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元禄文化とは?特徴から代表する人物・作品、化政文化との違いまで解説

元禄文化とは、江戸時代前期に生まれた文化です。戦乱が続いた時代が終わり、井原西鶴や尾形光琳といった、煌びやかで華やかな、快楽を求める作品が多く生まれました。

元禄文化の代表作品である尾形光琳作「紅白梅図屏風」
出典:美術手帖

また、江戸時代の文化は、元禄文化の他に化政文化も知られています。どちらも同じ江戸時代のものではありますが、その時代背景の影響から、生まれた作品も文化全体の印象も大きく違います。

この記事では、元禄文化を生み出した代表的な人物や作品を紹介するとともに、化政文化との違いについても触れています。元禄文化自体を掘り下げるだけではなく、化政文化と比較することで、元禄文化の特徴がより深く理解できるようになるはずです。

元禄文化とは?

江戸幕府5代将軍徳川綱吉(1646〜1709)
出典:wikipedia

元禄文化とは、江戸時代前期に生まれた町人文化です。主に5代将軍徳川綱吉の治世の文化で、その時代の中心である1688〜1703年の年号「元禄」から元禄文化と呼ばれています。

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上方で花開き、経済の発展が目覚ましい時代背景もあって、町人・商人層にも広がりを見せました。それまでの文化は大名や公家・有力町人が主な担い手でしたが、元禄文化は幅広い層に受け止められる、成熟した文化となりました。

元禄文化の3つの特徴

1.鎖国を背景に生まれた日本独自の文化

鎖国中に貿易活動を行っていた長崎の出島は立ち入り制限が厳しかった。
出典:文化遺産オンライン

外国の影響を受けることなく、日本特有の文化となったのは元禄文化の大きな特徴です。17世紀半ばごろから行われた、鎖国による外国船の来航禁止により、これまでのように外国からの文化が入ってこなくなりました。そのため、日本国内で独自の文化が創られていったのです。

2.政治が安定して学問が重視された文化

徳川綱吉が儒学の振興のために建てた湯島聖堂
出典:文化遺産オンライン

元禄文化では、学問が盛んに行われました。社会が安定してきたことで、身分秩序を大切にした「忠孝・礼儀」を尊ぶ儒学が広まります。儒学によって合理的なものの考え方が人々に浸透していき、科学分野の発達にも繋がりました。医学や天文学、本草学など、日常生活に役立つ学問である実学が大きく進展したのが元禄時代です。

また、理論的なものの考え方が広まったことで、武士に為政者としての自覚を促す学問も発達しました。これによって社会における秩序を保ち、幕藩体制を維持しようとしたのです。

3.出版や印刷技術の向上で発展した文化

元禄文化が大名や公家・有力町人のみならず、商人や一般町人にまで広がった背景に、出版技術の向上があります。

菱川師宣のさし絵が入った絵本「大和絵つくし」
出典:国立国会図書館

元禄期には庶民的な風俗画として浮世絵が登場します。まだ墨刷り一色の版画ではありましたが、当時のかけ蕎麦一杯の価格と同程度の、今でいうと500円でお釣りがくる位の価格で浮世絵を買うことができました。この価格設定は、出版業者である版元が数多く生まれ、木版技術が発達して、作品の大量生産ができるようになったことで可能になりました。

化政文化との違い

化政文化とは

化政文化の作品として有名な、葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」
出典:wikipedia

化政文化は江戸時代後期に江戸で生まれた町人文化です。11代将軍徳川家斉の治世を中心に、洒落(しゃれ)や通(つう)を好んで野暮(やぼ)を笑うという、刹那的で快楽を追い求めたのが特徴です。派手さよりも粋を重んじて渋さを重視しました。

伊能忠敬が大日本沿海輿地全図を作成したのも文化・文政期
出典:東京都立図書館

1804〜1817年の「文化」、1818〜1829年の「文政」という年号から一字ずつを取って化政文化と呼ばれています。

元禄文化と化政文化の違い

文化の中心地

江戸時代の活気ある大坂がわかる「菱垣新綿番船川口出帆之図」
出典:にしのみやデジタルアーカイブ

元禄文化は、上方を中心に発展しました。江戸幕府が開かれて約100年は経っていますが、商業都市として最も栄えていたのは、当時はまだ江戸よりも上方と呼ばれる京都や大阪だったからです。

世界的にもトップクラスの人口だった江戸(歌川広重作「東都名所 日本橋魚市之図」より)
出典:文化遺産オンライン

一方、化政文化は江戸を中心に広まりました。江戸時代も後期となり、江戸が上方と並んで大きな経済都市に成長したためです。

文化の担い手

現在の宝くじの原型である富突(とみつき)は文化・文政期の庶民の娯楽であった。
出典:日本銀行金融研究所貨幣博物館

元禄文化は大名や豪商、有力町人だけではなく、一般の町人や商人も担い手となりました。化政文化は、主体が町人です。庶民が中心となり、全国的な広がりをみせた多種多様な文化となりました。

元禄文化を代表する人物とその作品・功績

売れっ子作家だった「井原西鶴」

井原西鶴(1642〜1693)
出典:wikipedia

大坂出身の井原西鶴は、上方で流行していた自由で易しい誹風である談林派の俳諧師として活躍していました。その後、仮名草子を発展させた風俗小説である浮世草子を生み出し、第一作「好色一代男」は大評判となりました。

大ヒット作となり、上方版・江戸版の他に模倣作品も生まれるほどだった「好色一代男」
出典:国文学研究資料館

井原西鶴の浮世草子には、男女の好色生活を描いた好色物(代表作は「好色一代男」)、武家の生活を描いた武家物(代表作は「武道伝来記」)、町人物(代表作は「日本永代蔵」)があります。

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俳諧を芸術にした「松尾芭蕉」

松尾芭蕉(1644〜1694)
出典:荒川区公式サイト

松尾芭蕉は伊賀上野出身の俳人で、連歌の発句にすぎなかった俳諧を、和歌と対等の芸術的地位まで押し上げたことで知られています。松尾芭蕉の誹風は「蕉風」と呼ばれ、言葉の可笑しさではなく、言葉の外側にある余情を大切にしました。余情を包むリズムである栞(しおり)や、自然に溶け込んだ枯淡の心境である寂びといった美意識に重きを置きます。

文人画家で知られる与謝蕪村が描いた「奥の細道図」
出典:文化遺産オンライン

門弟である曽良と共に東北や北陸を旅した「奥の細道」や、関西から阿波方面を巡った「笈(おい)の小文(こぶみ)」といった俳諧紀行文が有名です。

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東洋のシェイクスピアと言われる「近松門左衛門」

近松門左衛門(1653〜1724)
出典:文化デジタルライブラリー

越前出身で京都で育った近松門左衛門は、三味線を伴奏楽器とする語り物である浄瑠璃の作者として修行を始めます。義太夫節を創始した竹本義太夫と組んで、世話物の代表作「曽根崎心中」など、現在の文楽の原型となった人形浄瑠璃で数多くのヒット作を生み出しました。他に近松門左衛門の有名作品として、時代物の「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」があります。

滅亡した中国の明の家臣が、日本人の妻と子供を伴って明を再興するという筋書きの「国性爺合戦」
出典:文化デジタルライブラリー

また、上方歌舞伎の代表的な役者である坂田藤十郎とのペアで、現在でも上演されているような歌舞伎の名作も世に送り出しました。そのため近松門左衛門は、「作者の氏神」「東洋のシェイクスピア」などと呼ばれ、その才能は今でも高い評価を受けています。

荒事の「市川團十郎」と和事の「坂田藤十郎」

芝居小屋で歌舞伎を楽しむ人々
出典:文化遺産オンライン

17世紀初めに生まれた歌舞伎は、元禄時代には前髪を切り落とした野郎頭で舞台へ上がる野郎歌舞伎として全盛期を迎えます。常設の芝居小屋ができ、武士や町人が日常の娯楽として歌舞伎を楽しむようになります。

初代市川團十郎(1660〜1704)
出典:wikipedia

江戸では初代市川團十郎が勇猛な立ち回りを得意とする荒事(あらごと)を演じ、上方では初代坂田藤十郎が、色男役を優美に魅せる和事(わごと)の名手として高い人気を誇りました。

元禄を代表するトップデザイナー「尾形光琳」

一度見たら忘れられない意匠性が高く評価されている尾形光琳作「燕子花図屏風」
出典:casabrutus.com

京都呉服屋出身の尾形光琳は、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)や俵屋宗達といった先人たちの芸術を継ぎつつも、装飾性に富んだ「琳派」と呼ばれる画風を確立しました。絵画、工芸、着物のデザインなど、尾形光琳はさまざまな分野で活躍しました。その印象的なデザインは今も世界中のファンを魅了しています。

鉢の外と内の文様が一体となり、紅葉の形に透かし彫りされている尾形乾山の代表作「色絵紅葉文透彫反鉢」
出典:文化遺産オンライン

弟の尾形乾山(けんざん)は京焼の名工である野々村仁清(ののむらにんせい)に陶磁器を作る指導を受けました。斬新な意匠は兄の尾形光琳の作品にも通じるところがあります。

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