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意外!?新撰組の最強剣士ランキングTOP7【武勇伝や愛刀、剣術も紹介】

「新撰組で一番強かったのは誰?」
「最強の剣客を知りたい!」

新撰組は幕末に京都で、尊王攘夷運動の取り締まりをした部隊です。剣の達人が多く在籍し、圧倒的な強さで尊王攘夷運動するものや、不逞浪士を取り締まっていました。

腕に覚えがある人物が多く所属していた新撰組
出典:雷蔵ワールド

腕に覚えのある人ばかりの新撰組で、誰が一番強いのか気になるのではないでしょうか?ある程度想像になってしまいますが、新撰組を知っている人の証言や戦歴などを考慮して一番最強だったのが誰だったのか、この記事では考察してみます。

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この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

新撰組で最強候補の剣客

新撰組には道場の師範・師範代クラスも在籍していた
出典:Wikipedia

新撰組で最強候補に上がりそうな人物を13名ピックアップしました。

  • 芹沢鴨(初代局長・神道無念流剣術師範代)
  • 近藤勇(次代局長・天然理心流4代目宗家)
  • 土方歳三(副長・天然理心流中目録)
  • 伊東甲子太郎(参謀・伊東道場の師範)
  • 沖田総司(一番隊組長・天然理心流と北辰一刀流免許皆伝・新撰組四天王・撃剣師範)
  • 永倉新八(二番隊組長・神道無念流免許皆伝・新撰組四天王・撃剣師範)
  • 斎藤一(三番隊組長・吉田道場師範代・新撰組四天王・撃剣師範)
  • 藤堂平助(八番隊組長・新撰組四天王)
  • 服部武雄(二刀流の使い手)
  • 田中寅三(撃剣師範)
  • 荒井忠雄(撃剣師範)
  • 吉村貫一郎(鹿島新当流高弟・撃剣師範)
  • 池田小三郎(一刀流の使い手・撃剣師範)

の13名です。まず「近藤」・「土方」・「伊東」は局長などの役職がついていますが、やはり強くないと隊員はついてこないはずです。局長は道場の師範や師範代クラスが務めています。土方の肩書は中目録(一人前の実力を証明)ですが、路上での実戦が非常に強かったそうです。

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土方歳三は目つぶしや首絞め等型にとらわれない戦法を得意としていたそうだ
出典:Wikipedia

そして撃剣師範は剣を教えるポジションなので強かったことが想定できます。同時に隊の組長を務めていた「沖田」・「斎藤」・「永倉」の3名は特にでしょう。

新撰組四天王の一人永倉新八(前列中央)
出典:Wikipedia

やはり十番まである新撰組の一から三の組長は強い人を選ぶはずです。後の4名は詳細が分からない人物も多いですが、撃剣師範になるからにはやはり強かったと考えられます。

また藤堂・服部は後年の証言者が強い剣の使い手として名を挙げています。藤堂は「新撰組四天王」の一人に選ばれており、服部武雄は永倉が「一番の使い手」と明治時代に評した人物です。

最強を選ぶ上での根拠・史実

最強を選ぶ上で参考になるのはやはり知っている人の証言でしょう。新撰組を知る人の証言をまとめてみました。

元新撰組隊員の証言

斎藤一は討ち入りの時もかすり傷一つついていなかったといわれている
出典:Wikipedia

新撰組の隊士だった阿部十郎が後に、

「沖田総司、これがまあ勇の一番弟子で、なかなかよく仕いました。その次は斎藤一と申します。それから是は流派が違いますが、永倉新八という者がおりました。この者は沖田よりもちと稽古が進んでおりました。」

1に永倉、2に沖田、3に斎藤の名を挙げています。また生き残った一人である永倉は、「沖田は亡者の剣、斎藤は無敵の剣」と評しています。永倉本人が自分を褒めないだけで、やはり沖田・永倉・斎藤は強かったというのはゆるぎない事実と考えられそうです。

服部は二刀流の使い手だったという
出典:Wikipedia

また永倉は隊で1,2を争う使い手として「服部武雄」の名前を挙げています。そして沖田については、

「土方・井上・藤堂・山南は竹刀を持てば子供扱いされた。恐らく本気で立ち合えば師匠の近藤も敗れるだろうと皆言っていた」

と話しています。二人の証言を纏めると、永倉・沖田・斎藤・服部の4名が強いと感じていたようです。

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屯所住人の証言

新撰組が屯所にしていた八木邸
出典:Wikipedia

新撰組の屯所となった八木邸の御子息・八木為三郎は永倉を隊中で、1,2を争う使い手といっています。また同じく屯所になった西本願寺の侍臣であった西村兼文は沖田と藤堂を、

「(沖田は)近藤秘蔵の部下にして、局中第一等の剣客なり」
「(藤堂は)経済に達し、撃剣を能くす」

といっています。纏めると永倉・沖田・藤堂が強いということです。

新撰組の目撃者の証言

小山は油小路事件の目撃者だった
出典:Wikipedia

桑名藩士小山正武という人が、いくつか証言を残しています、内容は、

  • 藤堂平助も有名の智勇ともに秀でている人
  • 永倉・沖田・斎藤・藤堂が新撰組四天王と呼ばれていた
  • 新撰組多しといえど服部武雄に敵するものなどいない

というものです。特に服部は二刀流を奮って活躍した話を残しています。

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1 COMMENT

Kusurin

新撰組は幕府が臨時に組織したヤクザと考えていいでしょうか。だから身内の同士討ち多かったのではないでしょうか。基本的に法律の裁判なしで私刑、維新派の暗殺と対抗するためとは言え、やはり信念持ってない殺人道具と言った感じです

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