妻は誰?巴御前との関係とは
木曽義仲の妻は関白:藤原基房の娘、藤原伊子と言われています。よく巴御前を妻と勘違いしている方が多いですが、あくまでも義仲と巴御前の関係は主君と家臣でした。
巴御前が木曽義仲の妾(愛人)であったという説もありますが、そもそも巴御前の存在が「平家物語」や「源平盛衰記」といった軍記物語でしか確認されていないことから、実在したかどうかさえ不明で、真偽は定かではありません。
妻である藤原伊子は義仲の死後、源通親と再婚し、後に日本における曹洞宗の開祖となる道元を生みました。
木曽義仲の最期とは
源頼朝の軍勢を向けられ、追い詰められた木曽義仲は後白河法皇を幽閉します。頼朝が派遣した義経・範頼の軍勢が近づいた時点で、一時は後白河法皇を連れ、京を脱出し、北陸で再起を図ることも検討しました。
しかし、義経らの勢力が1000人程度の少数であると誤認し、迎え撃つ判断をしてしまいます。実際、義経らの勢力は25000人の大軍で、その時の義仲の軍は400人程度と言われ、絶望的な状態で戦いが始まります。
義仲は寡兵の中で奮闘するも、兵数の差が圧倒的で敗北します。そこで、義仲は家臣と合流し、北陸へ落ち延びようとしますが、その時にはたった5人しかいませんでした。ついには義経らの軍に捕捉され、木曽義仲は馬が脚を取られて動けなくなった隙に、顔に矢を射られて討死したと言われています。
木曽義仲には子孫がいる?
木曽義仲には4人の息子がいたと言われています。
- 長男:義高
- 次男:義重
- 三男:義基
- 四男:義宗
長男の義高は源頼朝の元へ人質として送られていました。しかし義仲が討たれてしまい、立場が悪くなります。父を殺したことで復讐を恐れた頼朝が義高の命を狙い、それを知った義高は逃走しますが、追手に捕まり12歳で殺されてしまいました。
次男の義重と四男の義宗についての詳細は不明で、真偽が定かではない情報しかありません。ですが、一説によると義重は広島県の向島で余生を送ったと言われています。
義仲の死後、三男の義基は家臣たちに匿われ、現在の群馬県渋川市に逃れたと言われ、そこに木曽三柱神社や木曽三社神社を建立しました。
その後の子孫がどうなったかは不明で、おそらく木曽義仲の血筋は断絶したものと思われます。室町時代や江戸時代に木曽義仲の子孫を自称する人も現れますが、真実かどうかは分かりません。
木曽義仲の功績
功績1「俱利伽羅峠の戦いで平家の大軍を打ち破った」
木曽義仲は俱利伽羅峠の戦いで平家軍が10万という大軍を率いたのに対し、義仲軍3万という兵数で向かいうち、圧倒的不利な状況の中で見事な勝利を収めました。この戦いをきっかけに源氏は勢いづき、怒涛の勢いで平家を追い落とすことに成功します。
木曽義仲は27歳のときに、後白河法皇の息子で第三皇子である以仁王の呼びかけにより、平家打倒のため立ち上がりました。当時はまだ平家の時代で、軍の数でも源氏は不利な状況の中でのことです。
以仁王も挙兵しましたが、平家の軍勢に討ち取られ、また、木曽義仲の兄である源仲家も一連の戦いの中で討たれてしまいました。しかし、木曽義仲は京から逃れてきた以仁王の子である北陸宮を擁して、以仁王の遺志を継ぎ平家との戦いに挑みます。そして、俱利伽羅峠の戦いにおいて平家を見事打ち破りました。
功績2「平家から源氏への時代の転換点となった入京を果たした」
当時は平家全盛の時代で、その繁栄ぶりから「平家にあらずんば人にあらず」という言葉が生まれるほでした。そんな平家の時代を終わらせ、源氏の台頭のきっかけとなったのが木曽義仲たちの入京です。
俱利伽羅峠の戦いで平家軍を壊滅に追いやった木曽義仲は京に向かって進軍し、義仲に味方する武将も多くなりました。そして、遂に形勢の不利を悟った平家は安徳天皇と三種の神器を持ち出し、都落ちします。
義仲に味方した武将に護衛され、後白河法皇が京へ戻った際、後白河法皇は「この20余年見られなかった源氏の白旗が、今日初めて都に入る」という言葉を残しています。
木曽義仲の名言
「我去年の春信濃国を出しとき妻子を捨て置き、また再び見ずして、永き別れの道に入ん事こそ悲しけれ。されば無らん跡までも、このことを知らせて後の世を弔はばやと思へば、最後の伴よりもしかるべきと存ずるなり。疾く疾く忍び落ちて信濃へ下り、この有様を人々に語れ」
「源平盛衰記」の中で木曽義仲が最後の戦いに挑む前に、巴御前に言った言葉とされています。この言葉は巴御前が義仲と一緒に死んで忠義を尽くすことよりも、生き延びて自分の最期を家族に知らせ、生き様を後世の人に語り継いでほしいという意味でした。
また、「平家物語」では以下のような言葉を巴御前に残しています。
「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから、最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」
これらの言葉から巴御前を思いやる木曽義仲の情に厚い面が表れています。また、巴御前が義仲の前を去る際、最後の奉公として敵将の御田八郎師重を討ち取り、落ち延びたと言われ、2人の美しい主従の絆が見て取れますね。