いと考えられるためにランクインしました。新撰組に入隊したときに参謀というビップ待遇で入隊したことからも実力が想定できます。
第5位:服部武雄
隊でも1,2を争うと証言もあり、難しい二刀流の使い手です。剣術だけでなく槍術・柔術も長けていたといいます。そして油小路事件では、服部一人に対して新撰組40~50人で戦い奮闘したというために間違いなく強いはずです。最後は両手に刀を持ったまま、敵に背を向けず大の字で死亡していたと目撃した人が証言しています。
第4位:斎藤一
斎藤一は4位になりました。新撰組で一番人を斬った人間ではあるのですが、沖田や永倉の評価が高い証言が多いので4位になっています。ただし、影仕事の新撰組の中でもひと際影で活躍した人物なので証言が少ないだけかもしれません。実際に撃剣師範を務め、討ち入りの時も怪我一つせず活躍していたといいます。
第3位:近藤勇
やはり新撰組の局長であり、天然理心流の4代目宗家の剣客でもある近藤がランクインしました。実戦に強く、新撰組を一躍有名にした「池田屋事件」でも「死番」として突撃し、多くの死傷者が出て刀がぼろぼろになった人が多い中近藤は、
「当時用ゐたる刀は御承知の新刀虎徹に御座候。劇戦の際、或は折れはせずやと懸念候処、中々折れる処では無之、見事十五人の胴骨を料理して、少しの撓みも無く」
と言っており15人を倒し、愛刀は折れもせず鞘に治まったといいます。誇張もあるかもしれませんが、それでも間違いなく強かったということでしょう。
新撰組局長!近藤勇とはどんな武士?生涯・年表まとめ【性格や死因についても紹介】
第2位:沖田総司
一番過酷な仕事をする一番隊組長であり、永倉や阿部の証言から2位となりました。本気で戦うと師である近藤よりも強かっただろうと隊の人間が噂をしていたといい、「三段突」という常人では出来ないような得意技を持っていました。また屯所の人間も一番強かったといっているために、証言の多さからも1,2を争う強さを持っていたのは間違いなさそうです。
沖田総司とはどんな人?愛刀や死因、子孫、イケメン説も紹介【年表付】
第1位:永倉新八
阿部と八木邸の人が一番強かったといっていたために1位となりました。池田屋事件でも近藤たちと共に突入する4人の1人に選ばれ、二番隊の組長を任され撃剣師範も務めています。一番隊組長は近藤と同じ天然理心流の沖田が務めているので、神道無念流だった永倉が二番隊隊長になったのでしょう。
ですので二番隊の組長の永倉は、沖田と同等かそれ以上と推察できます。元新撰組の阿部も永倉の稽古が進んでいたと証言し、多くの死線を潜り抜けて明治を生きたところも間違いなく強かったことがわかります。
【番外編】槍・柔術の使い手たち
新撰組は剣客だけでなく、槍や柔術を得意とする人が在籍していました。そんな剣以外を得意としていた隊員を紹介します。
原田左之助
種田流槍術を免許皆伝の腕前だったそうです。十番隊の組長として、池田屋事件や油小路事件など多くの事件に参加し活躍しています。油小路事件で服部に致命傷を与えたのが、原田の槍だったといいます。原田も実戦で多く活躍しているのには、槍という実用的な武器を駆使しての戦闘の結果ではないでしょうか。
松原忠司
四番隊組長で、柔術師範も務めていました。新撰組入隊前は、北辰心要流柔術の道場を開いていたといいます。柔術とは別に棒術も教えていたそうです。そのため戦闘は薙刀を使っていたといいますが、柔術も身につけていたならば、相手を取り押さえるなど戦闘でも能力を発揮したのかもしれません。
新撰組最強は誰かに関するまとめ
今回新撰組の最強は誰だったのかということに焦点を絞って執筆しましたが、色々な証言を分析したりしてなかなか楽しい執筆となりました。書いている感想として、多くの腕に覚えがある人物たちの集まりだったのだなと驚いています。
今も私たちにロマンを与えてくれる新撰組の最強は誰だったのか?一つの意見として楽しんで頂けたならば嬉しく思っております。最後まで読んでいただきありがとうございました。
新撰組は幕府が臨時に組織したヤクザと考えていいでしょうか。だから身内の同士討ち多かったのではないでしょうか。基本的に法律の裁判なしで私刑、維新派の暗殺と対抗するためとは言え、やはり信念持ってない殺人道具と言った感じです