北条時宗はどんな人?生涯・年表まとめ【元寇での活躍や死因も紹介】

1274年 – 24歳「文永の役で勝利」

文永の役を描いたもの
出典:Wikipedia

文永11年(1274年)、フビライはついに日本へ軍を差し向けました。「文永の役」勃発です。時宗の政策により一丸となって戦った日本軍は見事に勝利。兵数には諸説ありますが、日本軍は1万人前後と言われ、モンゴル軍は3万~4万人近かったとされています。

暴風雨のイメージ
出典:Wikipedia

文永の役は初戦だったため、お互いが未知の敵との戦いであり、一進一退の攻防が続いたと言われています。両軍の消耗は激しく、日本軍は大宰府まで引き返し、元軍は船に乗って海上に漕ぎだしたところ、暴風雨に襲われ一夜にして壊滅しました。

時宗の徹底抗戦の姿勢と政策、そして時宗に従い戦った九州武士団の活躍により、元軍は退却せざるをえなかったのです。

1281年 – 31歳「弘安の役で勝利」

弘安の役を描いたもの
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弘安4年(1281年)、フビライによる2度目の日本侵攻が行われます。弘安の役です。元は10万人以上とも言われる軍勢で襲来しましたが、再び日本が勝利します。

時宗が前回の教訓を活かし強固な防塁を海岸線に築いていたため、モンゴル軍は1度も上陸できぬまま、またしても台風被害に合い甚大な被害を出してしまいました。弘安の役でも、時宗による徹底した備えが日本の大きな勝因となったのです。

1284年 – 34歳「北条時宗死去」

時宗の墓所がある円覚寺
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弘安の役での勝利から約3年後の弘安7年(1284年)4月4日。時宗は34歳でこの世を去りました。18歳で執権になった途端に元寇への対応を迫られ、2度の元寇を退けてから程なくして亡くなった北条時宗。まさに、元寇から日本を救うために生まれてきたかのような英雄でした。

北条時宗の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

時宗 巻の壱 乱星

北条時宗を描いた小説で、2001年大河ドラマ「北条時宗」の原作になった作品。小説なので物語として時宗の活躍を楽しめます。また時宗の父 時頼にも多くのページを割いているため、時宗の時代に至る経緯も網羅しており、元寇に勝利するまでの壮大な物語となっていて非常に楽しい一冊です。

日本の歴史 モンゴル軍の来襲

本書は漫画なので入門用として活用できる一冊。活字だと内容がなかなか頭に入ってこない場合も、漫画なら楽しく読めますので、北条時宗や元寇に初めて触れる方にオススメです。

誰も教えてくれない 真実の世界史講義 中世編

世界史の中で元寇時の日本がどうしていたかがわかる一冊。北条時宗だけを扱った本ではないのですが、元寇に至る経緯や時宗の活躍がコンパクトかつ詳しくかかれているので、スッキリと理解したい方にはオススメ。世界史における元寇や時宗の活躍がわかるので、広い視野で元寇を捉えられる一冊です。

おすすめの動画

北条時宗と元寇

北条時宗を約12分でコンパクトに解説した動画です。北条時宗の活躍や凄さがわかりやすく凝縮されているのでぜひご覧になってみてください。

おすすめの大河ドラマ

NHK大河ドラマ 北条時宗 総集編

2001年に放送されたNHK大河ドラマ「北条時宗」の総集編です。時宗を扱った映像作品自体が貴重なので、映像で時宗の活躍を知りたい方にオススメです。

関連外部リンク

北条時宗についてのまとめ

日本史上における最大級の国難 元寇を退けた北条時宗。本文中でも触れた通り、元服、結婚、執権就任を早々と済ませた後、執権になるや元寇への対応に追われ、2度の元寇を凌いでから間もなく亡くなりました。まさしく元寇から日本を守るために生まれてきた英雄としか思えません。日本の独立を守った英雄中の英雄です。

元王朝があった大陸と朝鮮半島の脅威に対し、日本はいつの時代もしっかりと対応してきました。時宗が元寇に対して行った政策、示した態度には、現在の国防にも大いに参考にすべき点があると感じています。この記事を通じ、北条時宗の名と活躍に多くの日本人が興味を持って頂けたら嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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