天平文化とは?特徴から時代背景まで簡単に解説【服装や仏像も紹介】

彫刻

東大寺

法華堂 不空羂索観音像(ほっけどう ふくうけんさくかんのん)

東大寺法華堂不空羂索観音像
出典:アメブロ

東大寺法華堂不空羂索観音像は日本最古の現存する不空羂索観音像であり、作者は国中連公麻呂(くになかのきみまろ)という仏師だとされています。天平年間を代表する脱活乾漆像(麻布や和紙を漆で貼り重ねる技法)です。

高さは362センチ、全面漆箔で金色を帯びているほか、頭の上には約1万1000個もの翡翠(ひすい)などの玉類で飾られています。

「羂索」とは漁狩の網のことを指し、衆生を漏らさずに救うという意味。8世紀はじめにで信仰され始めたのをきっかけに、日本にもその思想が入ってきました。

梵天・帝釈天立像(ぼんてん・たいしゃくてんりゅうぞう)

梵天・帝釈天立像
出典:WANDER国宝

東大寺の梵天・帝釈天立像は、先に紹介した不空羂索観音像の左右に安置されている仏像。4メートルを超える大きなこの仏像の顔や衣服部分には、当時塗られた色彩がいまだに微かに残っています。天平文化の仏像の特徴、脱活乾漆像です。

梵天・帝釈天とは、古代インドの神が仏教に取り入れられた仏。平安時代に広まる密教の思想がまだ無かった奈良時代の梵天・帝釈天立像は中国の文官風の様相をしたものが多く、の影響を強く受けていることが読み取れます。

一般的に帝釈天が甲冑を付け武装姿であることが多いのに対し、東大寺では帝釈天側が衣の下に甲冑を付けているために、後世に名称だけ入れ替わったのではないかと予想されています。

戒壇堂 四天王立像(してんのうりゅうぞう)

東大寺戒壇堂の中に安置されている4体の四天王立像は、仏を敵から守護する仏として信仰されています。凛々しく威厳ある顔立ちからは恐怖すら感じるリアリティある様相が特徴です。

東大寺四天王立像は塑像という造りでできています。塑像とは中心の木(心木)に藁縄を巻きつけ、荒土を盛り、へらや指で造形する像のこと。奈良時代前期にから伝来し、後期にその技術は盛んに仏像制作に用いられました。

持国天・広目天・増長天・多聞天の4体はどれも唐風の鎧を身に着け、邪鬼を踏みつけています。

日光・月光菩薩立像(にっこう・がっこうぼさつりゅうぞう)

日光・月光菩薩立像
出典:香竹日記

東大寺日光・月光菩薩立像も、天平文化を代表する塑像の仏像。2体共に200センチを超え、現在は東大寺ミュージアムに安置されています。

日光・月光菩薩は本来、薬師如来像の横に安置される仏像ですが当初より観音像の脇に置かれていたことから梵天・帝釈天の説もあり、本当の名称は定かではありません。したがって「伝日光・月光菩薩」と称されています。

現在は白くなっていますが、制作当時は「繧繝彩色(うんげんさいしき)」と呼ばれる天平文化を代表する豪華絢爛な色彩を帯びており、現在も裾の内側付近にその色が残っていることが確認できます。

興福寺

八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)

八部衆立像
出典:Pinterest

「八部衆」とは古代インドの鬼神が仏教に帰依した仏のこと。仏法や仏教徒を守護する仏として信仰されました。興福寺の八部衆立像は、五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(しゃがら)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)の8体で構成されています。

八部衆立像は乾漆像で、正倉院文書の『造仏所作物帳』によれば、作者は仏師・将軍万福(しょうぐんまんぷく)と画師・秦牛養(はたのうしかい)であることが分かっています。

興福寺の八部衆立像は、小柄な造りである一方、繊細な表情が特徴的です。

十大弟子立像(じゅうだいでしりゅうぞう)

十大弟子立像
出典:興福寺

十大弟子とは仏陀の直弟子1250人のうち、最も優れた10人の弟子。10人は諸説ありますが、興福寺の十大弟子立像は、大迦葉(だいかしょう)、阿那律(あなりつ)、富楼那(ふるな)、迦旃延(かせんえん)、優婆離(うばり)、羅睺羅(らごら)、舎利弗(しゃりほつ)、目犍連(もくけんれん)、阿難陀(あなんだ)、須菩提(すぼだい)とされています。

どれも脱活乾漆像で、袈裟を着用しています。本来はインド人であるにもかかわらず、顔立ちは日本人。厳しい修行を象徴するあばら骨もしっかり表現されています。

聖林寺 十一面観音立像(しょうりんじ じゅういちめんかんのんりゅうぞう)

聖林寺十一面観音立像
出典:アートアジェンダ

聖林寺の十一面観音立像は、760年代に東大寺の造仏所で造られた木心乾漆像。その願主は天武天皇の孫・智努王だとされています。漆箔が塗られている様子から、当時から荘厳な美しさを持つ仏像であったことが分かりますね。

頭上面、天衣、持物、台座などのほとんどが当時のままで保存状態が良好です。天衣のなめらかさや、今にも動き出しそうな柔らかな指の形が特徴。東洋美術家のフェノロサが激賞したことで有名になりました。

唐招提寺金堂 毘盧遮那仏像(とうしょうだいじこんどう びるしゃなぶつぞう)

唐招提寺 毘盧遮那仏像
出典:唐招提寺

唐招提寺金堂の本尊である毘盧遮那仏は5メートルに及ぶ高さがあり、天平文化を代表する脱活乾漆像です。光背(こうはい)と呼ばれる仏の光明を表す部分には、小さな仏像が864体彫られています。当初は1000体あったそうですが、少し現象していることから時の長さを感じられます。

新薬師寺 十二神将立像(しんやくしじ じゅうにしんしょうりゅうぞう)

新薬師寺 十二神将立像
出典:Smart Magazine

十二神将とは、仏教で薬師如来とその信仰者を守護する大将たちのこと。1体につき7000の部下を従える非常に力強い神将です。

新薬師寺の十二神将立像は日本最古のもので、国宝に指定されています。塑像で、現在は白みがかっていますが、制作された当初は色鮮やかな繧繝彩色でした。眼球には紺、緑、褐色のガラスの吹き玉が入っているほか、戦慄すら覚えるような憤怒の厳しい表情が目立ちます。

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