天平文化時代に起きた3つの出来事
文化は、その時に起きた出来事と切っても切り離せません。天平文化が興った時代にはどんなことが起きたのでしょうか。
東大寺大仏開眼供養
東大寺の仏様・毘盧遮那仏は、742年(天平14年)に完成し、752年に「大仏開眼供養会」が行われました。「開眼供養」とは仏の魂を入れること。約10年の年月と260万人の労力がかかった当時最大の仏様でした。
東大寺毘盧遮那仏が造立された背景には、聖武天皇の仏教帰依がありました。河内国(現在の大阪府)知識寺に参拝に行った聖武天皇は、民衆から毘盧遮那仏が信仰されていることを知り、都の奈良にも同じ毘盧遮那仏像を造立するのを懇願したといいます。
天然痘の流行
奈良時代には天然痘が流行しました。天然痘とは赤い発疹が体中出て、発熱や倦怠感を伴い死に至る病。735年から737年の2年間にかけて大流行し、全国で100~150万人が亡くなったと言われています。これは当時の人口の25~35%にあたる数でした。
737年には政務を停止する事態になり、政治情勢にも打撃を与えます。また、当時政権を握っていた藤原四氏(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)も天然痘で死亡する事態になりました。九州または遣唐使が感染源とする見方など複数の記録が残っていますが、定かにはなっていません。
農民の多くが天然痘に罹患したために、農地の放棄され、飢饉が引き起こされます。このような厄災から聖武天皇が仏教の力で国を守ろうとしたことで、天平文化が仏教色強い文化へと発展しました。
唐との交流が盛んになる
中国の先進的な情報を収集する目的で派遣された遣唐使。主に、政治制度、技術、文化、宗教についての情報を集めるために、奈良時代には7回唐へ渡った記録があります。
日本は唐の皇帝に対して原材料の「朝貢品」(貢物)を渡し、そのお返しに工芸品や絹織物が下賜されました。この時の返礼品は、正倉院に収められています。
他にも仏教の経典なども伝来し、当時の日本の宗教観にも大きな影響を与えました。
天平文化を飾る代表作品【分野別】
天平文化を代表するものには何があるのでしょうか。分野別に細かく紹介します。
建築物
唐招提寺(とうしょうだいじ)
唐招提寺は、唐僧・鑑真(がんじん)が朝廷から譲り受けたお寺。律宗の総本山です。「招提」とは、サンスクリット語で「四方」という意味。「四方からの僧が集まるお寺」という意味で唐招提寺と名付けられました。
天平時代の特徴の一つである、唐との盛んな交流。唐僧・鑑真は12年間に5回の失敗、失明をしながらも、その厚い信仰心のもと来日しました。弟子の忍基(にんき)の政策指導のもと制作された鑑真和上の像は今も当時の豊かな色彩を残したまま唐招提寺にあり、天平文化の代表物とされています。
唐招提寺には、奈良時代に建立された金堂が今もなお残されており、国宝に指定されています。ほかにも、朝廷の官人が出仕する際の控室「朝集殿(ちょううしゅうでん)」を移築・改修した講堂も鎌倉時代から現存。東アジア伝統の屋根造り「入母屋造り(いりもやつくり)」を見ることができます。
薬師寺
薬師寺は法相宗の大本山、朝廷の保護を受けた寺・南都七大寺の一つです。680年に藤原京の地に造営されましたが、平城京遷都後に奈良の西の京に移転しました。
中央に本尊を祀る金堂、東西に西塔と東塔の二基の塔を配置した伽藍配置は、薬師寺が日本で最初のもので、これを「薬師寺式伽藍配置」といいます。また、塔の各層に裳階(もこし)と呼ばれる小さな屋根が付いている造りは「龍宮造り」と呼ばれ、流動感と壮麗さが兼ね備わっているのが特徴です。その美しさから東洋美術家・フェノロサは「凍れる音楽」と称しました。
他にも大講堂や食堂(じきどう)など、朱色と白が基調になった建築物が薬師寺の特徴。東塔以外は、昭和以降に立て直されており、再現高い当時の色彩を感じられます。
東大寺
奈良時代、聖武天皇が国力を尽くして造立した東大寺は、華厳宗の大本山。「金光明四天王護国之寺」の異名も持ち、毘盧遮那仏があることでも有名です。奈良時代当時、全国に約60の国分寺を建立された「国分寺」の中心をなす「総国分寺」でもありました。
東大寺の起源は、聖武天皇と皇后光明の皇子・基王(もといおう)の弔いのために建立された金鐘寺が起源とされており、「国分寺造立の詔」と同時に大和国の国分寺になりました。
毘盧遮那仏像とともに、世界最大級の木造建築である大仏殿、南大門、転害門、法華堂、二月堂のほか、金剛力士像、四天王像などがあり、その多くが奈良時代から鎌倉時代に造立され、当時の文化を色濃く残しています。
法隆寺
聖徳太子が607年に創建した聖徳宗総本山のお寺、法隆寺。現存する世界最古の木造建築として世界遺産に登録されています。
法隆寺の中で天平文化を代表する建築は「東院夢殿」です。聖徳太子を追慕して建立され救世観音像を本尊にしています。高い基壇の上に立つ八角円堂は天平文化建築の特徴です。
正倉院
正倉院は聖武天皇と光明皇后のゆかりの品を収蔵する建物。東大寺の中にあり、国宝および世界遺産に登録されています。
聖武天皇を亡くした妻の光明皇后が、聖武天皇愛用の品を大仏に捧げようと考え、収蔵したのが正倉院の始まり。それだけでなく、大仏開眼供養の儀式の際に使用された品や、遣唐使や留学僧が持ち帰ったインドやペルシャの工芸品も収められています。
正倉院の特徴は校倉造(あぜくらづくり)です。これは柱を用いず、断面が台形や三角形の木材を井桁に積み上げて壁にした造りのこと。校倉造にすることによって、湿気が多くなると木が膨張して木と木の隙間が無くなり湿気を防げるほか、乾燥した時には木が縮み風通しが良くなる仕組み。日本の伝統的な建築様式です。
你好