芥川龍之介とはどんな人?生涯・年表まとめ【作品の特徴や名言、生い立ちも紹介】

芥川龍之介が影響を受けた・与えた人物や友人関係とは

芥川は夏目漱石のことを「先生」と呼んでいた

芥川が影響を受けた人物・夏目漱石

芥川が影響を受けた人物としては、やはり夏目漱石が有名でしょう。芥川は漱石のことを「先生」と呼び慕っていたようで、作品の中にもたびたび漱石の名前や、漱石と思しき人物を登場させています。

そのエピソードからだけでもわかるように、芥川からの漱石へのリスペクトは中々に凄まじかったようで、芥川が若手作家だった当時、漱石が開いていた「木曜会」と呼ばれる作家仲間の会合では、万が一にも漱石の機嫌を損ねることが無いように、ずっと漱石の顔色伺いをしていたというエピソードが残っています。

また、芥川が作家としてデビューしたてで、自分の作品に自信を持てていなかったころ、漱石に作品『鼻』を絶賛されたことで一転、自分の作品に自信を持ったというエピソードも残っています。尊敬する人から褒められるのは嬉しい事ですが、ちょっと単純すぎるような気も……。

また、「話の筋より文章技巧を優先する」という彼の文学論に基づいては、ジュール・ルナールと志賀直哉(しがなおや)を「話らしい話のない、もっとも純粋な小説の名手」として絶賛しています。また、志賀直哉に対しては、単純に「好きな作家」として名前を挙げています。

太宰治は芥川マニアだった

反対に、芥川が多大な影響を与えた人物としては、やはり太宰治が有名です。

熱狂的な芥川フリークだった太宰は、学生時代のノートに芥川の名前や似顔絵を何度も書き、更に自分のペンネームを、芥川の名前と並べる形で考案していたことが明らかになっています。

また、芥川の自殺報道に関しても、太宰は「作家はこのように死ぬのが本当だ」と口にしたとされています。後の破滅的な大作家、太宰治の骨子は、もしかすると芥川が意図せずに作り上げてしまったものなのかもしれません。

もっとも、芥川の自殺に影響を受けたのは太宰だけでは無いようで、芥川の自殺報道の後、後追いで自殺をする「芥川宗」と呼ばれる若者たちが大きな社会問題になったことも記録に残っています。

芥川龍之介と太宰治の関係がよくわかる3つの逸話・エピソード

繊細だったが友人は多かった

繊細過ぎるほど繊細な人物であった芥川ですが、一方で友人は多かったようです。

中でも、高校時代の同期だった面々とは、晩年まで交流する親友関係だったと記録されています。とりわけ、同期生である作家の久米正雄(くめまさお)や菊池寛(きくちかん)らと共に取材旅行に出かけるなど、親しく交流していた様子が伝わっています。

久米正雄らと写る芥川(右から2番目。久米は1番左)

また、画家の小穴隆一(おあなりゅういち)とも、親友とも呼べるほど仲のいい間柄であったようです。

さほどのエピソードが残っているわけではないのですが、芥川は自身の遺書で子供たちに対し「小穴くんを父親だと思いなさい」と、妻である文には「小穴くんには心配を掛けたくないから、僕が絶命した後に僕の死を知らせるように」と書き残しています。

死に際しての友人への思いと、小穴に対する芥川からの信頼が読み取れる文章となっていますので、皆さまも是非一度お読みになってみてください(青空文庫にて無料で読めます)。

また、同期生ではない作家仲間としては、『痴人の愛』などに代表される、エロティシズムに満ちた作品の名手、谷崎潤一郎と親交があったことが伝わっています。

芥川と谷崎夫妻、それから佐藤春夫(さとうはるお)夫妻の5人で芝居を見に行ったという話が残っていますが、そのエピソードと同じ時期に、いわゆる「文学論争」と呼ばれる、芥川と谷崎の論争も記録されています。そのため、単純な友人関係と言うよりは、お互いを高め合うライバルのような関係性だったのかもしれません。

芥川龍之介の名言

芥川が残した言葉の数々とは

「幸福とは、幸福を問題にしない時をいう。」

芥川の幸福論。この言葉を受けてから「幸福ってなんだ?」と考えてみると、確かにこれ以上の幸福はないような気がします。

「自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。」

芥川の自由論。自由と言うものの本質を見事に言い表し、「山嶺の空気」という文学的な修飾を加えた、お見事な言葉です。現代を生きる我々は果たして本当に自由なのか?少し考えてみたくなりますね。

「人間は時として、満たされるか満たされないかわからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない。」

芥川の人生論その1。満たされるか満たされないかわからない欲望――つまりは夢を追う人は、時として愚かに見えることもあります。しかしそれを笑う人は、夢追い人にとってはただの路傍の誰かさんに過ぎないのです。

「人生の競技場に踏みとどまりたいと思ふものは、創痍を恐れずに闘はなければならぬ。」

芥川の人生論その2。生きるためには戦うしかないという、現代にも通じる一言。現代では『進撃の巨人』等で語られる人生論ですが、この時代では芥川がそのような考えを持っていたようです。

「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。」

芥川の正義論。正義の反対は悪ではなく、また別の正義だというお話です。軍が強権を振りかざし、「正義と悪」という二元論が横行した時代においての、芥川の鋭い知見が見える一言です。

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芥川龍之介にまつわる逸話

逸話1「スーパーヘビースモーカーだった」

酒乱で有名な中原中也(なかはらちゅうや)や、薬物中毒で苦しんだ太宰治など、この時代、不健康な嗜好品に溺れる作家は数多くいましたが、芥川も例外ではありませんでした。

芥川が好んだのはタバコ。太宰の薬物中毒に比べると平和なように聞こえますが、問題なのはその本数。芥川は、なんと1日に180本ものタバコを吸っていた、超ド級のヘビースモーカーだったと言う逸話が残っているのです。

芥川が好きだった敷島

芥川は、タバコの銘柄の中でも「敷島」と言う銘柄を特に好んでいたようで、その「敷島」銘柄のタバコは、芥川作品の中にも度々登場しています。

「敷島」は、芥川の死後、1943年に販売停止。現在の私たちが芥川と同じタバコを味わうことは、残念なことにほとんど不可能なようです。

逸話2「芥川龍之介と『歯車』の恐怖とは」

『歯車』初版

晩年、芥川が自殺の間際に書き上げた作品『歯車』。

レインコートを着た幽霊の幻覚に怯える男を描いた、ホラータッチの不気味な作品なのですが、実はこの作品には、あるエピソードを知ることによってわかる、ある恐怖が眠っているのです。

そのエピソードと言うのは、芥川が自殺する半年前のエピソード。芥川が自殺する半年前、実は芥川の義兄、西川豊(にしかわゆたか)も自殺していることはご存じでしょうか?

西川は弁護士でしたが、偽証教唆の罪で失権。その失権と時を同じくして住宅まで全焼するという災難に見舞われます。しかも追い打ちをかけるように、その火事は西川の手による、保険金目当ての放火ではないかという疑いまで浮上。追い詰められた西川は身の潔白を示すために、鉄道自殺を遂げてしまいます。

翻って『歯車』について。『歯車』の登場人物の中に、”N”という人物がいます。”N”は主人公の義兄であり、偽証罪の執行猶予中に列車自殺を遂げた人物です。

列車自殺を遂げた主人公の義兄

ここまで書けば、もうお分かりでしょう。『歯車』の内容と、芥川の身に降りかかった事件が、まさにそのまま一致しているのです。更に、作品と現実の一致点はその部分だけではなく、主人公の死を暗示する不吉な予言によって終わるクライマックスのやり取りも、文夫人によれば「実際にあったやり取り」なのだと言います。

普通であれば「経験に着想を得た自伝的小説」と取るべきなのですが、その自伝的な内容が内容であり、その執筆からほとんど間を置かずに、芥川が自死を選んでいるだけに、どうにも不気味な感覚が拭えない作品です。

そんな不気味さを示す様に、「『歯車』の執筆の際に、芥川はドッペルゲンガー(見た者と同じ姿をした怪異。見てしまうと死ぬとされている)を見てしまった」というトンデモ説まで囁かれています。与太話に過ぎない説ではありますが、『歯車』の内容を知ってしまうと、否定しきれない話のようにも感じられる説です。

はてさて、『歯車』に描かれた物語は、どこまでが物語で、どこまでが現実だったのか。真相は正に藪の中となっています。

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