インフラの整備
江戸時代の日本は海運が主でしたが、帆船だったため天候等に左右されやすく、最新の蒸気船には太刀打ちできませんでした。明治に入り外国の海運会社がそんな貧弱な日本の海運に割って入ろうと狙ってきます。そのため政府は三菱汽船会社などの国内海運を保護・育成に努めました。
また海運に頼っていた日本の陸運は極めて貧弱でした。しかし海運だけではなく、陸運による物資の大量輸送も富国強兵に不可欠であるため、鉄道の整備が急務とされました。
全国のモデルケースとして1872年(明治5年)に新橋・横浜間で日本初の鉄道が開通しました。この後民間の力も借りながら全国へ鉄道を整備されていきます。
もう一つ重要なのが通信網です。欧米ではすでに電信が発達して国際ネットワークが築かれていました。日本でも1870年(明治2年)に東京・横浜間で電信電報の取り扱いが開始されたのを皮切りに数年で全国網が作られ、西南戦争でも活用されました。
1871年(明治4年)にはウラジオストク・長崎間に海底ケーブルが敷かれ、海外とも通信が可能になりました。欧米を視察した岩倉使節団もこのケーブルを通じて本国と連絡を取り合っています。
金融制度の整備
明治になったばかりの日本は江戸時代の貨幣システムを受け継いでおり、東日本は金、西日本は銀と通貨の統一さえなされていない状態でした。それに加えて各藩が独自に発行した藩札も流通しており、実に混沌とした状況でした。4分が1両になるなどの4進法も外国人にとって理解しにくく不評だったようです。
このため1871年(明治4年)に新貨条例によって円が導入されます。この条例では金本位制が取られていましたが、金が大量に流出してしまったため途中から銀本位制になってしまいました。そんな中、銀価格が下落して円の価値が半減するなど道のりは容易ではありませんでした。
日清戦争の勝利により賠償金を金で受け取ったことで再び金本位制に移行することができ、ようやく安定した通貨を持つことができました。
また明治以前は金融制度も未発達で、政府以外に大口の投資ができる機関がありませんでした。このため1872年(明治5年)に国立銀行条例が発布されました。渋沢栄一が日本初の国立銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を設立するなど民間により多くの国立銀行が設立され、金融制度も整備されていったのです。
富国強兵が行われた結果
富国強兵が行われた結果、日本の経済力は大幅に伸びました。1901年に建設された八幡製鉄所はその集大成といえるでしょう。また軍の近代化も進み、大国の清やロシアと戦争をして勝利を収めることができました。
また明治政府にとって悲願だった不平等条約の改正も成し遂げられました。1894年の日英通商航海条約により領事裁判権を、1911年の日米通商航海条約により関税自主権をそれぞれ取り戻すことができたのです。
これにより真の独立国として欧米列強諸国と対等な立場に立つことになりました。しかしこれは列強諸国と同様の植民帝国建設を目指すことにもなり、昭和の戦争へつながっていく原因になるのです。
富国強兵のことがよくわかる関連書籍
日本の産業革命――日清・日露戦争から考える
この記事でも紹介した殖産興業を中心に、日本の産業革命について書いている本です。富国強兵についてさらに詳しく知りたい方へおすすめです。
明治維新の意味
明治維新のことを調べるといつも不思議に感じるのが、なぜこのような大胆な改革をいくつも実行できたのかということです。この本では、明治の国家運営で一体なにが優れていたのかについて書かれています。
超約版 論語と算盤
富国強兵に関わった人物はたくさんいますが、渋沢栄一はその代表格の一人です。彼が何を考えて何を実行したのかを探ることで、富国強兵を進めた当時の人々の考えに迫れるのではないでしょうか。
富国強兵についてのまとめ
富国強兵についてまとめました。明治時代のことを調べているといつもそのエネルギーの巨大さに驚かされます。一つの制度を変えるというのはとても大変なことです。
しかし明治政府は国の体制が変わるような重大なことを次から次へ繰り出していて、このエネルギーはいったいどこから湧いてくるのだろうかと不思議に思います。改めて明治政府の指導者たちや財界人のバイタリティに圧倒されます。
また大国清やロシアに戦争で勝ったのも、富国強兵による裏打ちがあったからこそだということがよくわかります。教科書などにはあまり詳しい内容が出てこない富国強兵ですが、こういったことを調べてみると、さまざまな政策が大きな歴史イベントにつながっていることがわかり興味深いです。
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