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沖田総司とはどんな人?愛刀や死因、子孫、イケメン説も紹介【年表付】

「新撰組で有名な沖田総司ってどんな人?」
「剣の達人と言われているけど実際はどうったの?」
「本当にイケメンだったのかな?」

沖田総司は幕末に活躍した、「新撰組」に所属した人物です。新撰組では一番隊組長という重要な任務を担う部隊の組長を努め、天才的な剣技をもっていたとされる人物でした。

大河で藤原竜也が演じた「沖田総司」
出典:エルペディア

新選組は大河ドラマを筆頭に多くの作品に取り上げられる題材であり、その中でも沖田総司は1,2の人気を争う人物です。大体の沖田総司像は「短命のイケメン剣士」というイメージが定着しているようです。しかし実際の沖田総司は、あまり詳しい資料が残っていない謎の多い人物でもあります。

この記事ではそんな沖田総司の、生涯や剣の腕前、死因やイケメンだったのかまで、多方面から沖田総司という人物に迫っていきます。

沖田総司とはどんな人物か

名前沖田総司
誕生日1842年?
没日1868年7月19日
生地江戸(東京都)
没地東京・千駄ヶ谷
配偶者なし(諸説あり)
埋葬場所専称寺
所属部隊新撰組
役職一番隊組長

沖田総司の生涯をハイライト

沖田が所属した新撰組の旗印
出典:Wikipedia

沖田総司の人生を簡単にダイジェストします。

  • 1842年:江戸の白川藩屋敷で生まれる(1844年説もあり)
  • 1851年:天然理心流の道場で内弟子となる
  • 1856年頃:試衛館塾頭を務める
  • 1863年:「浪士組」に入り一番隊組長となる
  • 1864年:池田屋事件に踏み込む
  • 1865年:山南敬助の介錯をする
  • 同年:この頃肺結核の症状が深刻化する
  • 1867年:療養中御陵衛士に襲撃される
  • 1868年:甲陽鎮撫隊に参加する
  • 同年:千駄ヶ谷で死去
【年表付】幕末とはどんな時代だった?歴史の流れ・出来事・人物まとめ

新選組の一番隊組長だった

一番隊は新撰組の中でも特に精鋭が揃った部隊だったといわれている
出典:purrblog

沖田総司は新撰組の一番隊組長でした。一番隊は剣豪が揃う新撰組でも特に精鋭が揃った部隊といわれており、重要な任務を任される部隊でした。その他の肩書は「副長助勤筆頭」「小銃頭」「剣撃師範」という立場でもあったといいます。沖田総司が新撰組で実際活動したといわれている事件は、

  • 浪士組・殿内義雄の暗殺
  • 芹沢鴨・平山五郎を内部抗争で暗殺
  • 池田屋事件(尊王攘夷派の粛清)
  • 禁門の変(長州藩士を鎮圧)
  • 山南敬助の介錯を務める

などです。上記は明らかに沖田が出動したとわかるものですので、実際はもっと多く活躍したと考えられます。沖田の仕事は「暗殺」という汚れ仕事でした。沖田が初めて暗殺に手を染めたのが同じ浪士組の殿内義雄だったといわれています。

近藤勇、沖田と手を組んで同じ隊員を暗殺している
出典:Wikipedia

当時新撰組は局長となる芹沢鴨と、同じく局長になる近藤勇と二つの派閥がありました。しかし殿内が新たに派閥を作ろうと仲間を集め始めます。その事態を歓迎しない芹沢と近藤は手を組んで殿内を暗殺しました。実行犯は近藤と沖田で、直接手を下したのは沖田といわれています。

抵抗できない時を狙い殺害するという非情な手段を使う暗殺者だった

手口は仲間を探すために旅に出ようとする殿内に、近藤たちが酒を沢山飲ませ京都四条大橋で闇討ちし殺害しています。刀は旅のために袋に入れたままで、抵抗が出来なかったと考えられています。これが記録を見る限りは最初の沖田の暗殺です。

沖田総司の剣術と愛用の刀は?

剣術の天才といわれていた

沖田は天然理心流道場「試衛館」で剣技を磨いた(写真は跡地)
出典:Wikipedia

沖田総司は「剣術の天才」とも呼ばれる人物でした。腕前は、天然理心流と北辰一刀流の免許皆伝を持つ天才的な腕の持ち主であり、逸話の一つに12歳の時に白河藩の指南役と試合をし勝利したという記録が残っています。永倉新八は後年、

土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」

この構えから一突きの動きの間に三突きしていたという
出典:Wikipedia

と話しています。実際竹刀で近藤と試合すると、一段も二段も上をいっていたといいます。沖田の剣技で有名なのは「三段突き」という、平正眼の構えから踏み込みの足音が一度も鳴らないのにその間に三発繰り出すという技です。つまり相手は一突きしかされていないと思っている間に、三突きされているという常人離れした技を使っていたそうです。

沖田総司の愛刀は?

加州清光の模造刀
出典:日光匠家

沖田総司の愛刀でわかっているものは、「加州清光」と「大和守安定」です。また最近はほぼ否定されていますが、「菊一文字則宗」を持っていたともいわれています。

持っていたことがわかっている「加州清光」は、池田屋事件の時に使用した刀といわれています。事件の時沖田は体調不良のために途中までの参加でしたが、激しく戦闘した為に刀の先端が折れてしまっていました。この刀を修理に出したという記録が残っています。

大和守安定の模造刀
出典:日光匠家

「大和守安定」は切れ味が鋭く「虎徹」に似た切れ味だったといいます。沖田は師である近藤勇を尊敬していて、技や掛け声までそっくりだったそうです。そのため刀も近藤が愛用する虎徹に似たものを選んだのではないかと考えられています。

菊一文字
出典:歴史プラス

また「菊一文字」を持っていたという噂もありますが、菊一文字は大名でも手に入るのが難しい名刀であり、金銭的にも沖田が持っていた可能性は低くただの噂であろうと考えられています。

沖田総司の死因は?

結核菌、当時は発病するとほぼ死亡する不治の病だった
出典:Wikipedia

沖田総司の死因は「労咳(肺結核)」といわれています。沖田が肺結核で亡くなったのはかなり有名で、映画や小説で池田屋事件の最中に喀血し戦線を離脱するというエピソードが組み込まれ、沖田の有名なシーンの一つとなっています。

しかし近年は池田屋事件の喀血は創作ではないかといわれています。なぜならば、喀血は肺結核の中でも末期症状であり、沖田が死去したのは1868年で池田屋事件の4年後であり発症の時期として早すぎるのが理由です。

肺結核の末期症状で喀血を伴うのは有名だ

一般的に肺結核は発症して1年ぐらいで死に至るといわれています。ただし一度かかっても持ち直して10年以上生きる人もいたので全くないとも言い切れず、結局は沖田が結核にかかった時期は憶測しか出来ないのが現状です。

沖田総司は本当にイケメンだったのか?

ドラマなどでは美男子が沖田役を演じるのが定番だ(写真は藤原竜也が演じている)
出典:白餡のブログ

沖田総司は「肺結核で早世した天才剣士」のイメージから、なんとなく線の細い病弱なイケメン剣士として描かれることが多い人物です。果たして沖田総司はイケメンだったのか?結論から言うと、実はイケメンではなかったのではないかといわれています。

昭和に描かれた沖田の肖像画、イケメンかというと…
出典:歴史のトリビアひすとりびあ

沖田の肖像画で有名なのが上記の画ですが、これは昭和に入って描かれたもので、モデルは姉・みつの孫の要をモデルに描いたものです。みつが「どことなく総司に似ている」ということから描かれたそうです。画を見る限りイケメンかというと、否定的な意見が出そうですね。

ヒラメ顔という証言などによりイケメン説がどんどん揺らいでいく印象だ

容姿の特徴で挙げられるのに「ヒラメ顔」というワードがあります。これは新撰組後援者の曾孫がテレビで言った言葉で、つい口が滑って言ってしまったと後で訂正されていますが、要は両目が中央に寄りがちな顔だったと言いたかったそうです。

ただし非常に冗談好きで良く笑う青年だったといわれています。もしかしたら雰囲気イケメンだったのかもしれませんね。新撰組に関わった人物による沖田の容姿は「笑うと愛嬌がある」「色黒」「猫背の長身」「肩が張り上がった」などです。

自黒で長身の人物だったと沖田を知る人はいっている
出典:SOLE公式サイト

創作作品で見る「色白の美男子像」とは真逆の人物像が浮かんできます。ただし沖田家の間では総司の容姿は「色が白くて小柄だった」と今でも伝わっているそうです。沖田の写真や肖像画は今のところ見つかっていないために証言から想像するしかないのが現状ですが、結局謎に包まれているところが沖田の人気の秘訣なのかもしれません。

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