芥川龍之介とはどんな人?生涯・年表まとめ【作品の特徴や名言、生い立ちも紹介】

芥川龍之介の有名作品年表


1914年
『老年』

『老年』

芥川龍之介の処女作と語られる作品です。芥川の生前に単行本化されることはありませんでしたが、処女作とは思えない老獪な文章構成と表現は、やはり後の文豪たる素質を客観的に表しています。

1915年
『羅生門』

『羅生門』

もはや説明不要の、芥川龍之介の代表作です。寂れた京都の羅生門を舞台に、下人と老婆の掛け合いから「人間のエゴイズム」を克明に描いています。

初期の芥川らしさが最もみられる作品のため、芥川文学の入門には、まずこの作品に触れることをお勧めします。

1916年
『芋粥』『鼻』

『芋粥』

うだつの上がらない役人と、彼が抱く“ある夢”を描いたお話です。抱き続けてきた夢が突に叶った時、人は一体何を思うのか?ユーモアのある作品ですが、同時に万人の心に突き刺さる作品にもなっています。

『鼻』

長く滑稽な鼻を持つが故に、周囲から馬鹿にされる僧侶を主人公に据えた作品。コンプレックスに対する人間の心理や、「自分よりも下の誰かを求める」という人間の醜さを、ユーモラス故に残酷さすら感じる文体で描いています。

1918年
『蜘蛛の糸』『地獄変』

『蜘蛛の糸』

言わずと知れた名作児童文学。地獄に落ちた大泥棒のカンダタと、そんな彼に落とされた唯一の救いの結末を描いた作品です。教育的でありながら、その分直接的に人間の醜い部分を描いた、芥川らしさ全開の作品となっています。

『地獄変』

醜悪な性格ながら、優れた腕を持った絵師の良秀と、「地獄変」の屏風絵をめぐる物語です。絵のためなら弟子すら躊躇なく犠牲にする良秀が、唯一描けない「焼け死ぬ女」の絵。果たして、その絵を完成させる方法とは……。

人のエゴイズムの醜さを直接的に描きながら、どこか危うい芸術性すら感じる名作です。

1920年
『杜子春』

『杜子春』

遊び人のダメ人間、杜子春と仙人を描いた作品です。仙術を得るために「何をされても声を出すな」と命ぜられる杜子春。はたして彼は、仙術を身に着けることができるのか……。

「人間の醜さ」を描くことが多い芥川作品の中では、少しばかり異色の結末を迎える作品となっています。

1922年
『藪の中』

『藪の中』

「真相は正に藪の中」という慣用句のもとになった作品です。藪の中で見つかった男の死体に関師、尋問を受けるそれぞれの人物の支点から構成される物語となっています。

全てが明らかになった時に、狐につままれたような気持ちになること請け合い。好みの分かれる作品ですが、芥川らしいユーモアに満ちた作品でもあります。

1923年
『あばばばば』

煙草屋の女性の成長を、その客の一人称視点から描いた私小説です。

芥川の「理想の女性」像が詰め込まれ、ユーモラスながら、芥川に少しだけ同調してしまいそうになる作品となっています。

1927年
『河童』『歯車』『文芸的な、余りに文芸的な』『或阿呆の一生』

『河童』

河童の世界を舞台に、人間の社会を痛烈に風刺した作品です。晩年の芥川の心境が、河童の世界を通じて克明に描かれています。

『歯車』

レインコートの男の幻覚に怯える主人公が見る、数多の幻視や幻聴を描いたホラー風味の作品です。

晩年の芥川の生活と酷似する点が多く見られ、それ故に研究資料としても使われている作品となっています。

『文芸的な、余りに文芸的な』

先述した、谷崎潤一郎との文藝論争に関わる文学評論です。

芥川の文学に対する信念について、ストーリー性を交えない、直接的な言葉で読むことができます。

『或阿呆の一生』

芥川の自殺後に見つかった作品です。芥川の人生を書き記したものと見られ、谷崎潤一郎や夏目漱石なども登場しています。

芥川龍之介の功績

功績1「芥川賞の元となった」

芥川賞を創設した株式会社文藝春秋の本館

芥川賞は芥川の親友であった菊池寛が、芥川の死後8年後に彼の功績を記念して創設した賞です。

年に2回、新人作家が世間へ発表した短編・中編の作品の中から選出される賞で、受賞作は文藝春秋に掲載されます。現在では多くの人に知られ、純文学の新人に与えられる権威ある賞として有名な芥川賞ですが、創設当初はあまり注目されませんでした。

そんな芥川賞が世間の目を集めるようになったのは、1956年に学生作家・石原慎太郎の「太陽の季節」が受賞してからです。若い作家であったこと、作品が人々から注目されるものだったことから話題となり、権威ある賞としての地位を確立しました。

芥川も学生時代に作家として活動していたことを考えると、その名前にふさわしい広まり方ですね。

功績2「23歳で作家デビューした」

作家として早熟だった

芥川は23歳のときに代表作『羅生門』を発表して、作家としての道を歩みはじめました。

とはいえ、当時はあまり評判にならず、創作活動で思うような結果が出なかったようです。しかし、その翌年に書いた『鼻』が憧れの先生・漱石に褒められたことから、自分の作品に自信を持つことができるようになりました。

大学卒業後も創作への意欲は衰えることなく、海軍学校で英語を教えるかたわら短編集『羅生門』を発表。次々と執筆依頼が舞い込むようになり、順調に人気作家へと成長しました。

大学時代に漱石に褒められるほどの作品を書けたなんて、どれほど優れた才能を持っていたのかがわかりますね。

功績3「学校の教科書に載っている『羅生門』を執筆した」

羅生門の模型

『羅生門』は現在の教科書に載っている作品で、上述したように芥川が23歳の頃に執筆した作品です。自然災害や感染症によって寂れてしまった京都が舞台で、失業してしまった男が主人公の話です。

内容を簡単にまとめると次のようになります。

とある雨の夜、失業した男は生きるために盗みを働くか、悪事を働かずに飢え死にするか悩んでいました。雨が強かったため羅生門の下で雨宿りする男ですが、そこにはすでに老婆が1人。カツラにして売るために、死人の髪を抜いていました。

人道に背く行いに男は老婆に激怒するのですが、しかし老婆の言い分を聞いているうちに心境に変化が訪れーーという話です。

この作品は、状況にあった言い訳を作り出して善にも悪にもなれる人間のエゴを主題にしています。実はこの頃、芥川は恋をしていたのですが、家の事情により叶いませんでした。

その経験がこの『羅生門』に反映されています。失恋から人間のエゴについて生々しく描いた名作を執筆できるなんて、芥川の発想と考えの深さには感嘆ですね。

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